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青森県史 資料編 近現代6

サブタイトル1~10
編著者名
青森県史編さん近現代部会 編
出版者
青森県史友の会
出版年月
2014年(平成26年)3月
大きさ(縦×横)cm
31×
ページ
48,23,713p
ISBN
NDC(分類)
212.1
請求記号
212.1/A54/6
保管場所
閉架一般
内容注記
付録CD-ROM 1枚(館内利用不可)、他1枚。
和書
目次

口絵

凡例
編集および解説執筆の分担
 
総説
 
第一章 高度経済成長と保守県政
解説
山崎県政の時代
竹内県政の時代
革新政治の台頭
 
第二章 日米安保体制下の青森県
解説
冷戦と自衛隊の発足
日本の独立と日米「同盟」
「同盟」の深化と自衛隊
 
第三章 地域開発の展開
解説
青森県の開発政策
新産都市八戸と臨海工業地帯建設
津軽地域開発
公害と生活環境保全
 
第四章 巨大開発と原子力の時代
解説
原子力船むつ問題
むつ小川原巨大開発
 
第五章 農林漁業の振興と変容
解説
農政の展開と稲作
りんごの生産・販売・加工
畜産振興と野菜の産地形成
造林と開発
漁業の構造変化
 
第六章 交通体系の整備と観光開発
解説
国鉄の時代
陸路・航路・空路
自然公園の観光と開発
 
第七章 変貌する社会と労働・福祉
解説
労働運動の展開
集団就職と海外移民・出稼ぎ
衛生対策の概況と普及活動
高度経済成長期の女性たち
 
第八章 北国の暮らし
解説
豪雪を生きる
青森県を襲った大災害
新生活と住環境の変化
石油危機と県民生活
消費行動の変化
 
第九章 転換期の教育
解説
初等中等教育の展開
八戸高専の誕生
社会教育の変貌
 
第十章 多様化する民衆生活と文化
解説
若者運動と大学紛争
都会化する娯楽
全国化する青森文化
 
青森県史編さん関係者協力者一覧(五十音)
 
