激動の昭和史 上卷
昭和元年
改元/大正天皇崩御の日、テレビ実験成功
昭和二年
二俣小野球部黄金時代/普通選挙法による初の県議選/河合楽器研究所が誕生/金融恐慌/藤枝農校の校舎炎上/ちゃっきりぶしの誕生/静岡市内の土地賃貸価格/やがて消える乗合馬車/弁天島の百メートルプール
昭和三年
御大典/沼津市役所完成/若山牧水の告別式/沼津を愛した歌人若山牧水/済南事変で静岡連隊出動/特別高等警察課新設/沼津警察署が完成
昭和四年
静岡県で初の連合婦人大会/暗い時代へ、「精神作興」/静岡高校で同盟休校騒ぎ/公益質屋店開き/かん詰生産の第一歩/安倍川の義夫の碑除幕
/静岡行進曲▶夏の夜の七ブラ・乗合自動車時代・国鉄静岡駅の朝の顔・お茶の才取り〝自転車レース〟・赤い灯のカフェー・威勢のよい静岡の魚市場・久能街道の荷車の列・国鉄八幡踏切/静岡連隊の勇士帰還/沼津の三園橋渡り初め/松崎のマユ市場閉鎖/沼津西浦の若衆宿
/臨海学校の子供たち/静岡武徳殿が完成/浜松の広小路
昭和五年
北伊豆地震襲う/揺らぐ大地/もう駄目だと思って/厳戒下のご視察/世界恐慌の嵐/豊作飢餓訴える農民大会/清水―東京間に旅客機登場/短命鉄道の光明電鉄/不況下のチラシ広告/交通デー/草薙野球場が開場/静岡に大浜公園できる/「静岡県史」第一巻発刊
/超特急「つばめ」快走
昭和六年
海軍機墜落、藤枝農校講堂の全焼/NHK静岡放送局開局/全国産業博覧会、浜松で開く/戦時色強まる/不況どん底時代/静岡に初のデパート/地方巡業の相撲/旅客機が不時着
昭和七年
大宮町大火/ロス五輪、郷土出身選手がんばる/水泳日本の圧勝/世界記録を出せず残念/宮崎少年、百自由形で優勝/五・一五事件/全県下に大警戒網/安倍鉄道消える/田中屋百貨店火災/静岡市に松坂屋百貨店開店/静岡に初のガソリンスタンド/自力で建てた芝町青年会館
昭和八年
静岡駅前にネオン塔/近代都市化前の静岡市追手町/皇太子ご誕生/浜松飛行隊の火薬庫大爆発/静岡日赤病院が開院/丹那トンネル貫通/非常時時代
昭和九年
丹那トンネル開通/水めぐり丹那騒動/子連れ鬼熊事件/戦前版〝公害紛争〟/静岡の御幸通り完成/雄踏で全国学童競泳大会/球史に残る沢村の好投
昭和一〇年
静岡地震襲う/二俣川の流れ変える/静岡連隊、満洲へ発つ/浜松師範の廃校案、論議呼ぶ/写真館のスタジオ風景
昭和一一年
二・二六事件/二・二六事件その日の坐漁荘/大雪の二月/浜一中の大福餅中毒事件/静岡市民、浅間神社遷座祭にわく
昭和一二年
大陸の戦火拡がる/日中戦争に突入/田上部隊、上海へ出発/銃後では
昭和一三年
ガソリン統制、木炭車走る/英霊帰る/軍事教練の徹底図る/ヒットラー・ユーゲント来日/強力台風、県下襲う/国民政府を相手にせず!
昭和一四年
警防団組織される/きびしかった学童の集団訓練/満蒙開拓/二三〇連隊出発/白紙の召集令状
昭和一五年
静岡大火/炎と黒煙に包まれた静岡市/焼け跡警備に軍隊出動/たき出し/救援の衣料品配り/紀元二千六百年/元老の死/婦人の防空演習/総力戦の中の市議会/国民服/二俣線全線開通
昭和一六年
太平洋戦争に突入/県民必勝大会/不安な年の夜明け/静岡新聞誕生/二俣の水害/護国神社の鳥居/このころ学校では
昭和一七年
翼賛選挙/南洋進出/米英色排撃/防空演習と敵機監視/護国神社遷座/戦力増強で総て軍需産業へ
昭和一八年
英雄の死/県内の銀行、三行に統合/食糧増産に学徒援農隊/大戦下の県政/ガ島、別涙の朝/ガ島の英霊、悲しみ深し/郷土部隊と関係部隊
昭和一九年
東南海地震襲う/袋井周辺の惨状/学徒動員/学童疎開、県下へ二万八千名割当て/銅像も出陣/配給と代用食の毎日
昭和二〇年
八月十五日、終戦/空襲激化、焦土と化す/本土決戦体制と義勇隊/静岡・住友工場爆撃/焼け野原の静岡市中心部/銃後も悪戦苦闘の生活/焦土から復興へ/終戦、ヤミ市繁盛/瓦れきの中の盛り場/静岡七間町/飢えの中で/米軍が進駐/米海兵隊、新居に上陸
思い出の静岡三十四連隊・・・(写真と文 柳田芙美緒)
「悲涙の碑」・・・・・・・・・飛び乗った長い従軍の旅/舞鶴から横山部隊追う/精兵田上部隊、上海へ発つ/ジャワの東海林部隊をしのぶ/声なし、ガ島英霊二千六百柱帰る/最後の静岡連隊、南海に散る
悲劇のガ島戦、陣中日誌(市川茂)
ミソ汁で生気取り戻す/増援の輸送船団、砲・爆撃で炎上/戦友、相つぎ倒れる/墓穴を掘り、次はわが身かと/開戦一周年、激戦を回顧/ゆうゆう陸揚げの敵輸送船/繁みも砲弾で丸坊主に/餓死とうめき声の年末/元旦から死者、故郷しのぶ/戦友の埋葬がやっとの体力
/生存者わずか、ただ生きる/敵の猛攻撃始まる/移動、病床に戦友残す/残留者、死がいの山築く/戦友の骨残し、ガ島を去る
あとがき