戦後70年、私の遺言
本書刊行にあたって
目次と索引
1章 戦時下に暮らす
2章 疎開
3章 軍隊と命
4章 空襲
5章 原爆
6章 引き上げの記憶
7章 どん底からの再起
8章 現代を生きる
9章 未来への伝言
サポーターの寄稿
スタッフの想い
如戒のつぶやき〔会報より転載〕
十八歳の君へのメッセージ〔Ⅰ〕〔Ⅱ〕
二十歳になった君への遺言
そう、これはいのちのお話
編纂を終えて
索引〔五十音順〕
私の戦後70年 そして「もやいの会」との出会い(青柳喜久江)
集団疎開〔1〕(縣恒孝)
集団疎開〔2〕(縣恒孝)
戦争の悲惨さを伝える努力が必要(秋田優)
私の戦中戦後体験(浅羽弘三)
今思うこと(浅見正子)
千人針の想い“今”(東君江)
戦争について考えてみる(足立良太)
学童疎開のこと、戦後の暮らしのことなど(阿出川米子)
「玉音放送」を聞く父の顔を見て(阿部美津子)
一椀のみの雑炊(阿部道子)
戦後70年、私の遺言(阿部良吉)
戦禍の追憶(安部鋼一郎)
戦後70年の憂い(安部武)
耳を裂く空襲警報のサイレン―脳裡から消えない戦争―(阿部博幸)
引揚船(荒井潔)
その時、父は“へんなおじさん”だった(荒井国子)
最年少の疎開だった(荒井善次)
幼な友達(新井辰二)
東京大空襲(新井てる乃)
殺し殺されない平和な世界を(新井ナオミ)
今思うこと(荒木啓子)
たくさんの人との出逢いに「ありがとう」(有馬てるひ)
遠い沈黙の日(飯田和子)
貴重な八十五年(飯田敬子)
頑固親父の戦中・戦後と遺言(井内顯策)
わが町の思い出と東大安田講堂事件(猪飼久)
英語とジャズ(生田佑三)
墨田区本所の思いで(池君江)
「神風」と「勤労学徒」の乙女たち―学業を捨てさせられて―(池君江)
父への想い(石上洋子)
長崎市城山町2丁目571 自宅で被爆(石島晶江)
長崎での被爆体験(石島晶江)
満州からの引揚げ体験(伊勢慶子)
白米の弁当箱(磯邊順蔵)
吾が悔やみ節(板垣穏)
平和祈念学習旅行(井田貞裕)
少女十三歳の体験記憶(市川純子)
七十年前の私(伊東昭幸)
あの夜はもう忘れたい(伊藤英子)
家族の絆によって乗り越えられた(伊東妙子)
学制改革のハザマでの青春(伊藤登美子)
カミナリの音(伊藤登美子)
南京日本中学校の級友たち(伊藤小太郎)
瞳の奥の悲しみ(伊東凡夫)
戦争を生む無知と無関心(伊藤弘子)
少年時代と戦争(伊藤博)
未来を生きる人々と地球のために(伊藤幸弘)
“追憶”から(稲垣幾代)
父、母に感謝の気持ちを伝えたい。(稲見民江)
あの日、あの時(井上篤子)
緑を遺します(井上亮子)
夢の中の出来事のように遠い過去(今村好子)
三つの選択―戦中戦後の回想(岩井昭子)
戦後70年をふり返って(岩倉良平)
戦後70年、私の遺言(岩永圭枝子)
老いも若きも(岩淵良彰)
戦後70年 私の遺言(石見千亜紀)
燃え尽きた紅の血(岩本淑子)
学童疎開体験と終戦直後の思い出(上原絹子)
戦中、戦後を生きて(植松志郎)
飛行場建設のため畑を供出(植松志郎)
「無」からの出発(上山良子)
二度と経験したくない戦争(内山髙太郎)
昭和は私の人生そのもの(浦郷尚子)
終戦 …そして引揚げ…(江田直介)
命ある身(榎本法子)
もう草刈りをしなくていいのだナ(海老原洋江)
会ったことのない爺ちゃん(遠藤現代)
絶対戦争しないこと―それが心を遺して逝った人々への供養―(遠藤禮子)
