戦前外地の高校野球
まえがき
1 高校野球はなぜ大正時代に始まったのか
批判にさらされた野球人気/反論する野球関係者―安部磯雄の乃木希典批判/東京朝日と一線を画した大阪朝日/普及を後押しした皇室/「国民」の創出に貢献した学校体育
2 台湾野球の曙
甲子園大会が始まった頃の外地/台湾野球の本格的なスタート/内地やアメリカのチームとも対戦/台湾は「文明の及ばざる地」/スポーツ熱を高めた皇太子訪問/称賛された現住民族チーム/遅れた甲子園大会への参加/中等学校の増加と予選参加校の拡大
3 朝鮮で満洲で、広がる球児たちの夢
当初は別々に野球した日本人と朝鮮人/内地や満洲からの遠征チームと対戦―朝鮮/日本統治下で発展する朝鮮野球/甲子園大会の朝鮮地区予選始まる/京城中学と徽文高晋/初参加校が増える朝鮮地区予選/一〇校を超えた朝鮮地区予選参加校/関東州や華北が中心だった満洲野球界
/社会人チームと互角に戦った旅順中学/大正十年、満洲地区予選が始まる/決勝戦にまで進出した大連商業
4 昭和六年、台湾代表の嘉義農林が準優勝
異色の三民族混成チーム、嘉義農林が登場/原住民族が蜂起した霧社事件の波紋―映画「セデック・バレ」/甲子園の決勝まで勝ち進んだ嘉農/嘉農野球部員だった蘇正生氏の証言/霧社事件の翌年に甲子園で準優勝―映画「KANO」/沖縄代表が初出場した時と似た反応―外地と内地
5 黄金時代を迎えた朝鮮中等学校野球界
内地と遜色ない規模の朝鮮地区予選/四ヶ所で一次予選を行ない京城の二次予選へ/三連覇する中京商業に準完全試合を喫した善隣商業/「朝鮮のチームはどうして強くならないのか」/選抜トーナメント方式の満鮮中等学校野球大会/北部予選を加え五地区の一次予選へ
/不安定な満洲予選を横目に盛り上がる朝鮮予選
6 大陸球児たちに忍び寄る戦火
満洲地区予選の黄金時代―大連商業が六連覇/内地での学生野球の過熱を満洲で問題視/野球弾圧への道を開いた野球統制令/維持が大変だった広大な満洲予選/満洲中等野球界の中心にいた大連商業チームが解散/四度甲子園に駒を進めた青島中学
/創部半年で満洲予選に初参加した天津商業/両親や兄弟を戦雲の下に残して―青島中学ナインの手記
7 「遂げよ聖戦 興せよ東亜」―日中戦争下の甲子園
内地の雰囲気に呑まれる外地の球児たち/武士道精神の選手宣誓―昭和十三年の甲子園/過去最高の一三校が参加した台湾地区予選―昭和十四年/朝鮮地区予選にも戦争の暗い影―昭和十三~十四年/伝統校が時局に配慮し出場を見合わせる―昭和十三年の満洲地区予選
/華北の天津商業が二年連続優勝―昭和十四年の満洲予選/「惨敗の恥を知れ」―口を閉ざした天商ナイン/「皇紀二千六百年」奉祝大会として開催―昭和十五年/「最初で最後の満洲代表」となった奉天商業
8 無念の中断と「幻の甲子園大会」
皇紀二千六百年の記念大会―昭和十五年の台湾地区予選/内地で野球部解散が相次ぐ/台湾予選を終えてから本大会が中止に―昭和十六年/台湾で暮らす日本人が見落としていたもの―洪太山氏の手記/廃部や不参加校が増える中、最後の朝鮮地区予選
/固定化されていた三校で最後の満洲地区予選/甲子園大会はどういう理由で中止になったのか/全国中等学校錬成野球大会を国が開催―外地から台北工業のみ参加/台湾では全島中等学校選抜野球大会が最後の公式戦/朝鮮神宮奉納野球大会が朝鮮最後の公式戦
9 野球部解散、戦没する元球児たち
「戦時学徒体育」から外された野球/野球排撃論に同調していく中等学校/軍部・文部省・大政翼賛会からの逆風/野球部解散に抵抗しつづけた人々/チームメイトやライバルも次々に応召して戦死/軍事施設になってしまった甲子園球場/戦後の復活大会に外地代表の姿なく
10 敗戦から立ち上がる外地の球児たち
いち早く再スタートした嘉義農林野球部/敗戦後も変わりなかった台湾の日常生活/台湾人の失望と怒りを買った国民政府軍/暗い影を落とした二・二八事件―三七年続いた戒厳令/大連で七校が軟式中等学校野球大会―引揚げを前に/引き続き一〇校で硬式中等学校野球大会
/満洲から命からがら引き揚げた日本人/半世紀ぶりに再開した奉天商業野球部OB
エピローグ―野球と日米関係
ベーブ・ルースと沢村栄治―戦前の日米野球交流/日本野球が経験した成功と失敗/ベースボールと野球―近代史と日米関係を背負うスポーツ
後日談
日本敗戦後の朝鮮―南北で異なる道へ/外地の中等学校野球が残したもの/「白球飛び交うところに平和あり」
〈中等学校野球〉関連年表
コラム一覧
グレート大阪
日台共学の実情
南満工業と旅順工科大学
台湾人のアイデンティティ
朝鮮と内地
満鉄と特急「あじあ」
川西良主夫の生涯
欧亜連絡航路
春はセンバツから
戦前の甲子園が生んだ名監督たち