食でたどるニッポンの記憶
はじめに
Ⅰ 田舎の悪童たちの胃袋を満たしたもの(昭和二〇年~三〇年)
四〇〇年近く続く造り酒屋に生まれて
カヨちゃんとの痛い思い出
柱につながれていた幼少期
おしゃぶりは干しイモ
泣くと身欠きニシンが泳いできた
棒ダラとの長いつきあい
麦とろは、当時もうまかった
白いごはんと塩ホッケは最強コンビ
DDTの洗礼を受けた子どもたち
肺病で亡くなる人が多かった
日本人が肉食を嫌った理由
子馬の競りは、町の一大イベント
トテ馬車から木炭車へ
クジラを食べることは日本の文化だった
クジラ料理ベスト3
ニワトリのタマゴの恩恵
肉は町の肉屋ではなく、山で調達
野ウサギの「ウサギ汁」に舌鼓
スズメ捕獲作戦「その1」
スズメ捕獲作戦「その2」
カラスのロウソク焼き
野鳥のレストランがあった
赤ガエルの肉は甘くてうまい
シマヘビは売ってお小遣いにしていた
ドジョウとウナギは料理屋へ
俺式オリジナル「小ブナ」漁法
家の池にコイが自然繁殖
淡水魚と日本人の食生活
「畑の肉」である大豆食品
食材が少なくても豊かな食生活はできる
弁当温め箱の、棚取り合戦
大好物だらけの私の弁当
弁当のない子も一緒にわいわい食べた
イナゴ捕りで、みんながハッピーに
子ども同士で生きる知恵を身につけた
秋は干し柿がうまかった
酒粕を食べて酔っぱらって登校
食べる魚の種類も増えてきた
紙芝居を観て少年探偵団を結成
テレビと映画館の登場で衝撃を受ける
Ⅱ 伝統食の崩壊と新たな食材の登場(昭和三一年~三六年)
日本の食生活が大きく変わった昭和三〇年代
出世魚のごとき「あだ名」が示す食の遍歴
マヨネーズの衝撃
魚肉ソーセージで子分を増やす
血湧き肉躍るジンギスカン
焼きソバとの偶然の出会い
祭りで稼いだ金でハムを食う
アンゴラウサギで一儲けした友人
大盛りラーメンで空腹を満たした日々
インスタントラーメンの登場
土用の丑の日「大酸っぱい」
自動式電気釜誕生の衝撃
弁当にも肉が入るようになった
高校時代は三倍うまい「サンドイッチ弁当」
極上のアブラハム・リンカーン
フランス料理のエスカルゴに挑戦
映画が果たした役割
変わらなかったトイレ事情
Ⅲ オリンピック前後の東京の生活文化と食事情
日本全体が希望に満ちていた大学時代
醸造学科のお坊ちゃまレベルは日本一
原宿のネコ屋敷に住んでいた
神宮球場へ通い詰めた日々
休日はトロリーバスでザリガニ捕り
渋谷の名画座で映画三昧
バスの中での、もろみドクドク事件
阿武隈缶太郎の自炊生活
ポークソテーでうひょひょー
クジラを最高においしく食べる調理法
夜中の立ち飲みのおでん屋
新宿「ションベン横町」の思い出
新宿西口のバラックの「おしゃれコーナー」
渋谷の百軒店に通う
東京農大醸造学科のネットワークは大きな財産
Ⅳ 激変する日本の食文化への提言
二六歳で訪れた沖縄で肉の多さに圧倒される
沖縄の「おばあ」が教えてくれたこと
地域に伝承されている食文化には意味がある
アメリカの統治で沖縄の食文化は失われた
日本人が歴史的に食べてきた「和食の主材」
半世紀の間に日本の食生活が激変
なぜ日本の食生活は短期間で激変したのか
カップラーメンの登場
化学調味料の消費量も増えた
食生活の変化で病気も変わった
食べ物は体型まで変えてしまう
酒の飲み方も変化してきた
戦後の酒の変遷
奄美大島の長寿の秘密
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