労してくいなし(追川シヅ)
老人ホームサンシティに入居して(追川シヅ)
戦後生まれ(及川幸枝)
終戦を前にして(大内恒子)
戦後70年、私の戦争と平和(大川成一)
空襲の夜・4歳の記憶より(大木正和)
終戦、私は日赤の看護学生だった(大久保くに子)
戦争はいらない(太田長子)
8月15日の青空(太田元子)
戦争をして得は絶対無い(太田元子)
風に舞った本(大友孝子)
人生過去は全て幸せ(大野佐知子)
戦後70年を経て、語り伝えたい体験(大村世一)
疎開生活の思い出(大森忠信)
二つの《戦後》(大森美紀彦)
戦友達に対する心の負い目(岡田年弘)
私の終戦後の想い出(岡田武)
戦時下における不条理な日常(岡田正志)
温泉町別府の戦後(岡部光瑞)
静岡で見た空襲(奥村治子)
我が師との出会い―人生の出会いは素敵であり、奇跡である―(小山内壽)
70年ということ(小澤輝充)
回天の思い出(小野俊彦)
70年前コニーが来た(小宅康夫)
あらゆる面で物不足(折原知子)
母からの教訓―いつの間にか戦争準備が着々と進められていた―(粕谷香代子)
アンネと同じ生涯を腸チフスで終えた姉(片桐千代子)
戦争の記憶に触れて(片桐浩美)
休学しての疎開を恥じた(加藤敦子)
戦争をして得は絶対ない(加藤善吉郎)
戦後の両親の苦労話(加藤力)
国は1000兆円を超える借金―国に寄付しようとしたが受け取れない規則があるとか―(金澤璋)
終戦前夜の空襲(金沢寛)
私の歴史(金子かづ子)
引揚民と云われて(鎌田紗移子)
昭和64年1月7日(上岡なぎさ)
私の人生について(河合菊雄)
シケモクとスキンヘッド(川口ひろ子)
戦後70年、私の遺言(川端英子)
壕での大合唱(菅野民)
いまふり返る戦後の道程(城川和代)
戦後の途上“今”を生きる(來山敏江)
恥の文化と精神医療―コトバの世界と心と身体―(吉川武彦)
こころを育てるとはどういうことをいうか―精神科医の立場から考える―(吉川武彦)
戦後70年に両親を思う(木下新九郎)
ゆば(木室公生)
「老いる」って、本当にしんどい(京極絹枝)
戦後70年、私の遺言(釘宮恭子)
老いぼれのボヤキ(工藤剛武)
戦後70年たった今、これだけは語り遺さねば(工藤剛武)
戦争は悲惨です(國江キヌ)
私にとっての東京大空襲体験(栗原潤子)
愛国と左翼思想 戦死者を慰霊する意味とは―フランスの地方治町村には凱旋門がある―(黒木朋興)
戦後70年、私の遺言(黒澤史津乃)
「寂しさ」もやがて忘れて「狸御殿」(黒澤淑子)
今を生きる力 未来を照らす力(黒田ケイナ)
父から聴く戦争の話(小池安喜)
戦後70年、私の心に残るもの(小井土冨士男)
私の戦中戦後の思い出(小板好雄)
疎開と空腹(古宇田久雄)
私の青春は中国派遣兵(光内健夫)
我が参戦記(小暮喜一)
千人針から敗戦までの追憶(小座野敏子)
水道局の手押しポンプに救われた(小島幸江)
あの時、母は(小嶋明代)
「原発」が心配です(小島光子)
私の小学校時代(小須田正子)
まぼろしの桃と梨(小番純子)
満州で迎えた終戦(後藤陽子)
背伸びせず、分に生きて今、穏やかなり(小林一男)
平和を願い(小林ミドリ)
私の履歴書(小松久美子)
戦争の思い出(小松禮子)
追慕(古村弘子)
過ぎ去りし日よ・さようなら!!(小室登美子)
戦後70年、私の遺言(近藤雄治)
思うこと(今部治朗)