口絵・各章とびら絵・挿絵・しおり・目録
 
《口絵目録》
1 あすなろ国体秋季大会の開会式 一九七七年一〇月二日 青森県史編さん室
2 青森市国道古川の渋滞 一九七八年八月一二日 青森県史編さん室
3 尻内駅から八戸駅へ 一九七一年三月三一日 中里進氏撮影 八戸市立図書館
4 知事室での山崎岩男 一九五〇年代後半~六〇年代前半 青森県史編さん室
5 竹内県政時代の庁議風景 一九六七年六月六日 青森県史編さん室
6 青森県民大集会のデモ行進に参加する大沢久明 一九六六年一〇月九日 大澤美智子氏所蔵
7 津川武一 一九六三年五月四日 青森県史編さん室
8 県庁付近で演説する米内山義一郎 一九六八年五月一日 『青森県民主運動史資料 写真史料21』 青森県立図書館
9 取り壊される旧県庁 一九五八年九月 青森県史編さん室
10 建築中の現県庁 一九五九~六〇年頃 青森県史編さん室
11 完成間もない現県庁 一九六二年六月一四日 青森県史編さん室
12 県庁展望台 一九六一年 川村昭次郎氏撮影 川村英明氏所蔵
13 東棟の増築 一九七一年 青森県史編さん室
14 増築後の県庁 一九七五年六月 青森県史編さん室
15 八戸飛行場と自衛隊基地 一九六九年一一月一〇日 青森県史編さん室
16 海上自衛隊大湊航空隊 一九五〇年代後半 青森県史編さん室
17 陸上自衛隊八戸駐屯地での開隊式 一九五六年 『八戸市30年のあゆみ』 青森県史編さん室
18 三沢基地記念日 一九五八年 野坂千之助氏撮影・所蔵
19 三沢空港で行われた東亜国内航空就航記念式典 一九七五年五月 『'76みさわ 三沢市勢要覧』 青森県史編さん室
20 車力村ミサイル射場反対運動 一九七二年一月 『ミサイル試射場反対闘争』 青森県国民教育研究所
21 東北砂鉄鋼業株式会社大湊工場 一九五〇~六〇年代 青森県史編さん室
22 八戸臨海工業地帯 一九六六年九月三〇日 青森県史編さん室
23 津軽岩木スカイライン 一九六七年八月二七日 青森県史編さん室
24 尾太鉱山の砂子瀬選鉱場 一九五〇~六〇年代 青森県史編さん室
25 浜三沢立体地図 二〇〇八年八月三〇日完成 浜三沢あじさいクラブ制作 浜三沢おらほの寺子屋所蔵
26 四川目集落移転の記念碑が立つ金刀比羅神社 二〇一三年一一月一七日 青森県史編さん室
27 大湊港に入港する原子力船「むつ」 一九七〇年七月一九日 青森県史編さん室
28 「むつ」の出港反対運動 一九七四年八月二五日 青森県史編さん室
29 むつ小川原開発反対闘争 一九七〇年代 『むつ小川原巨大開発反対闘争』 青森県国民教育研究所
30 核燃反対の立て看板 一九八八年一一月一日 青森県史編さん室
31 六ヶ所村開発地区の入口付近 二〇一一年七月九日 中園裕撮影
32 六ヶ所原燃PRセンターのコンパニオン 一九九一年 六ヶ所げんねん企画株式会社
33 機械化される田植え作業 一九八四年五月二二日 青森県史編さん室
34 旧農林省園芸試験場東北支場のガラス温室 二〇一二年五月二六日 中園裕撮影
35 三戸駅でりんご箱が積み込まれる「りんご列車」 一九五〇~六〇年頃 青森県りんご対策協議会
36 てん菜の栽培推進広告 一九六二年五月 『県政のあゆみ第一一巻第五号』 青森県
37 福地ホワイトの乾燥作業 一九五九年頃 『県政のあゆみ第八巻第一二号』 青森県
38 葉たばこの乾燥作業 一九七〇年代前半 『はしかみ 1974』 青森県史編さん室
39 南部町相内地区での干し菊作り 一九六六年一一月三日 野坂千之助氏撮影・所蔵
40 雪ぞりで大木を運ぶ人々 一九六一年三月 川村昭次郎氏撮影 川村英明氏所蔵
41 機械化されるヒバの伐採 一九八〇年一二月一九日 青森県史編さん室
42 青森魚市場の水揚げ作業 一九六一年二月 川村昭次郎氏撮影 川村英明氏所蔵
43 ホタテ供養塔 一九八四年七月一七日 青森県史編さん室
44 蒸気機関車はくつる号 一九六五年三月一七日 堀越庸夫氏撮影・所蔵
45 気動車はつかり号 一九六一年七月 佐々木直亮氏撮影 青森県立郷土館
46 国鉄黒石駅 一九七〇年代 須藤重昭氏撮影・所蔵
47 黒石線と奥羽本線 一九六三年七月 川村昭次郎氏撮影 川村英明氏所蔵
48 田名部駅に停車中の下北交通大畑線 一九九四年八月二七日 白石健二氏撮影 青森県史編さん室
49 津軽鉄道のストーブ列車 一九七五年一二月一八日 中島一郎氏撮影 青森県立郷土館
50 野辺地駅に乗り入れていた南部縦貫鉄道 一九八六年八月三〇日 白石健二氏撮影 青森県史編さん室
51 今はなき弘南鉄道黒石線 一九九四年八月二八日 白石健二氏撮影 青森県史編さん室
52 十和田市駅で発車を待つ十和田観光電鉄 一九九四年八月二七日 白石健二氏撮影 青森県史編さん室
53 弘南鉄道弘南線と快速列車 一九八五年七月二八日 白石健二氏撮影 青森県史編さん室
54 五戸駅到着の南部鉄道 一九五〇~六〇年代 五戸町教育委員会
55 大鰐駅にたたずむ弘南鉄道大鰐線 一九八六年八月三〇日 白石健二氏撮影 青森県史編さん室
56 青函トンネル龍飛崎工事現場 一九七二年七月一〇日 青森県史編さん室
57 青函トンネル本坑貫通式 一九八五年三月一〇日 青森県史編さん室
58 青函連絡船の待合所 一九六一年一月 川村昭次郎氏撮影 川村英明氏所蔵
59 最後の連絡船が青森港を出港 一九八八年三月一三日 青森県史編さん室
60 馬車から自動三輪車へ 一九六〇年八月五日 川村昭次郎氏撮影 川村英明氏所蔵
61 東北自動車道の開通記念通行証 一九七九年九月 窪田友彦氏提供 中園裕所蔵
62 大間と函館を結んだ日本最初のフェリー航路 一九七〇年九月一二日 青森県史編さん室
63 拡張整備された新青森空港 一九八七年九月 『新青森空港工事誌』 青森県
64 十三の渡し 一九五七年九月二二日 「山田秀三文庫」 北海道立アイヌ民族文化研究センター
65 十三湖大橋 一九七九年一〇月一三日 青森県史編さん室
66 旧道時代の下風呂温泉 一九六二年九月 青森県史編さん室
67 バイパスが通った下風呂温泉 一九八〇年一一月一七日 青森県史編さん室
68 種差海岸階上岳県立自然公園 一九六八年六月一三日 青森県史編さん室
69 十和田観光電鉄自慢のガイドたち 一九六六年四月一五日 十和田観光電鉄株式会社
70 八甲田ロープウェー 一九六九年二月一六日 青森県史編さん室
71 弘南バス労働争議 一九五七年五月一八日 『青森県民主運動史資料 写真史料9』 青森県立図書館
72 集団就職列車 一九六四年三月 白岩昭氏撮影・所蔵
73 ブラジル移民送迎会 一九六一年六月二四日 竹内覚氏所蔵
74 北津軽郡医師会医療班の診察 一九六五年八月二二日 竹内覚氏所蔵
75 派遣保健婦の活動 一九七〇年六月 青森県史編さん室
76 青森市の中部塵芥焼却場へ向かうゴミ収集馬車 一九六一年六月 川村昭次郎氏撮影・川村英明氏所蔵
77 割烹芝楽の女性店員 一九六〇年代 船水ミサ子氏所蔵
78 大和編(こより細工)に励む女性たち 一九七〇年代 『1974 かしわ要覧』 青森県史編さん室
79 メーデーに参加する女性たち 一九五八年 『青森県民主運動史資料 写真史料11』 青森県立図書館
80 五戸町に登場した緑のおばさん 一九六五年頃 五戸町教育委員会
81 十勝沖地震 一九六八年五月 五戸町教育委員会
82 日本海中部地震 一九八三年五月 青森県史編さん室
83 チリ地震による津波被害 一九六〇年五月 和井田登氏撮影 八戸市博物館
84 昭和47年7月豪雨 一九七二年七月九日 青森県史編さん室
85 昭和61年豪雪 一九八六年 青森県史編さん室
86 三沢大火 一九六六年一月一二日 野坂千之助氏撮影・所蔵
87 昭和55年冷害 一九八〇年九月一六日 青森県史編さん室
88 青森市の松木屋デパート 一九六四年頃 『青森は復興した』より転載 奥村工務店
89 弘前市のかくは宮川デパート 一九六〇年代 『弘前商工会議所六十年史』より転載 弘前商工会議所
90 八戸市の丸美屋デパート 一九六八年七月一七日 青森県史編さん室
91 五所川原市のアーケード街 一九七〇年代後半 『ごしょがわら '79市勢要覧』 青森県史編さん室
92 平賀町の駅前通り 一九七〇年代後半 『町勢要覧ひらか』 青森県史編さん室
93 三沢市の中央商店街 一九七五年頃 『'76みさわ 三沢市勢要覧』 青森県史編さん室
94 十和田市のアーケード街 一九七五年頃 『市制20周年 十和田市』 青森県史編さん室
