戦没学徒木村久夫の遺書
まえがき
第一章 木村久夫の生涯
久夫の誕生
病弱児として生まれる
中学校時代の久夫
高知高校時代の久夫
京都大学時代の久夫
久夫の応召とその死
久夫の応召と学問
戦争犯罪人として処刑
第2章 カーニコバル島事件と判決
戦争裁判で死刑判決
戦争裁判
戦争犯罪者の種類とBC級裁判
カーニコバル島事件と木村久夫
カーニコバル島事件と判決
不公平な判決
第3章 死と葛藤する若き魂の叫び
『哲学通論』を入手
『哲学通論』入手に2つの説
『哲学通論』を入手した日
「手記」を書き始めた日
『哲学通論』の装丁について
第4章 欄外余白に感想を綴る―木村久夫の「手記」の分析と考察―
手記で思いを伝える
思いを父母に伝える
手記の工夫
無念と憤怒を綴る
自らの不運を日本の幸福の種に
厳しい軍人批判
国民も反省を
戦争責任の所在
生きるためにあらゆる努力をする
真相の暴露
傍観者の罪
断たれた学問の途
立派な軍人もいた
チャンギ―刑務所の惨状
迫りくる死との対決
父母・親戚・友人・恩師への感謝
第5章 人間の最大の試験―木村久夫の「遺書」の分析と考察―
独房で死を待つ日々
処刑の宣告を待つ
教戒師との面談
久夫の「遺書」の構成
久夫の「遺書」とその解説
父母への別れ
孝子への別れ
思い出される郷里
思い出尽きない高知
よき恩師との出逢い
蔵書を母校に寄贈
辞世の短歌で死と対決
『哲学通論』に接し得た喜び
断たれた学問への道
親戚へのお礼
再び父母を心配する
日本再生への改革と発展を願う
死は人間最大の試験
書いておきたいこと
第6章 久夫の「手記」と「遺書」への所感
久夫の訴えを聴く
無念な学問への道の断念
軍国主義と軍部と職業軍人を批判
日本国民の遠い責任を問う
戦前の批判と反省に立脚した新しい国家の在り方への示唆
死に正々堂々と対峙した生き方に敬服
最後まで忘れなかった愛の心と感謝の心
久夫の「手記」と「遺書」とに欠けていたもの
天皇の責任についての批判の欠如
全日本国民の戦争責任についての疑問
「日本国民の戦争責任」を「知能の低さ」に求めることへの疑問
アジア諸国民への加害意識の希薄
戦後改革の主体は全国民ではないか
第7章 久夫の戦死と遺書
久夫戦死の連絡
久夫戦死の報
久夫の遺書と『哲学通論』
久から塩尻への手紙
久夫の「遺書(写)」を同封
感動的な塩尻の返信
塩尻、「手記」を書写
塩尻、京大で内地研究
塩尻、木村家で「手記」を書写
塩尻、「或る遺書について」を執筆
爆発的な著作活動
「或る遺書について」の執筆と発表
第8章 久夫遺書が『きけわだつみのこえ』に収録
『わだつみのこえ』の編集
『わだつみのこえ』の遺稿募集
父、手記の寄稿を決意
「遺稿」の編集
雑誌社からの取材
久夫の遺稿現行、編集委員会へ
編集委員会における久夫遺稿の編集
編集委員会における審査と選別
『わだつみのこえ』の出版と久夫遺稿
久夫遺稿の編集と出版とにおける検討
『わだつみのこえ』の久夫遺書の評価と位置
第9章 『きけわだつみのこえ』のその後と久夫遺稿
『わだつみのこえ』のその後の変遷
東大新書と久夫遺稿
カッパ・ブックスと久夫遺稿
岩波文庫(旧版)と久夫遺稿
岩波文庫(新版)と久夫遺稿
岩波文庫(新版・改訂版)と久夫遺稿
久夫遺稿を収録した著書について
久夫の短歌を収録した著書等について
終章 久夫の生と死から学ぶこと
“わだつみのこえ”を“きく”
最後まで学問を愛し、戦争と軍隊を嫌った久夫
戦争はすべてを奪う
戦争責任の追及について
「日本国民の遠い責任」を果たす方法
最大最悪の戦争に反対して平和な国を
付録 木村久夫の遺稿と資料
「物部川」(抄・未完成創作小説)
木村久夫の「手記」
木村久夫の「遺書」
木村久夫から塩尻公明へ郵送された久夫の「遺書(写)」(木村久夫の筆写、1947年1月3日付)
木村久夫の「遺書A」(久の筆写下書き文)
木村久夫の「遺書B」(久が「戦死学生の手記」応募のために筆写した下書き案・全文)
木村久夫・木村久・塩尻公明の略年譜
木村久夫遺稿についての主要参考文献
あとがき