「証言録」海軍反省会 10
解説
海軍反省会記録第九十三回 戦争裁判と海軍の捕虜観
【豊田発表】
海軍特異のBC級裁判の例
民間の支援団体、法務省の記録収集について
ドイツの戦犯観、日本の捕虜観、第三国人戦犯
最悪だったオーストラリアの国民感情
減刑工作と後世に残す資料
射殺命令に大島大使の報告は影響したのか
豊田副武の起訴
海軍反省会記録第九十四回 航空特攻―何が「決死」を「必死」に転じさせたのか
特攻の背景にある飛行機搭乗員養成問題
人員不足の背景
宇垣特攻にまつわる〝感情論〟
報道・国民・前線の空気
「必死の戦法」と「決死の戦法」
新兵器開発や特攻的アイデアを生む〝危機感〟
人の命が消耗品だった
海軍反省会記録第九十五回 人事・政治・作戦に関する未検討・再検討課題
諸連絡及び岡敬純日記について
マッカーサーの日本観
【末国発表】
人事・政治・作戦などに関する未検討・再検討課題について
教育制度と「軍令承行令」
対米七割兵力という思想
予備員から下士官、参謀、大臣まで及ぶ人材問題
技術論ではなく各作戦そのものの功罪の議論を
総力戦のための人材を出し惜しんだ
アメリカの動員力を下算した伏見宮
六割九分との差は巡洋艦一隻
マハンの説くタイプ別人事
人事や戦略の硬直性
「比叡」西田艦長の罷免
人事は国家の命運にも関係する
行きあたりばったりの「軍令承行令」改正
「真珠湾攻撃」という選択自体の功罪
作戦自体は必要だった
米・日・独それぞれの視点
海軍反省会記録第九十六回 机上の潜水艦作戦
【泉発表】
潜水艦の用法―現場の声を活かせなかった
作戦立案者たちが潜水艦を知らない
建造と装備開発における失敗
【鳥巣補足】
ニミッツの痛烈な指摘
実戦から学ばずに勝てる道理があるか
〝追躡触接〟は軍縮条約以来のスローガンだった
論功行賞の制度が潜水艦誤用の一因ではないか
演習、造艦、散開線、暗号についての疑問
八艦種、一五種類の潜水艦
不可能な計画を立てる喜劇、指摘しない者だけが出世する悲劇
適材適所―商船を酸素魚雷で撃つこと、司令が第一線に出ること
論理や技術の根本を無視すれば全てを見誤る
過重な任務を招いた上層部による過大な評価
海軍反省会記録第九十七回 国論・国策・国防方針―その底流
反省会の運営について
国策を対米開戦へ傾けたもの
国論―明治維新以降の思想的背景
東を向くのか、西を向くのか―情勢判断と意見疎通
「国策の基準」策定の背景
ズルズルと押し切られた内政不干渉の原則
欧州情勢把握、思想、財力
軍備の理念と兵術
急拵えの対四カ国作戦計画
航路の設定で敵潜の攻撃は防げるのか
国力無視の戦線展開
「国防方針」はそもそも、陸海軍備の基準―縄張りの目安にすぎなかった
海軍反省会記録第九十八・九十九回 「提督達の遺稿」―小柳資料を巡って
「小柳資料」の概要
【市来発表】
嶋田繁太郎「開戦経緯について」
【質疑・討論】
嶋田大臣の責任
岡敬純と石川信吾
局長・次長たちの責任感欠如、皇族の影響
〝海の軍隊〟という特性が、「常識的妥協」に結びついた
【市来発表】
福留繁「戦艦無用論」「軍令部のあり方について」など
【質疑応答】
統一空軍構想と軍令部の強化
飛行機・戦艦・潜水艦の研究不足
人事の適性と組み合わせ
【市来発表】
中澤佑「敗戦の原因考案」
【質疑応答】
兵の練度、暗号、特攻、技術開発
【市来発表】
富岡定俊「国家の興亡」「陸海軍の思想の相違」など
【質疑応答】
能吏型人材の視野の限界
海軍反省会記録第百回 南東方面進出の可否と限界、及び野村戦訓資料の評価
【中島発表】
コタバル強襲上陸の成算
西太平洋の展開計画
【質疑応答】
二時間早いコタバル攻撃は周知されていたのか
対英開戦通告の遅れと海陸連携
コタバル上陸作戦の実情
真珠湾攻撃の時刻は考慮されていたのか
補給を考えるのは誰か
ガダルカナル飛行場の設営
ポートモレスビー攻略という決断はどこから来たのか
不足していた「総動員」への理解
明治維新の限界としての敗戦