95 深浦町の駅前界隈 一九七四年一〇月一一日 「山田秀三文庫」 北海道立アイヌ民族文化研究センター
96 八戸市の旭ヶ丘団地 一九六四年頃 『はちのへ 1965』 青森県史編さん室
97 青森市の幸畑団地 一九七二年一月一四日 青森県史編さん室
98 高騰した紙類 一九七四年二月二五日 青森県史編さん室
99 学校の購買部 一九六〇年代 張山喜隆氏作画・所蔵
100 本屋で立ち読みする子どもたち 一九七一年八月 青森県史編さん室
101 生徒全員で給食の時間 一九五〇年代後半 佐々木直亮氏撮影 青森県立郷土館
102 梵珠少年自然の家 一九七一年八月一〇日 青森県史編さん室
103 青森県立郷土館の開館 一九七三年一〇月一五日 青森県史編さん室
104 ダム開発のため閉校した沖浦小学校 一九七七年頃 須藤重昭氏撮影・所蔵
105 メーデーで活躍する職場の人たち 一九六八年五月一日 『青森県民主運動史資料 写真史料21』 青森県立図書館
106 米軍基地撤去三沢集会でのデモ活動 一九六九年三月二三日 『青森県民主運動史資料 写真史料22』 青森県立図書館
107 テレビや電話のある生活 一九七二年一月一四日 青森県史編さん室
108 豪華なプールがあった相乗温泉 一九六九年八月 『青森県民主運動史資料 写真史料23』 青森県立図書館
109 サニーランド 一九六八年 須藤重昭氏撮影・所蔵
110 八戸タワーと児童遊園地 一九五〇~六〇年代 和井田登氏撮影 八戸市博物館
111 松木屋デパートでのお買い物 一九六一年七月九日 川村昭次郎氏撮影 川村英明氏所蔵
112 大衆割烹芝楽 一九九五年六月二一日 津嶋栄子氏所蔵
113 恐山大祭で口寄せするイタコ 一九六三年七月二二日 野坂千之助氏撮影・所蔵
114 キリスト祭りでナニャドヤラを踊る人々 一九七五年頃 『しんごう 1975 村勢要覧』 青森県史編さん室
115 高橋竹山のアメリカ公演パンフレット 一九八六年九月一九日 高橋哲子氏所蔵
116 東京オリンピックを喜ぶパレード 一九六四年 福士ちか氏所蔵
117 新装なった青森駅〈青森市〉 一九六〇年九月 青森県史編さん室
118 大島から見た陸奥湾〈平内町〉 一九六二年八月一九日 川村昭次郎氏撮影 川村英明氏所蔵
119 瀬辺地橋〈蓬田村〉 一九六一年一〇月二二日 「山田秀三文庫」 北海道立アイヌ民族文化研究センター
120 平舘灯台〈平舘村〉 一九六一年一〇月二二日 「山田秀三文庫」 北海道立アイヌ民族文化研究センター
121 階段国道〈三厩村〉 一九六三年六月二五日 青森県史編さん室
122 海峡の町の海岸線〈今別町〉 一九六一年四月 川村昭次郎氏撮影 川村英明氏所蔵
123 蟹田駅〈蟹田町〉 一九五〇年代後半 肴倉宏太氏所蔵
124 水田地帯となった竹田開拓地〈中里町〉 一九六〇年代 竹内覚氏所蔵
125 芦野公園の観桜会〈金木町〉 一九六三年 白岩昭氏撮影・所蔵
126 板柳養魚場〈板柳町〉 一九七〇年六月一七日 青森県史編さん室
127 十三の砂山踊り〈市浦町〉 一九五九年八月二三日 青森県史編さん室
128 下前地区の漁村風景〈小泊村〉 一九六四年五月 青森県史編さん室
129 乾橋架け替えの渡り初め〈五所川原市〉 一九六二年八月 白岩昭氏撮影・所蔵
130 鶴田町上空から見た岩木山と岩木川〈鶴田町〉 一九六六年一一月一〇日 青森県史編さん室
131 チェスボロー号遭難80周年記念式典〈車力村〉 一九七〇年八月五日 青森県史編さん室
132 一本タモ〈稲垣村〉 一九七〇年頃 『村のすがた 昭和48年版村勢要覧』 青森県史編さん室
133 亀ヶ岡考古館〈木造町〉 一九六〇年代 『'69木造町』 青森県史編さん室
134 最古のリンゴ樹90周年記念式典〈柏村〉 一九六八年 『1974 かしわ要覧』 青森県史編さん室
135 陸奥森田駅〈森田村〉 一九六〇~七〇年代 『日本の駅』より転載 鉄道ジャーナル社
136 港から見た岩木山〈鯵ケ沢町〉 一九六四年四月 青森県史編さん室
137 猿神鼻の洞門〈深浦町〉 一九六一年八月 青森県史編さん室
138 森山海岸を行く蒸気機関車〈岩崎村〉 一九六六年七月 中園裕所蔵
139 旧浅瀬石ダムと沖浦温泉の噴湯〈黒石市〉 一九五九年八月二四日 青森県史編さん室
140 浪岡八幡宮の大祭〈浪岡町〉 一九六六年 福士ちか氏所蔵
141 川部駅の名物だった立ち食い蕎麦屋〈田舎館村〉 一九六一年一一月二五日 竹内覚氏所蔵
142 御鼻部山の展望台〈平賀町〉 一九六三年六月八日 中園裕所蔵
143 二万羽養鶏をめざすトキワ養鶏〈常盤村〉 一九六二年 青森県史編さん室
144 ロータリー界隈〈藤崎町〉 一九六一年頃 藤崎町教育委員会
145 猿賀神社七日堂祭りの散供打ち〈尾上町〉 一九六五年二月七日 青森県史編さん室
146 相生橋架け替えの渡り初め〈大鰐町〉 一九六五年三月七日 青森県史編さん室
147 温泉会館〈碇ヶ関村〉 一九六八年頃 青森県史編さん室
148 弘前大学があった頃の弘前城〈弘前市〉 一九六〇年五月九日 青森県史編さん室
149 お山参詣でにぎわう岩木山神社〈岩木町〉 一九六〇年九月二〇日 青森県史編さん室
150 湯口山砕石場〈相馬村〉 一九六五年頃 『相馬村勢要覧 昭和41年版』 青森県史編さん室
151 砂子瀬地区の人々〈西目屋村〉 一九五九年一一月二〇日 青森県史編さん室
152 天間ダム起工式へ乙供森林鉄道で行く山崎知事〈天間林村〉 一九六一年一〇月一六日 青森県史編さん室
153 モミの木と七戸町立七戸小学校〈七戸町〉 一九六〇年代 青森県史編さん室
154 三本木駅構内の売店〈十和田市〉 一九六四年頃 『創立50周年記念』 十和田観光電鉄株式会社
155 休屋湖畔に立つ乙女の像〈十和田湖町〉 一九六八年一一月八日 青森県史編さん室
156 泊の集落と下校中の子供たち〈六ヶ所村〉 一九六二年 野坂千之助氏撮影・所蔵
157 陸奥横浜駅〈横浜町〉 一九七〇年頃 『よこはま 1971』 青森県史編さん室
158 日本燃料株式会社野辺地工場〈野辺地町〉 一九六五年 野坂千之助氏撮影・所蔵
159 落成した三沢観光センター〈三沢市〉 一九六四年七月二三日 十和田観光電鉄株式会社
160 てん菜の収穫〈東北町〉 一九六六年一一月 野坂千之助氏撮影・所蔵
161 氷下曳漁〈上北町〉 一九六六年二月七日 野坂千之助氏撮影・所蔵
162 旧百石町役場〈百石町〉 一九七〇年代 『ももいし 1975』 青森県史編さん室
163 氣比神社で開催される絵馬市〈下田町〉 一九六六年七月一八日 野坂千之助氏撮影・所蔵
164 フジ製糖青森工場の落成式〈六戸町〉 一九六二年一〇月一三日 笹森秀郎氏撮影 向山駅愛好会所蔵
165 尻屋埼灯台〈東通村〉 一九六一年一〇月 青森県史編さん室
166 薬研温泉かっぱの湯〈大畑町〉 一九六六年四月一九日 青森県史編さん室
167 大湊田名部市時代の中心街〈むつ市〉 一九五九年五月四日 「山田秀三文庫」 北海道立アイヌ民族文化研究センター
168 川内町中心街の前に広がる陸奥湾〈川内町〉 一九七〇年一〇月 青森県史編さん室
169 マグロの水揚げ〈大間町〉 一九六六年一〇月五日 青森県史編さん室
170 下風呂温泉郷〈風間浦村〉 一九六五年七月 青森県史編さん室
171 牛ノ首岬と鯛島〈脇野沢村〉 一九六七年一二月 青森県史編さん室
172 牛滝の漁港と集落〈佐井村〉 一九六二年五月七日 青森県史編さん室
173 ウニの身おろし作業〈階上町〉 一九七〇年代前半 『はしかみ 1974』 青森県史編さん室
174 八戸魚市場〈八戸市〉 一九六六年 野坂千之助氏撮影・所蔵
175 福地村を象徴する苫米地橋 一九六〇年代 『ふくち 1967』 青森県史編さん室
176 島守館の跡地〈南郷村〉 一九六〇~七〇年代 『南郷村市』 南郷村(現八戸市)
177 五戸町制施行50周年記念と南部鉄道の山車〈五戸町〉 一九六五年 五戸町教育委員会
178 南部バス十和田湖線の開通祝賀式〈倉石村〉 一九六五年七月一日 五戸町教育委員会
179 柿の木平放牧地〈新郷村〉 一九六二年 青森県史編さん室
180 千本松と黒門〈名川町〉 一九六七年一〇月 青森県史編さん室
181 三戸駅前商店街〈南部町〉 一九六五年 五戸町教育委員会
182 城山から見た名久井岳〈三戸町〉 一九六八年六月一四日 青森県史編さん室
183 田子町の本町〈田子町〉 一九六二年七月 佐々木直亮氏撮影 青森県立郷土館
 
