知られざる本土決戦南樺太終戦史
まえがき
第一章 日本領南樺太
ソ連侵略前の樺太
樺太の地誌
北緯五十度線、国境地帯
樺太混成旅団(樺太兵団)の対米戦備への転換
第八十八師団からの対ソ防衛態勢転換への意見具申
中学生にも召集令状が
宗谷海峡の備え
ソ連参戦判断
ソ連対日参戦の兆候
対ソ情報専門家、樋口季一郎「誕生」
主敵はどちらか―樺太防衛態勢に関する第五方面軍の指導の推移
信じ切れなかったソ連参戦情報
第二章 ソ連参戦による国境地域での戦闘―歩兵第百二十五聯隊・警察官の奮戦
その日、八月九日、朝
突然の武意加派出所への銃砲撃
第八十八師団司令部
中央軍道付近国境地帯
樺太庁
第五方面軍司令部
国境地域における諸戦闘
中央軍道付近の戦い
幌内川ツンドラ地帯の戦闘
古屯の戦闘
幻の幌見峠の戦い
八方山の戦い
軍旗奉還
第三章 停戦交渉と豊原空襲
ソ連参戦と第五方面軍
樺太へ参謀派遣
第七師団隷下部隊への樺太増援命令
第二十飛行団樺太派遣命令
幻の北樺太逆上陸作戦
八方山停戦交渉に関する方面軍の大本営への報告と、師団への指導
筑紫参謀による気屯での停戦交渉
鈴木参謀長による上敷香での停戦交渉
第五方面軍、自衛戦闘の方針を変更へ
知取で、日ソ停戦交渉成立
停戦協定成立後の豊原空襲
八月二十二日、豊原
ソ連機による豊原駅前空襲
第四章 西海岸での戦闘
安別の戦闘
恵須取方面の戦闘
恵須取の防衛態勢
ソ連軍の恵須取上陸阻止
国民義勇隊の義勇戦闘隊への転移命令と恵須取の住民避難
塔路からの住民脱出
竹田医師一家心中事件
大平地区への避難と脱出
大平炭鉱病院看護婦集団自決事件
敗戦後の戦闘―ソ連軍の塔路上陸
恵須取の八月十六日
義勇戦闘隊の戦闘加入
女子監視隊の活躍
上恵須取
恵須取方面最高指揮官、吉野貞吾少佐着任
上恵須取空襲
恵須取方面における停戦
内恵道路・珍恵道路、悲劇の避難民
現金輸送作戦
第五章 真岡方面の戦闘
氷雪の門
ソ連参戦と真岡
大詔渙発、そして歩兵第二十五聯隊軍旗奉焼
ソ連軍の真岡上陸計画
真岡市街およびその付近の日本軍配備状況
ソ連艦隊見ユ
第一大隊、戦闘配置への方針転換と住民の荒貝沢から豊真山道を経ての避難
真岡上陸戦、日本軍の幻の抵抗と避難林道から豊真山道を経ての住民避難
真岡町内各所にて自決事件発生
日本軍軍使、村田中尉一行殺害事件
荒貝沢の戦い
熊笹峠の戦い
豊真線方面宝台附近の戦闘
清水村逢坂附近の戦況及び、村内での集団自決
停戦命令と真岡方面の停戦交渉
武装解除
本斗港からの緊急疎開
ソ連軍大泊上陸
真岡上陸戦に関わる謎
第六章 住民の樺太脱出
樺太脱出
緊急疎開計画
緊急疎開者への援護活動
上敷香、深夜の避難命令布告
八月十七日、上敷香
敷香への徒歩での脱出
海軍、敷香基地
海軍敷香基地隊の無断「撤退」
樺太からの海軍関係者脱出
鉄道にて敷香から南下
敷香からの疎開
内路からの疎開
上敷香、敷香、泊岸、そして知取へ
落合からの疎開
落合空襲
四式重爆飛龍、大谷飛行場ニアリ
北海道に樺太村建設
大泊港
宗谷海峡防衛戦
避難民、稚内上陸
ソ連軍、稚内上陸のデマと混乱
樺太庁による北海道内での援護活動
三船殉難事件 第二新興丸
三船殉難事件 小笠原丸
三船殉難事件 泰東丸
三船からのSOSは傍受されていた
三船殉難事件とは
北海道北部防衛「作戦」
樋口司令官の対ソ不信感
ソ連軍、北海道上陸説
第五方面軍、ソ連軍の北海道上陸を警戒
ソ連軍の北海道上陸計画
北海道の空での「日米協力?」
何故、留萌・釧路だったのか
北海道は守られた
あとがき