ビキニ核被災ノート
- サブタイトル
- 隠された60年の真実を追う
- 編著者名
- 「ビキニ核被災ノート」編集委員会 編
- 出版者
- 太平洋核被災支援センター
- 出版年月
- 2017年(平成29年)3月
- 大きさ(縦×横)cm
- 21×
- ページ
- 238p
- ISBN
- 9784906910601
- NDC(分類)
- 319
- 請求記号
- 319/B43
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 「年表」1950年代までの米ソ核実験と、主な出来事:p235 参考文献:p238
- 昭和館デジタルアーカイブ
発刊にあたって
グラビア
第一章 歴史から隠されたビキニ核被災事件
第二章 ビキニ核被災ノート 元マグロ漁船員・遺族の証言
[第十一喜多丸] 長崎・ビキニと二重被災して、入水自殺(故・藤井節弥)
[第十一高知丸] 50歳で逝った父は解剖された(故・高田稲美)
入退院が多くなったのは、46歳ごろからかねえ(故・武政昭善)
オレンジと紫が交じった太陽を見た(編集委員会)
[第七孝栄丸] 「白い灰」を丸めて食べた(故・谷佑利)
[第十二高知丸] 頭を洗うと髪の毛がごっそり抜けた(故・小川春光)
[第十三光栄丸] 海がぱあーっと光って、雪のように灰が降ってきた(松下長次)
人の検査はマグロの後だった(谷脇壽和)
『第五海福丸』について
[第五海福丸] 「この付近 原子病流行」(山中武)
漁場をビキニへ移動したとき核実験に遭遇(小笠原勝)
海に火柱が立った(川崎啓作)
危険区域拡大周知されず(故・井上梅春)
『第二幸成丸』について
[第二幸成丸] 薄黒い雪のような灰が断続的に降ってきた(桑野浩)
ビキニ海域での被災体験(故・崎山秀雄)
『第五明賀丸』について
[第五明賀丸] 捕ったマグロはすべて海に棄てた(除本幸松)
『第七大丸』について
[第七大丸] 父は何も話さなかった(故・大黒藤兵衛)
ビキニ海域で船が故障しウェーク島へ(岡崎七孝)
夜になって多数の軍艦に取り囲まれた(故・山本榮治)
わしらは、血の一滴も採ってもらっていない(藤田義行)
『第八順光丸』について
[第八順光丸] 「おい、島が赤茶色になって、木が一本もないぞ」(故・川淵秀馬)
煙突3万カウント、サメのヒレも棄てた(平林庄一)
[第八伸洋丸] 米軍機が「ここから離れろ!」(山崎武)
[新生丸] クリスマス島で赤い太陽を見た(故・岡本清美)
太陽の倍もある塊が、だるまみたいになった(故・山下幸男)
[ひめ丸] マグロを食べ、スコールで身体を洗った(久保秀昭)
危険区域で、スコールに濡れながら操業(増本和馬)
夫はビキニで被ばくし白血病で逝った(故・道脇登)
[幸進丸] 危険水域とはわかっていたが、突っ切った(立浪昇)
[第五良栄丸] 15歳から飯づくり「かしき」としてビキニへ(氏原一昭)
[第五良栄丸] 若死にした同僚の死因が気になった(田中廣)
[第一新南丸] 体を蝕まれながらマグロ漁船を乗り継ぐ(故・中屋勲)
[弥彦丸] 「雨に濡れるな」全乗組員に指示(故・山本勤也)
《記者が見た「ビキニ核被災事件」》
ビキニ事件の闇を暴きたい(阿部活士)
忘却は事実をなかったことにするすさまじい暴力(池田絵美)
被ばく者や遺族の「生きた記録」を発信(岩間理紀)
国の姿勢が問われている(坂巻陽平)
科学は被ばく者を救えるのか(笹島康仁)
第三章 60年を経て因果関係立証の扉が開いた
【訴訟前夜】
【高知地裁へ】
【裁判の展望と課題】
《資料①》山原健二郎(高知県選出衆議院議員)の予算委員会一問一答
《資料②》意見陳述(原告・山下正寿)
ビキニ訴訟の背景と位置づけ(原告代理人弁護士・梶原守光)
ビキニ核被災調査活動の主な記録
[年表] 1950年代までの米ソ核実験と、主な出来事
あとがき
参考文献
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