《各章とびら絵目録》
総説 青森市新町通りの歩行者天国 一九七四年六月二三日 青森県史編さん室
第一章 青森県の高度経済成長を象徴した斬新な県庁舎 一九六二年一一月七日 青森県史編さん室
第二章 日米両国民でにぎわう三沢基地記念日 一九五八年 野坂千之助氏撮影・所蔵
第三章 三菱製紙株式会社八戸工場と八戸臨海鉄道 一九六八年一二月二三日 青森県史編さん室
第四章 建設中の国家石油備蓄基地 一九八二年六月一〇日 青森県史編さん室
第五章 干し菊作り 一九六六年一一月三日 野坂千之助氏撮影・所蔵
第六章 東北本線全線の複線電化完成 一九六八年一〇月一日 青森県史編さん室
第七章 別れを惜しみつつ集団就職列車が青森駅を出発する 一九六八年三月二二日 青森県史編さん室
第八章 青森駅前の雪景 一九六二年二月 川村昭次郎氏撮影 川村英明氏所蔵
第九章 季節保育所で学ぶ子どもたち 一九六五年一〇月三〇日 竹内覚氏所蔵
第十章 高橋竹山が参加していた平内町小湊の「山車」 一九五五年 高橋哲子氏所蔵
 
《解説挿絵》
第一章 むつ小川原開発に反対する日本共産党員 一九七〇年代 『むつ小川原巨大開発反対闘争』 青森県国民教育研究所
第三章 西目屋村の尾太鉱山関係者が住んだ鉄筋製のアパート 一九六九年七月一五日 青森県史編さん室
第四章 開発前の六ヶ所村 一九五九年五月五日 「山田秀三文庫」 北海道立アイヌ民族文化研究センター
第七章 六ヶ所村泊地区の婦人会による盆踊り 一九五〇~六〇年代 青森県史編さん室
第八章 黒石市の大黒デパート 二〇〇五年六月二五日 中園裕撮影
第十章 幸畑団地の小公園 一九七二年一月一四日 青森県史編さん室
第十章 文化劇場 一九六〇年代 須藤重昭氏撮影・所蔵
第十章 イタコの口寄せに聞き入る人々 一九六四年七月二〇日 青森県史編さん室
 
《資料挿絵》
第一章 開発反対を唱える人々 一九七〇年代 『むつ小川原巨大開発反対闘争』 青森県国民教育研究所
第二章 自衛隊のへき地医療支援 一九八七年一月二九日 青森県史編さん室
第二章 三沢市の観光案内パンフレット 一九五〇年代 中園裕所蔵
第三章 四川目移転記念碑 二〇一三年九月一四日 青森県史編さん室撮影
第三章 八戸市臨海工業地帯の煤煙 一九七〇年五月二二日 青森県史編さん室
第四章 むつ小川原開発に関する学習会 一九七〇年代  『むつ小川原巨大開発反対闘争』 青森県国民教育研究所
第五章 護岸と築港が続いた鰺ヶ沢港 一九六八年八月二七日 青森県史編さん室
第六章 浅虫夏泊県立自然公園 一九六〇年一〇月二九日 青森県史編さん室
第六章 大鰐碇ヶ関温泉郷県立自然公園 一九七四年 青森県史編さん室
第七章 交通巡視員として活動する女性たち 一九七一年六月 青森県史編さん室
第八章 カネ長武田デパートの地下食料品街 一九七二年五月二九日 青森県史編さん室
第九章 東北町の季節保育所にて 一九六六年五月 野坂千之助氏撮影・所蔵
第九章 中里町の婦人の家で働く秋季保育所の女性教員たち 一九六五年一〇月三〇日 竹内覚氏所蔵
第十章 弘大封鎖の跡 一九六九年九月二七日 弘前大学附属図書館
 