野村所見の問題部分と黒島亀人の影響
終戦直後に記録を遺した功績
海軍反省会記録第百二回 昨日の敵
反省会の今後について
かつての敵とのミッドウェー海戦シンポジウム
敵味方を超えた敬意
事務連絡
海軍反省会記録第百三回 ガダルカナル―進攻から転進へ
【千早発表】
ソロモン作戦・南東方面作戦の蕩尽
【質疑応答】
潜水艦作戦における二重三重の失敗
南東方面攻略―ガ島飛行場、第八艦隊
米軍反攻時期の予測とガ島撤退後の見通し
彼我の戦略から見るラバウルの重要性
母艦航空兵力、絶対国防圏、後方物資
ムンダ・コロンバンガラ攻防戦に見る海軍陸戦隊の実態
海軍反省会記録第百四回 電探開発・用兵史
【松井発表】
電波兵器の研究
電探の登場
日本のレーダー開発
各種実用機の登場
問題点と現場での改造
射撃用の電探の状況
困難をきわめた航空機への搭載
用兵の視点から
実戦における状況
要員の教育
軍政及び技術的視点
まとめ、及び現代のイージス艦
【質疑応答】
磁探の活用例
欧州の技術情報
海軍反省会記録第百五・百六回 対話の不足、空気の醸成
【質疑応答】
反省を後世に残すために
本当の評価は百年後
開戦経緯―充分に話し合えなかった陸軍と海軍
「火をつけた者、消すことができなかった者」
日米対立という空気の醸成
同床異夢だった軍備観
日本軍の捕虜観は大きく変わった
戦争で表面化する人間の野獣性
自衛隊の発足
【佐薙発表】
中国とドイツの存在―対米開戦論の背景
様々な議論をしつつも、結局は流されていった
大前提はドイツの勝利だった
海軍反省会記録第百七回 軍事と政治―その相互干渉関係
【田口発表】
思想戦の垂直的分析
情報や思想の重要性は共有されなかった
【末国発表】
政党政治の特性
軍人かつ政治家でもある人物がいなくなった
【質疑応答】
軍事と政治の相互干渉
【末国発表】
満蒙問題で陸軍が抱いた政党政治への不信
在郷軍人会や現役武官制の利用
【質疑応答】
政治家と軍人のバランス―試行錯誤の歴史
「我々がやる以外にない」―ロシア革命の静かな影響
【末国発表】
最高戦争指導会議は陸軍の掌上にあった
【質疑応答】
軽んじられた野村大使の電報
知米派の冷遇、主戦論者の伸張
海軍反省会記録第百八回 軍事と政治―分かちがたく、分かつべきもの
【末国発表】
「政党と政党人」発表補足
【質疑応答】
政党制の意義、軍との関係
【末国発表】
軍人と政治―互いの影響の排除
【質疑応答】
海軍と政治との関わりは薄かった
陸軍の政治関与の背景にある大恐慌とロシア革命
必要とされた精神的支柱
【末国発表】
大本営政府連絡会議は陸軍が仕切っていた
会議の多くは形式的だった
【質疑応答】
軽んじられた野村大使―その背景
重要電報の行方
軍令部総長の人事―人格・健康問題
親独・親陸軍派の増勢と背景にある及川大臣の留任
知米派軽視の原因、そして開戦という結果
天皇の意志に反した決定
これからの日本人が養うべき「深く考える力」
海軍反省会記録第百九回 終戦前夜の大臣・総長たち
【質疑応答】
豊田副武の言葉と本心
阿南惟幾にとっての〝大忠〟
「ご聖断」と「ご聖慮」
海軍反省会記録第百十回 総力戦研究と天皇の戦争責任問題
【質疑応答】
進化する総力戦―戦艦・航空・科学技術そして情報分野へ
総力戦研究所
天皇の戦争責任問題
海軍反省会記録第百十一回 開戦論、かくて罷り通る
【質疑応答】
海軍首脳の政治的責任と昭和天皇の期待
武装集団としての発言力と、その自覚
大臣、すなわち政治家としての責務
海軍の代弁者としての高松宮
【鳥巣発表】
明治の元勲と昭和の重臣の大きな違い
【質疑応答】
第一委員会の影響力の実際
勇ましい声明、お寒い実情
海軍反省会記録第百十二回 同盟・協定・条約―交錯する思惑
【末国発表】
諸外国と日本との同盟関係―イギリス
ドイツ、イタリア、そしてソビエト
【質疑応答】
同盟の捨石としての防共協定―交錯する思惑
日ソ中立条約―ソ連対日工作の気配
〝複雑怪奇〟な情勢の中で危うい同盟は生まれた