かくされていた空襲
口絵写真
序(京都府知事・蜷川虎三)
まえがき(京都空襲を記録する会・藤谷俊雄)
凡例
京都空襲の概略
京都空襲被害一覧表(日付順)
京都各地の空襲
一 舞鶴の空襲
一日一日を闘いつづけたわたしの戦後(村井ハル)
夫は空襲の犠牲に(西口浪子)
グラマン二四〇機の大空襲(中西茂)
被爆の苦しみをのりこえて(橋本時代)
戦争教育から平和教育へ―私の半生記―(今田謙四郎)
一一名の学友の命を奪われて(吉岡時夫)
動員、空襲、敗戦―舞鶴工廠での日記―(阪原幸夫)
藤田先生の死(小菅謙蔵)
戦時下の中舞鶴高女(田中九三)
盲管爆創で意識不明(茨木幸雄)
弟の死(鵜飼豊造)
二 宮津の空襲
空襲の日と敗戦の日(上垣美代子)
「敵機だ!ふせろ!」(広瀬公二)
あれから二八年、忘れられぬ七月三〇日(竹繩雄吉)
夫の死(上家満枝)
三 中郡の空襲
爆弾投下!恐怖の追憶(嶋田妙子)
山にかやをつって避難(野村都)
四 榎の空襲
五 保津町の空襲
牛松山から黒煙が(関本秀次)
六 馬町の空襲
被爆当時の思い出(大野竹治郎)
B29、馬町に投弾(山崎昭見)
目をおおう修羅場(宮川友治)
苦しい悲しい夜(井上文子)
幼稚園の砂場にも爆弾(一花一枝)
まだ終わっていない戦争(服部繁次)
第三小松寮にモロトフのパンくず(岡本隆雄)
実態を伝えなかったラジオ・新聞(町田トシ子)
決戦非常日記(抜すい)(須賀隆賢)
米機爆撃による災害ならびに措置の概況(松原警察署)
七 西陣の空襲
父も母も即死(堀英一)
自転車が屋根の上に(広瀬秀太郎)
被爆見舞いはたばこ一箱(小柴永吉)
一目散に防空壕へ(小関とよ)
まさか自分の夫が(佐々木せつ)
遺体さがしがたいへん(井上寿美子)
出水小学校が臨時野戦病院に(日野要)
強制疎開と空襲(『出水小学校百年史』編集委員会)
織物の町に爆弾(『出水小学校百年史』編集委員会)
爆撃の思い出(林つゆ)
八 太秦の空襲
班長に直撃弾(井川妙子)
九 大久保「日本国際航空」の空襲
警報がでているから出勤するなといったのに(市場スガ)
一〇 佐山町の空襲
防空壕の子供に爆弾(藤村ナラエ)
一一 笠置町の空襲
畑作業中に被弾(田中善一)
一二 多賀村の空襲
B29、木津河原についらく(市場繁三郎)
目がみえんようになってこけた(松本芳郎)
一三 奈良電鉄沿線の空襲
一四 神足の空襲
いまわしい日(岡田ヒサ子)
雁行してきた米軍機(岩城弥一郎)
屋根も煙突も突き破った銃弾(国松保夫)
工場に六〇発あまりの弾痕(横地聞市)
銃弾が膝(ひざ)を貫通、夢にみた正座(橋川実)
息子に弾が(俣野芳子)
資料
死者、負傷者名簿
空襲記録協力者
参考資料
京都空襲を記録する会創立宣言
「京都空襲を記録する会規約」
空襲・戦災を記録する会第三回全国連絡会議アッピール
空襲・戦災を記録する各地団体一覧
写真図版提供者一覧
あとがき