《しおり》
高度経済成長期の青森県観光地図 一九六〇年頃 『観光あおもり』 青森県史編さん室
 
細目次(資料目録)
第一章 高度経済成長と保守県政
山崎県政の時代
山崎知事の年頭あいさつ
二代目民選知事の決意 一九五七年一月一日
東北開発をめざして 一九五八年一月一日
県勢振興のために 一九五九年一月一日
市町村合併と郷土愛 一九六〇年一月一日
農家経済を基盤に基幹都市を建設 一九六一年一月一日
教育と工業の発展に努力 一九六二年一月一日
今年もみのりの多い年に 一九六三年一月二〇日
県政と県自治
県民の幸福のため協力を!! 一九五八年六月二〇日
竹内県政の時代
竹内知事の年頭あいさつ
県民と手を携えて 一九六四年一月一日
県政の全般的な成長の努力 一九六五年一月一日
重点施策の一層推進の年 一九六六年一月一五日
地方自治確立の年 一九六七年一月一日
明治百年にあたって 一九六八年一月一日
県勢消長岐路の年 一九六九年一月一日
未来への飛躍のために 一九七〇年一月一日
三たび県政を担当するにあたって 一九七一年三月一日
奮起の年 一九七二年一月一日
産業の発展と県民生活の向上 一九七三年一月一日
産業構造の変革を 一九七四年一月一日
県政と県自治
「新産業都市」推進へ 一九六三年六月一日
安定基調の県経済 一九六三年七月一日
産業構造の高度化 一九六五年五月二〇日
県政の進め方について 一九六六年七月二〇日
心を新たにして県勢伸展のために 一九六七年四月一日
地方自治の転換期 一九六七年六月二〇日
こう変る八〇年代の青森県 一九七〇年一一月一日
若い声を県政に 一九七一年一二月一日
革新政治の台頭
革新政党
青森県民主新聞 創刊号 一九六三年六月二五日
地域住民運動
ゼニのために心を売るまい土地を売るまい 一九七一年九月五日
ある牛飼いの話から 一九七三年八月五日
 
第二章 日米安保体制下の青森県
冷戦と自衛隊の発足
警察予備隊から自衛隊へ
マ元帥、警察力の増強を許可 一九五〇年七月九日
警予隊員、受附始まる 一九五〇年八月一四日
警察予備隊の宿舎の件 一九五〇年一〇月三一日
警察予備隊使用可能施設調査の件 一九五一年一月三一日
警察予備隊本部からの連絡事項について 一九五一年八月二四日
海上自衛隊の発足
海上警備隊大湊地方総監部の発足 一九五三年一〇月一七日
米軍基地の「整備」
津島知事よりサンダマン少佐への要望書 一九五二年三月二〇日
関根演習場の拡張地区を米軍に提供する決定 一九五三年六月二日
接収基地等の問題 一九五三年六月一〇日
米軍接収地に関する参議院外務委員会 一九五三年七月三〇日
講和条約と安保体制
小野久三「講和の春」 一九五二年四月一五日
小野正文「平和への祈念」 一九五二年五月一〇日
日本の独立と日米「同盟」
自衛隊と県民生活
弘前 自衛隊誘致でもめる 一九五七年九月一四日
自衛隊誘致運動へ 一九五七年九月一九日
自衛隊、弘前に移転 一九六八年三月一〇日
自衛隊はどんなときに派遣されるか 一九六〇年一一月一日
自衛隊の歩みと地方連絡部の業務 一九六一年八月一日
自衛隊の災害派遣と部外支援 一九六四年二月一日
県下の自衛隊 一九六九年六月
ミサイル射場・ルポ 一九七二年三月一日・五月一日
米軍基地の固定化
三沢基地の最近の動向 一九六二年三月
天ヶ森射爆場の実態 一九六九年六月
在日米軍基地 施設庁で実態調査 一九七〇年五月二八日
安保条約を見る眼
安保批准阻止県内闘争推進について 一九六〇年四月
軍備全廃・基地撤去東北(三沢)大会に参加しよう! 一九六二年三月
三沢平和委員会 特別報告 一九七〇年一一月二七日
「同盟」の深化と自衛隊
基地と装備の拡充
青森県知事に協力要請 車力村基地建設で 一九七九年八月九日
車力分とん基地へ臨時二一高射隊が移駐 一九八〇年一〇月九日
本州唯一の対空用〝六ヶ所〟新射場開く 一九八二年七月二二日
八戸にP3Cを配備 一九八五年七月一一日
増強一途の三沢基地 一九八三年三月八日
三沢大集会に万余の人々結集 一九八五年五月三〇日
日米共同演習と自衛隊機動演習
日米一万三〇〇〇人が参加 初の統合実動演習 一九八六年一〇月二三日
日米三軍統合演習に抗議 一九八六年一一月三日
機動特別演習「北斗'88」空陸一体で成果 一九八八年九月二九日
新雪ついて「つがる'89」日米共同実動訓練 一九八九年三月二日
県民と自衛隊
非核三原則法早期制定に関する意見書 一九八一年六月二五日
へき地医療の充実を 一九八七年三月一日
九衛隊 辺地医療の支援終える 一九九三年一月二八日
 