出会いに感謝(斉藤和子)
時を貫く(坂井靖)
軍国少年だった頃の忘れられぬ日(堺敬生)
ゴワゴワ・ガサガサ―資源は有限(さかたあけみ)
戦後70年、父との思い出、そして…(坂野昭子)
その頃日本は貧しかった(坂本佳子)
当り前のことが私には最大の出来事(桜井敏子)
戦後の貧しい中、日暮れまで遊んだ(櫻井惠子)
世間の皆様に育てられ(桜井俊恵)
大正の早世画家村山槐多と亡父の戦後(佐々木央)
今あるを感謝し次の代に伝えよう~爺から孫のあなたたちへの言い遺し~(佐竹靖幸)
忘れられないまっ赤な空(佐藤きよ)
激動の昭和史 私の暗と明(佐藤榮治)
戦後70年思いつくまま(佐藤テツ)
親子肩を寄せ合っての引揚げ(佐藤とし子)
ホモ・サピエンスと同じ宿命?(佐藤ミチ子)
戦後70年を顧みて(佐野澄子)
戦後70年を顧みて(佐野澄子)
生きる(佐原龍四郎)
父のこと、日本のこと(佐山馨子)
私の一生(澤田君枝)
りすさんを支えに(鹿野勝惠)
老いを詠む―近況報告を兼ねて―(重冨健一)
〈鎮魂〉春秋に義戦なく、1940年代にも義戦なし―目覚めよ、反日日本人たち。東京裁判史観からの脱却を―(篠宮良幸)
私の中の戦後70年(柴尾清)
日本の平和主義、これからの課題(島薗進)
余生を楽しく過ごしたい(島田春巳)
あの敗北がなかったら(嶋守久生)
戦中、戦後、そしてこれから(清水勇男)
私は巣鴨で育った(昭雅)
奇跡の生還(清水満子)
敗戦時12歳の私の体験記(下河原孝)
今、思うこと!!(下鳥みち代)
我が人生の「天命」と「心」(生野茂男)
学級写真(城谷登美)
母の野辺送り(進藤光江)
戦後70年、私の遺言(末藤康宏)
疎開先での農村の暮らしについて(菅野正雄)
父の俳句(菅原節子)
50年経た記憶(菅原宏)
銀じいの語る、炭と戦争(杉浦銀治)
戦後70年を迎えて(杉田仁)
8月15日を大切に…松島家の教育方針(杉山歩)
「仁丹」にまつわる伝承(鈴木敏通)
“炎の雨”は斜めに降る~戦後70年、今この瞬間が決して“戦前”にならぬ事を心から願う~(鈴木北斗)
鬱陵島からの引揚げ(鈴木義光)
原爆予定地だった新潟市(清野澄子)
あのとき渡米ビザがおりていたら(関芳子)
戦争はいけない(関スミ)
母の悲哀を想う(関根直栄)
何時の間にか歌われなくなった「新日本の歌」(千秋達雄)
私の遺言「再び戦争を繰返さないために」(千秋達道)
戻ってはならない何時か来た道(仙波良雄)
疎開の記憶(袖井孝子)
生かされて(高田庸子)
記憶(高梨良夫、芙美子)
人類の元凶「地獄の王」粉砕計画(髙野則男)
浅草で戦災にあう(高橋京子)
集団疎開した世代(高橋正治)
ひたすら“明日”を願って(高橋佳子)
戦後を生き抜いて(高橋和夫)
今、私が気になっている事(髙橋正子)
私の戦争体験(瀧本富子)
巣鴨地蔵とのご縁(武井智子)
貧しくても明るかった母の笑顔(武田八重子)
俺の親父(田崎健二)
現実を見て未来を見る(多田綾)
語り継ぐ家族の物語(多田則明)
戦後70年の今、それから(田中育子)
空襲の事と今の私(田中舘多美)
昭和11年生まれの母の記憶(田中良枝)
終戦前後の家族の絆(谷岡俊子)
あの日(谷口壽八)
赤く燃えていた東の空―昭和20年3月10日東京大空襲―(谷本丈夫)
今、学ぶこと(淡中恵美子)
私の幼き頃の思い出(近田美智子)
戦後70年、私の遺言(塚田澄子)
