仙台の記憶
昭和三十年九月。まちは、子どもたちが遊び育つ場所だった
家族に夢を与えてくれたデパート屋上遊園地
整備が進む青葉通は、新しい時代の到来を予感させた
まちに熱気と興奮を生んだ、東北一周自転車レース
マイホームへの夢を託され郊外の山は団地に生まれ変わった
新しい時代、明るいきざし暮らしの夢を買った「仙台初売」
バスターミナルとしてにぎわった東一番丁・広瀬通の交差点
戦前と戦後が入り混じる名掛丁・東五番丁角
カッコウ時計が時を告げ、「荒城の月」が鳴り響いた仙台駅前
商店主たちが仮装姿で意気込んだ「仙台青葉まつり」
市電が走り、人々がゆったりと広場を行き交った仙台駅前
昭和三十年代。職人の技は、暮らしの中に生きていた
わずか五十二本から始まった戦後の「仙台七夕まつり」
ほこりっぽい夏の道をバスが行く。昭和三十年代の土橋通
町名が変わり、さらに変化が続く大学病院前
収穫を終えた近郊農家の人たちでにぎわった農機具展示会
木橋から二層式の永久橋へ。技術が変えた「仲の瀬橋」
初売の人出でにぎわう東一番丁にお茶屋さんの太皷が鳴り響く
戦災後十年。区画整理を終え、大きく広がった定禅寺通
道路舗装はこれからという時代、まちには靴磨きがあふれていた
春の大売出しを知らせるスクーターのパレードが行く
全国お国自慢の山車も加わり、大イベントとなった「仙台青葉まつり」
道路の拡幅に込められた新しいまちづくりへの期待
道幅わずか五メートル、戦前の面影を残す上杉山通
街並みは大きく変わっても、「町割」は変わらない上染師町
今より道路幅はせまかったが、市バスも往来したX橋
今も市内北部のターミナルとしてにぎわう北仙台
昭和二十七年、初めての国体はまちと人々の暮らしに寄り添っていた
「お聖天(しょうてん)さん」の延命地蔵正月気分が漂う新伝馬町(しんてんまち)、路上ではもう一つの初売が
「いざなぎ景気」の中、八木山は仙台を代表する大住宅地へ
仕事帰り、男たちは自転車で街頭テレビに駆けつけた
公園の歴史をたどれば見える、寺院、学校、進駐軍
通勤 通学の足に大きな影響を与えた私鉄五社の二十四時間ストライキ
七十年を経て架け替えられた澱橋。二つの橋の思い出
ゾウやライオンの曲芸を見に、多くの市民が集まった移動動物園
粋とおしゃれが闊歩する、昭和三十年代の仙台駅前
映画が娯楽の主役だった時代、まち中には大きな看板があった
仙台初の大型スーパーの開店に、市民は長蛇の列をつくった
昭和三十七年秋。市役所屋上から勾当台公園、仙台市街を望む
新と旧がせめぎ合う昭和三十年代後半の長町 鹿野
青葉通の大ダルマは、年末年始の風物詩だった
新幹線の工事が進む仙台駅。東側はまだ「駅裏」と呼ばれていた
ミスコン美女を間近で撮ろうと群がるカメラマニアたち
春の雪降る勾当台通で、戦後復興の歩みを振り返る
焼き物のまちから住宅密集地へ堤町の変化が物語ること
お花畑や牧場、そして動物園、仙台の歴史が刻み込まれた花壇(かだん)
青果市場でにぎわった昭和三十年代の長町
八月五日、曇り空のもと幕を開けた昭和二十八年の「仙台七夕まつり」
黒い家並みの向こうに、いつも白い礼拝堂があった
あとがき