第三章 地域開発の展開
青森県の開発政策
国土開発計画と青森県
青森県の開発はどう進められているか 一九五九年八月一日
青森県長期経済計画要綱のあらましと考え方 一九六二年二月一日
青森県新長期計画の概要 一九七二年一月一日
開発計画の曲折
てん菜とフジ製糖 一九六二年五月二〇日
建設進む製糖工場 一九六二年五月二〇日
下北開発の方向 一九六五年一一月一五日
都市計画の進展
都市計画はどう進められているか 一九五九年二月二五日
新産都市八戸と臨海工業地帯建設
新産都市指定運動
八戸地域新産業都市指定に関する陳情 一九六二年一二月
八戸地区新産業都市建設地域指定の陳情 一九六三年六月一〇日
八戸地区新産業都市建設基本方針 一九六四年三月三日
新産都市建設事業団の活動
青森県新産業都市建設事業団事業計画 一九六四年三月三一日
八戸地区新産業都市建設の進捗状況 一九六六年一〇月一日
企業誘致
青森県・八戸市と三菱製紙の協定 一九六七年八月二二日
津軽地域開発
津軽半島
津軽半島総合開発調査 一九六四年六月一〇日
座談会「青森県の開発を語る」 一九六五年六月一五日
津軽地域総合開発計画 一九六六年六月一日
岩木パイロット事業
その後の岩木実験農場 一九六三年三月二〇日
岩木山麓開発に挑む 一九六三年七月二〇日
岩木川流域
十和田岩木川地区総合開発と工業 一九五七年七月二〇日
津軽かんぱい事業 一九六四年一月一日
小田川地区土地改良事業 一九六六年七月一日
弘西林道開設工事すすむ 一九六九年一二月一日
公害と生活環境保全
新産都市八戸の公害
小中野地区のぜんそく被害 一九七〇年八月二八日
公害をなくし緑と青空をとりもどす八戸市民集会 一九七〇年一一月一六日
新井田川をきれいにする会の発足 一九七二年六月七日
八戸地域公害防止計画 一九七六年七月
三沢米軍基地騒音公害
F16に追われる四川目 一九八六年一月二六日
四川目町内会移転の碑文 一九九四年一一月
津軽地域ワラ焼き公害
ワラ焼きで新たな公害 一九六七年一〇月一七日
木造のワラ焼スモッグ 一九七二年一〇月二三日
ワラ焼き公害一掃のため牧草用集束機導入 一九七三年一一月四日
 
第四章 巨大開発と原子力の時代
原子力船むつ問題
母港決定から放射線漏れ事故
原子力船母港設置反対動向 一九六七年一一月
新時代を運ぶ原子力船 一九六八年一月一日
原子力船にふさわしい名前を 一九六八年一二月一日
わが国初の原子力船が進水 一九六九年六月一日
原子力船、連絡船が初入港 一九七〇年七月一日
「むつ」やはり設計ミス 一九七四年一二月一日
事故前後の諸団体の活動
「むつ」をめぐる諸問題 一九七四年八月一一日
原子力船むつ関係略年表 一九七五年七月
「むつ」問題を解明する 一九七六年六月一〇日
「むつ」を考えるシンポジウム 一九八四年三月二四日
むつ小川原巨大開発
むつ小川原開発計画
むつ湾・小川原湖巨大開発の胎動 一九七〇年四月二〇日
むつ小川原開発第一次基本計画 一九七二年六月八日
むつ小川原開発第二次基本計画 一九七五年一二月二〇日
むつ小川原国家石油備蓄基地の建設 一九七九年一一月二二日
むつ小川原国家石油備蓄基地の完成 一九八五年一二月一三日
六ヶ所村民の動向
むつ小川原開発と六ヶ所村の人びと 一九七五年一月二〇日
むつ小川原開発に関する座談会 一九七三年一月三一日
くらしの移り変り 一九八〇年三月一五日
私の育った村 一九八三年一二月二七日
新住区移転者が語る開発後遺症の証言 一九八二年一一月~八三年九月
核燃料サイクル施設の建設
原燃サイクル施設立地協力に関する基本協定 一九八五年四月一八日
核燃五者が協定書に調印 一九八五年四月一九日
反核燃の日全国集会 一九八九年四月一〇日
 
第五章 農林漁業の振興と変容
農政の展開と稲作
農政と農家経済
本県の景気と農家のふところぐあい 一九五五年一月
弘前大学農学部の発足 一九五五年七月一八日
農業経営に関する意識調査 一九六五年一二月二七日
津軽地域の農業の動き 一九六七年一月
農業システム化構想 一九七一年二月一日
米の増産
作付品種の変遷 一九六七年二月
本県における保護苗代普及状況 一九六七年二月
稲作収入の増加で潤った農家経済 一九六八年一二月一六日
米生産総合改善パイロット事業 一九六九年一一月一日
田植機を使った水稲栽培 一九七二年二月一日
青森県産米の評価 一九七三年九月
良質米生産推進運動 一九七九年二月
反収・日本最高を記録 一九七九年四月
米価闘争と転作対応
米の予約売渡制度 一九五九年一一月一日
米価問題に関する農業者の真意と農業会議の見解 一九六六年五月二五日
昭和四十三年の米価運動 一九六八年九月五日
銘柄米に県の奨励金支給 一九七三年一〇月一日
水田利用再編対策 一九七八年四月一日
りんごの生産・販売・加工
指導・生産・経営
青森県りんご育種同好会設立趣意書 一九五三年一月一五日
現在の危機要因と心構え 一九五六年一月
三〇〇〇万箱時代来る 一九五九年一月一日
低迷続けるりんご収益 一九六五年六月七日
普及指導体制の整備 一九六七年一月
ふじの増産 一九八〇年一〇月七日
スターキングの興隆と転落 一九八三年一一月一五日
「ふじ」の命名登録 二〇〇〇年八月三一日
宣伝・販売・消費
青森りんご宣伝報告書 一九五二年
本年産りんごの販売計画 一九五七年一〇月一日
ダンボール箱利用の手引 一九六一年八月
りんご専用列車の増発 一九六一年八月一五日
りんごの歌で宣伝展開 一九六三年八月二五日
三〇〇〇万箱生産の実力と販売体制 一九六六年二月一五日
農協共販の実態調査 一九六六年三月
販売問題の改善方針 一九七五年九月
加工
りんご加工業の現況と問題点 一九五八年三月
本県におけるりんご加工の実態と対策 一九六五年七月二一日
新設りんご加工場の操業 一九七三年二月一日
新時代をむかえたリンゴ加工 一九七六年一〇月一日
畜産振興と野菜の産地形成
畜産の振興
昭和三十三年度鶏卵生産費調査成績 一九六〇年三月二〇日
第三次畜産振興計画 一九六一年九月
農耕馬から競走馬へ 一九六二年一〇月二〇日
本県肉用牛の評判 一九七三年三月一日
下北半島に大規模畜産基地 一九七四年七月一日
畜産にかける町づくり 一九七五年六月一日
集約酪農の導入
酪農経営係の事業概要 一九五五年
牛乳の生産と消費 一九六二年三月
生産者乳価値下げ問題 一九六三年一〇月二七日
酪農近代化基本構想 一九六七年一月
畑作と野菜の産地形成
八戸市における園芸作物 一九六二年三月
てん菜の導入 一九六二年五月二〇日
畑作物の概要 一九六三年三月
畑作振興の方向 一九六九年八月一日
市場における青森ナガイモの評判 一九七二年四月一日
青森県野菜振興計画 一九七七年一月
造林と開発
林政統一と国有林
ひば林雑感 一九五四年一月一日
林政の一元化 一九五七年七月二〇日
森林増産の問題点 一九五七年九月一日
拡大造林
青森県の造林計画 一九五九年一〇月一日
青森県林業の重点施策 一九六〇年三月一日
青森県の林業諸問題 一九七八年一月一日
開発から環境保護へ
青森のブナ 一九八九年一月一日
開かれた国民の森林へ 一九九九年二月二五日
屋久島から白神山地へ 二〇〇二年
漁業の構造変化
青森県漁業の特質
沿岸漁業構造改善のしおり 一九六三年三月二〇日
漁船漁業の将来 一九六四年一一月一〇日
水産振興政策
青森県水産業振興基本計画 一九六四年八月
第二次青森県水産業振興基本計画 一九七二年九月
第三次青森県水産業振興基本計画 一九八二年三月
漁港の整備
青森県漁港の現状と対策 一九六二年七月二〇日
青森県内の漁港整備の課題 一九六六年八月一日
二〇〇海里体制への対応
二〇〇海里時代に即応した漁業振興 一九七八年五月一日
 