今平和な時代を生きて私の戦中体験(塚田初枝)
私の戦後70年(土屋まゆみ)
私の80年 〈苦あれば楽あり〉(寺島康子)
我々世代の役目(寺田正樹)
禍い転じて(遠井国夫)
戦後70年の思い(遠井礼子)
疎開先での“いじめ”(徳田佳江)
次の世代に伝えたいこと(外波山節子)
平和を願って(冨岡かよ子)
平和を祈って(冨野美津子)
東京裁判史観の呪縛を解け―極東国際軍事裁判は不当であり、国際法違反である―(中江克己)
戦争 私の生涯忘れることの出来ないこと(中川幸子)
嘘(中澤登)
あの日の東京(長島和子)
空襲で友を失った(長嶋マツ)
なぜ「8月15日」なのか(長嶋譽子)
自然を大切にして心の豊かさを取り戻そう(長田延満)
幼かった頃の私の体験談(中村邦子)
傷痍軍人会の解散(中村治幸)
私の若き日の思い出(中村洋)
戦後70年、私の遺言(中村美恵子)
“自立”が身についた(中村芳子)
戦後の食糧難(中山登喜子)
私の戦後は「墨塗り」から(夏目武子)
戦中戦後の思い出(南波悠紀子)
昭和20年春の記憶(南部友孝)
高齢社会の現実に直面して(仁井田温子)
思いつくままに(西尾貞子)
日本はどこへ行くのか?(西脇宗茂)
私の祈り(野上温子)
現代史を教訓にして(野村章)
兄妹と戦後(拝生康子)
人と人のつながりの豊かさを大切にする世の中に(芳賀みゆき)
わが人生に悔いなし(萩原信夫)
「欲しがりません。勝つまでは!」が合言葉(萩原美吉子)
戦いは天地災害と人との争いはいらない(橋浦あい子)
戦中生まれの我々がなすべきこと(橋本勝己)
最後の戦死者の葬式(橋本茂雄)
戦後の窮乏生活の中で(長谷川利子)
食べそこなったお汁粉(畑谷友寄枝)
混沌な社会に生きて(八藤多嘉子)
あの日(服部恭子)
語り継ぐことからはじめていきたい(花田和広)
大事にしようよ“選挙権”やっと手に入れて70年(羽山孝子)
戦後70年、私の遺言(速水一平)
謝るということ(原田經子)
敗戦の年、小学校一年生だった。(原田陽子、映子)
原爆で死にゆく子たちとの8日間(東皋子)
おきなわぬうむい(菱山謙二)
総括のない戦後70年(平井まどか)
トシ叔母の秘めた哀しみ(広川一美)
母が亡くなって初めての広島原爆忌(広谷ゆり)
歯のない話(樋渡玲子)
学童集団疎開(深井輝子)
学童集団疎開(深澤信子)
戦争とは人間の愚劣さか(福田和彦)
言葉にできないメッセージ(藤井佐智子)
戦争のない平和な世界を願う(藤井瑞恵)
寄宿舎生活の青春時代(藤井瑞恵)
わが故郷の戦争と平和(藤田直祐)
半熟たまごの月(藤田陽子)
三人の伯父(藤本京子)
父の無念(藤原敬助)
戦後70年を思う(舩越俊光)
思い出したくない私の昭和20年5月29日横浜の大空襲の体験談(船橋喜代子)
今を憂う(細谷勝江)
戦中を生きて(堀池和子)
戦争はダメ(堀内俊二)
空襲(堀越三郎)
空襲警報に明け暮れた日々(本田咸子)
戦後70年経った今、これだけは語り遺さねば(前田正晶)
命を奪う戦争に反対を(益子恒子)
命を奪う戦争は悪である(益子恒子)
食糧難に耐えて(益田治子)
第二次大戦の反省が足りない?(増田豊)
今生きていることの喜び、生きがい(松井澄子)
戦後70年、私の遺言(松江博美)
青い空 光る海(松岡幾男)
朝鮮からの引揚げ(松崎晃子)
十八歳の君へのメッセージ〔Ⅰ〕(松島如戒)
