僕は沖縄を取り戻したい
- サブタイトル
- 異色の外交官・千葉一夫
- 編著者名
- 宮川 徹志 著者
- 出版者
- 岩波書店
- 出版年月
- 2017年(平成29年)8月
- 大きさ(縦×横)cm
- 20×
- ページ
- 251p
- ISBN
- NDC(分類)
- 289
- 請求記号
- 289/C42
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 昭和館デジタルアーカイブ
はじめに
序章 “鬼”と呼ばれた男
鬼の千葉/怖い父/沖縄とアメリカ―それぞれの千葉一夫/「最大の功労者」―沖縄とアメリカの狭間に立って
第一章 戦争の影を背負って―一九四五年・沖縄戦と原爆
戦争体験という大きな傷痕/帰国子女/両親と離れて/志願して海軍へ/助けを求める叫びを耳にして/原爆体験/両親の死
第二章 「僕は沖縄を取り戻したい」―外務省入省
父と同じ外交官の道へ/外務省「二三年組」/妻・惠子との出会い/「僕は沖縄を取り戻したい」/結婚のためのアメリカ留学/留学中に体験した“和解”、日本の独立、沖縄の“分離”
第三章 「ポトマック川を渡れ」―在米大使館にて
転機―病気、結婚、そしてワシントン/「ポトマックを渡れ」/沖縄返還を初めて主張/佐藤内閣の発足と沖縄訪問/アメリカの姿勢/「戦後を終わらせたい」/軍部とのパイプづくり―惠子のサポートの下で/部下から見た千葉一夫/事前協議制度―日米安保の根幹/「基地の自由使用」を認めるべきか―特別協定をめぐる外務省内の対立/交渉のスタート
第四章 北米第一課長就任―屋良朝苗首席との出会い
北米第一課長に就任―初めての沖縄行き/沖縄で初めての民主的選挙―主席公選/大森義夫の「政経情報」/屋良主席の誕生/千葉の鋭い見通し/チーム結成と「核抜き・本土並み」という選択肢/小笠原諸島の返還交渉/ハルペリンの教え/屋良との出会い/千葉と屋良―狭間での“共闘関係”/沖縄を理解する/惠子との生活
第五章 “核抜き・本土並み”は可能か―返還のシナリオを描く
アメリカ側の感触を探る―「千葉北米課長帰朝報告」/「核より戦闘作戦行動の自由の方に重点」/楠田秘書官が記した千葉の言葉/「核」と「基地の自由使用」―腹をくくる日本側/日本側から投げた案/「ともにガンバロウ」/「ベトナムは駄目だよ」/密約への考え方/帰国後すぐに沖縄の屋良のもとへ/地位協定について問題提起/「下田フォーミュラ」/「挑戦議事録」/「返還近し」、しかし「基地撤去はダメだ」/玉虫色の解決策/表現の攻防/沖縄への対応/「返還めど後がむしろつらい」
第六章 佐藤・ニクソン共同声明―返還「大枠合意」の舞台裏
対国会―楠田を押し切る/Foreign Affairsへの異例の寄稿/最後に残されていた秘密協定/外務省がひそかに用意していた妥協案「余談録」/追加された“NPT署名”への要求/核密約―ついに入った「好意的回答」という文言/“表”と“裏”の交渉人―千葉一夫と若泉敬/歴史的瞬間に/千葉と屋良は何を語り合ったのか
第七章 屋良との約束―“基地縮小”の模索
薄れていく世間の関心/ストライキをめぐる対立/スト決行/「基地」と「地位協定」を議論の俎上にあげようとした千葉/屋良に釘を刺す/再び地位協定を取り上げる/中曽根防衛庁長官の揺さぶり/佐藤行雄とシュミッツ書記官/「沖縄が返還されてからが大変だぞ」/「七〇%前後」という目標/“独り言”/基地をくまなく視察/佐藤行雄への指示/千葉の「目玉商品」/膠着状態/追い詰められる千葉たち
第八章 返還協定の締結―残された課題
那覇空港をめぐって/ガス抜きと牽制/基地の整理縮小への三つの道のり/環境の変化―吉野文六との対立/「人の心を打つ名文」―屋良の要請文/二〇〇〇万ドル/調印―長い一日/仕事の手は緩めず/最後の沖縄訪問/伊江島へ/P3残留/モスクワ転任と西山事件/「沖縄の人たちのしあわせを心から祈ります」
第九章 「沖縄は変わった、しかし、沖縄は変わらない」―晩年
「沖縄の次」―モスクワとアトランタ/コースから外れて/アフリカとスリランカ/駐英大使―最後のキャリア/尽きぬ沖縄への思い/「沖縄は変わった、しかし、沖縄は変わらない」/「結局しごとはっかりしてた」
おわりに
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