第六章 交通体系の整備と観光開発
国鉄の時代
国鉄の黄金時代
青操 発足して三五年 一九五九年一〇月一一日
きょうから「はつかり」運転 一九六〇年一二月一〇日
年末遠距離客の実態調査 一九六八年一月二四日
国鉄近代化・合理化
近代化へ大きく前進 東北本線待望の全線複線電化 一九六八年一〇月一日
動きだした貨物の新拠点 一九六八年九月二二日
鰺ヶ沢駅も貨物取扱廃止へ 一九八二年六月
赤字線の現状 国鉄東北支社管内 一九六八年一一月三・五日
特定地方交通線の選定について 一九八一年八月一八日
連絡船から青函トンネルへ
現場長会議における青函船舶鉄道管理局訓示 一九七一年五月
五三・一〇ダイヤ改正による船舶輸送 一九七八年
青函連絡船 斜陽化は避けられぬ運命 一九七九年四月三日
青函海底トンネル 津軽半島から設計し直し 一九四六年二月二八日
青函トンネル来年開業 連絡船は全廃 一九八七年四月二四日
民営鉄道と地域社会
赤字線、私鉄が肩代わり 青森の国鉄・黒石線 一九八四年四月六日
民営化後の大畑線・黒石線の現状と課題 一九八九年八月三〇日
南部縦貫鉄道千曳・野辺地間敷設免許申請書 一九六七年五月一日
東北新幹線に係わる南部縦貫鉄道の活用について 一九七五年三月一三日
十和田観光電鉄事業計画の大要披露 一九六四年四月二八日
南部鉄道機関車と動車を購入す 一九六七年一〇月二日
南部鉄道軌道部門廃業決める 一九六八年五月一九日
南部鉄道への送別のことば 一九六九年三月三一日
八戸臨海鉄道株式会社の設立 一九七〇年六月二五日
陸路・航路・空路
道路整備計画から東北縦貫自動車道へ
一級国道にふさわしく 一九六〇年九月二二日
塗りかえられる交通地図 一九六二年四月一三日
建設省が新道路五カ年計画 一九六三年三月二六日
東北自動車道の促進を 一九六三年五月一五日
整備される道路網 一九七三年七月一日
北海道を結ぶフェリー航路
津軽海峡とフェリーボート 一九六三年四月一日
車両の往来ぐんと増 一九六五年二月一日
東日本フェリーの独占 一九六七年五月一二日
伸びるフェリー航路 一九六九年七月七日
フェリーのメリット調査 一九七四年八月一〇日
八戸―苫小牧にフェリー免許を申請 一九九二年三月
青森空港と新青森空港
空に伸びる交通網 一九六五年一月一日
平地へ移転の意見も 一九六八年二月三日
伸び悩む鉄道利用 一九六九年一二月七日
新青森空港位置、青森・浪岡地区に 一九七九年九月一日
通年運航に入った青森空港 一九八二年二月
自然公園の観光と開発
十和田八幡平国立公園
県内自然公園事業の概要 一九六五年三月
下北半島国定公園
国定公園候補予定地の予備調査 一九六三年八月五日
国定公園予定地の区域と計画案 一九六六年五月
下北半島国定公園候補地と県鉱業会 一九六六年五月二〇日
津軽国定公園
『国際岩木・十和田ライン』創刊号 一九五五年八月二〇日
国定公園指定と県立自然公園の解除 一九七四年一〇月一九日
県立自然公園と開発
県立公園の整備と県費助成 一九五七年一二月二三日
種差海岸県立自然公園計画案 一九六九年二月一日
公園計画案についての回答 一九八二年二月九日
 
第七章 変貌する社会と労働・福祉
労働運動の展開
労働争議
青森県における争議解決 一九五八年八・九月
弘南バス争議
弘南バスの全面スト 一九六〇年五月一四日
弘南バス労組の闘争 一九六一年四月二〇日
弘南バス争議の解決 一九六〇年七月九日
フジ製糖争議
フジ製糖労組青森支部の時間外拒否闘争 一九六七年一月一〇日
フジ製糖青森工場の休業 一九六七年三月二四日
十鉄争議
十鉄労組二四時間スト 一九六九年七月九日
十鉄争議初の団交 一九六九年七月一三日
十鉄争議の経過 一九六九年七月一五日
十鉄争議の解決 一九六九年八月一二日
集団就職と海外移民・出稼ぎ
集団就職
学校卒業者と県外就職 一九五三年七月一〇日
臨時列車で六百余名 一九五四年四月一日
別れのベルに頬紅潮 一九五四年四月六日
青森県の集団就職 一九六三年六月九日
海外移民
大志を抱きブラジルへ 一九六〇年八月一日
ブラジルの印象 一九六一年六月一日
出稼ぎ問題
出かせぎ労働者 一九六四年一二月
出かせぎ専業型と夏型出かせぎ 一九六七年二月一日
出稼ぎ文集
子どもたちと出稼ぎ 一九七九年八月一日
出稼ぎ文集『さかのまち』 一九七四年七月一五日
衛生対策の概況と普及活動
へき地医療
へき地医療の概況と対策 一九六八年一二月一日
母子衛生
農繁期の赤ちゃんの育て方 一九六三年一二月一日
保健婦の活動 一九六七年八月一日
食品衛生
食品衛生現場の実態 一九六三年九月一日
食品衛生指導員の活動 一九七〇年一二月一日
環境衛生
高度経済成長期の環境衛生事情 一九六三年九月一日
廃棄物の不法投棄 一九七八年六月一日
新県立中央病院
県立中央病院の新築移転 一九八一年一〇月一日
高度経済成長期の女性たち
女性をめぐる環境
過労にあえぐ農村婦人を訪ねて 一九五三年七月一〇日
カッチャまめしく大切に 一九六七年一月一日
地域に根ざす保健婦活動 一九七六年一〇月一日
県内婦人の現状 一九八二年三月一日
女性をめぐる政策
母子世帯の実態と母子福祉資金の活用状況 一九五九年八月一日
売春防止特別活動のねらい 一九六一年二月一日
つとめ人のおくさんも国民年金を 一九七一年八月一日
婦人の地位を高める 一九八〇年七月一日
女性の生き方をめぐる論
男女同権の再検討 一九五九年三月二五日
婦人とコミュニティ 一九七八年九月一日
 