十八歳の君へのメッセージ〔Ⅱ〕(松島如戒)
二十歳になった君への遺言(松島如戒)
英霊の言乃葉(松島如戒)
戦後70年、私の遺言(松田節子)
お寺に学童疎開(三浦黎子)
戦後70年、私と戦争との関係とは(三浦啓空)
ノモンハン事件(三重野敏彦)
我ら団塊世代一回生(三重野敏彦)
東京大空襲(三上ゆたか)
石灯籠の証言(水野惇雄)
私の戦中戦後~5歳前後の記憶~(三橋啓子)
集団疎開が平和時に教えるもの(南宗宏)
戦後70年、私の遺言(三房真昭)
学童集団疎開と戦争(宮城孝八郎)
被爆70周年広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式に参加して(宮坂静)
“あの頃”のこと(宮崎和英)
戦争中の青春(宮路壽榮)
60年安保から3.11へ(宮田剛)
今、話せる様になった私の一生(深山君子)
一輪のさくら(宮本英子)
感謝と終活(三好敬子)
僕は陸軍二等兵(村岡彌太郎)
いじめの果てに見たものは(村田暁子)
無言(村田亮)
記憶(毛利稔宏)
祖母との想い出と感謝(持丸靜子)
喜寿近し記憶辿れば冬の草(森亜偉子)
昔の「マタハラ」物語(森田八重子)
平和でこそ(森野きみ子)
りすシステムの「危機管理」(守谷邦彦)
戦後70年気を揉んでいたこと(守屋昇)
戦争をして得は絶対ない(森山喜三郎)
戦後70年、私が想う事(矢崎康子)
知らなかったとはいえ私も戦争協力者(矢島聰子)
戦争を知らないとは言えない私(安形弘子)
実は、戦争嫌いだった伯父(安田惠津子)
別れの場である「火葬場」の研究と建設実践に関わって(八木澤壯一)
記憶にない戦争の記憶(谷田貝光克)
私の原爆体験記(柳川雅子)
そう、これはいのちのお話(柳川雅子)
17歳の母の終戦といま(柳澤典子)
今も胸痛む「戦時看護」(山口好子)
下流老人(山口圭一)
来し方をふり返って(山口スエ)
近ごろ思うこと(山田文代)
戦後70年、私の遺言(山田義弘)
今、この時代を生きて(山本和子)
安全安心の世界(山本克己)
食べ盛りの子供達を抱えた母の苦労(山本美恵子)
戦後50年から70年(山本美恵子)
戦争はイヤだ!(山本美代子)
1964年の東京オリンピック(横山和彦)
憲法九条と防衛問題(横山和彦)
終わることのない戦後(横山時枝)
生活と心(吉岡幸枝)
私にとっての戦争(吉川京子)
戦後70年がたっても(吉田綾子)
今こそ平和憲法を活かして「平和国家」を次世代に引き継ごう(吉田忠智)
幼き戦友(吉田文毅)
“飢え”だけは誰にも絶対に体験させたくない。(米林喜男)
勤労動員(分部裕子)
悩むときは星を仰ぎ夫と歩んだ波乱の三七年(渡部千重子)
戦後が戦前に変わることのないように(渡邊利子)
昭和天皇(渡辺裕子)
人の死は いつ どこで(渡辺八重子)
成長期に価値観が覆される(綿貫晴子)
一番怒っていること感謝していること(匿名希望)
戦時中の思い出(匿名希望)
戦中、戦後の青春時代(匿名希望)
茨城での戦争体験―ふり返った戦争――(匿名希望)
戦争がもたらしたもの(匿名希望)
悲しい想い出(匿名希望)
日本の将来の展望(匿名希望)
戦争と戦災孤児(匿名希望)
戦争未亡人(匿名希望)
私の戦後70年(匿名希望)
平和・まさか・ありがとう(I・S)
いま おもうこと(S・I)
隅田川今昔から思うこと(S・H)
形勢不穏の中で(Y・N)