図書キョウチクトウ ノ サク マチ デ000063469

きょうちくとうの咲く街で

サブタイトル1~10
尼崎市民が綴る戦争体験の記録
編著者名
尼崎市民が綴る戦争体験編集委員会 [編]
出版者
尼崎市民が綴る戦争体験編集委員会
出版年月
1995年(平成7年)9月
大きさ(縦×横)cm
21×
ページ
131, 9p
ISBN
NDC(分類)
916
請求記号
916/A42
保管場所
閉架一般
内容注記
折り込み図あり 戦後50年記念 「太平洋戦争と尼崎」の略年表:p127-128 尼崎の戦災図:p129
和書
目次

空襲と私
戦争体験と私の願い―農村だった塚口での空襲体験から(池田まさ子)
炎と機銃掃射の中を―勤務先から燃える抗瀬のわが家へ(井関たね子)
塚口にも焼夷弾の雨(山城正之)
尼崎大空襲―六月十五日のこと(村上常子)
私の空襲体験―尼崎高女への登校途中で(大久保和子)
軍事工場の中での体験(庄本利一)
人間の誇りを奪う戦争―戦死公報が届いた息子が帰国(横山ミヨ子)
防空壕から黒焦げの遺体(西野千代子)
 
学童疎開と私
生徒は
教室は寺の本堂(村松輝昭)
集団疎開―その間に学校は丸焼け(吉井正)
「長洲国民学校中谷分校」の日々(羽間美智子)
あの頃の事―縁故疎開(伊藤良一)
島根の祖父の元へ縁故疎開(中野昌治)
教師は
大庄小の集団疎開―多可郡比延庄村で(森田瑞穂)
最も感動した日―駅頭での別れ(桜田春次)
下坂部小の集団疎開―氷上郡神楽村で(石塚義次)
親は
集団疎開と父母の会―必死に疎開先と地元をつないで(岩田要)
 
学徒動員と私
尼崎高女(現 市立尼崎高校)
―日紡(ユニチカ)で―
学徒動員―日紡でのできごと(山本鏘)
日紡での想い出(春井之寿子)
「学徒動員による日紡」のこと(黒田郷子)
―住友プロペラで―
学徒動員―報償金はどこへ(由良サダ子)
県尼中(現 県立尼崎高校)
あれから五〇年―私の八月十五日(岡本忍)
 
軍隊生活と私
学徒出陣―魚雷命中・漂流・小笠原へ(吉山芳良)
神風特別攻撃隊員として(貞方正己)
従軍看護婦が見た戦争体験(河端幸子)
ソ連兵のエジキとされた従軍看護婦―北満の陸軍病院で(広岡重秋)
二〇代のすべてを戦争のために(野口喜平)
北支戦線の三年半―指揮班・当番兵として勤務(北村英治)
 
外地での生活と引き揚げ
再び許すまじ侵略戦争―満州で終戦・八路軍と共に(平信リツ)
戦争体験と私の願い―チンタオから乳飲み子と共に広島へ(野田好恵)
 
戦前の反戦活動
「そびゆるマスト」―呉軍港での反戦活動(三好惣次)
 
資料
「太平洋戦争と尼崎」の略年表
尼崎の戦災図
 
挿入資料
尼崎の空襲とその被害
空襲による住民と民家の被害
終戦前後の物価の変動
兵庫県下・大阪府下主要被害地域の罹災者率
「尼崎も原爆投下地域に」と報じた毎日新聞
学童疎開先一覧
終戦間近の学徒動員生徒の欠席ふえる
市立学校の動員状況
校舎の工場転用状況
学徒勤労の報償金の取扱い基準