15歳の被爆者
本書成立のあらまし
プロローグ
第一章 一九四五年八月九日
魚雷の部品造りがうまかった
八月九日一一時二分
とっさに取った奇妙な行動
本当に人はいなかったのか?
防空壕の上はお墓だった
二人の子供を託される
山を降りてはいけない
「切通さん、起きんねー!」
「お金持ちの家は違う」
家の中で傘を差す
その日、家はどうなっていたのか―妹・藤田晴子さんの証言
家族が自分のお通夜をしていた
「生還」した姉の被爆体験をどう受けとめたか―妹・藤田晴子さんを交えての座談
先生たちの犠牲的努力
生と死の分かれ道
あの日の雨ときのこ雲
もう一人の「みちこ」さん
第二章 戦中と戦後の間に
自分は死ぬんじゃないか
墨を塗る教科書がない
「戦争が終わった」話題はなかった
玉音放送のその後
(コラム)啄木と『万葉集』
あくまでも国民を殺してやる
普通の人は泣かない
世界が明るくなった
どうすれば正しかったのか
アメリカは嫌いになれない
今日という日を覚えておきなさい
憲法は解放だった
「これで喜んでいいのかわからない」
戦争中にそんなこと考えるはずがない?
被爆者差別
熊本で親切にされた理由
第三章 兵隊に行かなかったお父さん―戦前の暮らし
焼け跡を見た経験―東京大空襲
時代の変化を感じ始めた時
「小さな兵士」たち
飢えという経験
国防婦人会と、戦争の中の家庭
来なかった赤紙
兵隊さんとの交流
夜の歌声
東京から長崎へ
第四章 学校に行きたい
勉強欲の芽生え
女子には閉ざされていた大学
アイスキャンディーの売り子
西洋史への興味
『古寺巡礼』で寺めぐり
理作先生に聞いたこと
昭和二〇年生まれと二一年生まれの差
働きながら学ぶということ
大人の付き合いが出来る
これが本当の学校だ
カリスマではなく「仕向ける」方法
生きていけるための教育
会いに行ける学校
偏見を持つのは堕落
全日制との価値観の違い
先生の学び
体内時計が狂ってくる
授業のポイント
憲法と「朝日訴訟」
主権者として
自分のための勉強
文部省が「君が代は歌うな」
沖縄を学ぶ
バスクとの出会い
沖縄とバスクの共通点、そして戦略爆撃の時代
アンネと私
第五章 女性としての解放
女にとっての敗戦
結婚はしたくなかった
夫との出会い
「生きざま」が嫌い
行事への無頓着
不文律がわからない
第六章 核以後の時代を生きる
原爆症の自覚と罪償感
被爆二世への遺伝
ブログの立ち上げ
GHQが手記を検閲
被爆者運動とのかかわり―妹(次女)・藤田晴子さんを交えた対話
映画で描けることと描けないこと
戦争末期に起こる現実
運動の言葉とそうでない言葉
「違いない」という思い込み
(コラム)振袖の少女を守る二〇年
広島と長崎の違い
対談で得られたもの
あとがき(切通理作)
あとがき(狩野美智子)