第八章 北国の暮らし
豪雪を生きる
「北」に生きる
棟方志功「ふるさとの少年少女のみなさんへ」 一九五一年一一月二一日
雪国の生活
雪国の生活 一九七九年六月~八〇年六月
克雪
雪の克服と活用 一九七九年一一月一日
青森県を襲った大災害
地震と津波
十勝沖地震 一九六八年五月一六日
日本海中部地震 一九八三年五月二六日
チリ津波 一九六〇年五月二四日
水害
昭和三十三年大水害 一九五八年七月~九月
水害対策と河川改修 一九六五年一一月一五日
雪害
昭和五十二年豪雪 一九七七年一~二月
県の除雪計画 一九七五年一二月一日
大火
白銀大火 一九六一年六月一日
三沢大火 一九六六年一月一一日
冷害
昭和五十一年冷害 一九七六年
新生活と住環境の変化
生活の近代化と生活設計
白書と生活への反省 一九六〇年一二月二二日
減る一方、本県の農業人口 一九六二年二月一五日
生活水準は年々向上 一九六八年六月二四日
生活設計をたてて豊かな暮らしを 一九七〇年一月一日
新生活運動と伝承生活の改変
新生活運動に想う 一九五七年一二月一五日
マイホーム主義の意義 一九六七年七月一五日
変化する家族構成 一九六八年六月二五日
コミュニティ活動を進める上での問題点 一九七九年一一月一日
住宅事情と住宅対策
住宅難を緩和できぬか 一九六〇年六月二九日
夢のベッドタウン誕生 一九六三年九月二八日
地価高く、住宅難続く 一九六五年八月四日
評判呼ぶ農村住宅 一九六八年一月七日
これからの住宅対策 一九七六年一〇月一日
生活の諸相
高まる一方 自動車ブーム 一九六一年一〇月二八日
王座は石油ストーブ 一九六一年一一月二八日
共かせぎと〝カギッ子〟 一九六六年一二月一五日
急増する消費ローン 一九六八年三月一八日
町からゴミを締め出そう 一九六八年七月二二日
石油危機と県民生活
石油危機と県内の状況
清酒業界にシワ寄せ 一九七三年一〇月二七日
文庫本 お前もか! 一九七三年一一月五日
お役所は〝耐乏姿勢〟 一九七三年一一月九日
買いだめ奨励とは!! 一九七三年一一月一七日
どうなるの?物価高 一九七三年一一月二〇日
津軽にも〝モノ不足旋風〟 一九七三年一一月二四日
トイレットペーパー 県内でも深刻化 一九七三年一一月二五日
八戸市の「節約相談室」 一九七三年一二月二二日
グラフで見る今年の灯油価格 一九八〇年一二月一〇日
物価と庶民の生活 一九八一年八月一〇日
石油危機を語る声
ドラムかんも買えとは 一九七三年一一月七日
物価高に〝怒りの声〟 一九七三年一一月二一日
暮らしにくい世相だが 一九七三年一一月二一日
中年婦人の立場 一九七三年一一月二七日
ねあがり 一九七四年八月二〇日
不景気な世の中 一九七五年二月
消費行動の変化
青森銀行の進展とみちのく銀行の誕生
青森銀行本店の新装開店 一九七〇年七月二一日
みちのく銀行の誕生 一九七六年一〇月一日
百貨店・スーパーマーケットの展開
丸美屋デパート 一九五八年七月一〇日
これからのスーパーストア 一九七〇年六月一日
地域社会とともに伸びる百貨店 一九七二年三月一日
消費者問題の発生
今年かぎりの尺貫法 一九五八年一月一日
全店にメートル法を実施 一九五八年三月一日
明るいくらしは貯蓄から 一九五八年三月一日
電気用品はマークのあるものを 一九六三年三月二〇日
お買物をする際の注意 一九六八年一二月一日
上手な買い手になるために売り手の特徴をおぼえよう 一九六九年四月一日
恐ろしい食品添加物 一九七〇年二月一日
冷蔵庫の買い方・使い方 一九七〇年七月一日
県消費者生活センター開所 一九七一年一〇月一日
電気冷房機の買い方・使い方 一九七二年八月一日
 
第九章 転換期の教育
初等中等教育の展開
進学率の向上
高等学校生徒急増対策 一九六三年
本県中卒者の進路状況 一九六九年九月三〇日
本県における定時制教育のあゆみ 一九七一年八月
実践の取り組み
学校給食一〇年のあゆみ 一九五八年一一月二五日
可能性にいどむへき地教師たち 一九六七年一〇月
学校文集と教育
文集活動からみた作文教育 一九五四年三月二一日
寺山修司「林檎のために開いた窓」 一九五四年三月一二日
日本一をめざして
決勝再試合で三沢高校破れる 一九六九年八月一九日
全国演劇コンクールで八戸北高校が最優秀 一九七四年七月二七日
小中野小・弘大附小こども音楽コンクールで日本一 一九七六年三月二六日
全国スキー大会で東奥義塾高校が総合優勝 一九八二年二月一四日
八戸高専の誕生
高専の八戸市誘致運動
県都青森市の大学事情 一九六一年三月九日
八戸市に国立工業短大を設置する意見書案 一九六一年五月二九日
高専の青森市誘致運動
五年制国立高専設置に関する陳情書 一九六一年七月
八戸市民は怒る 一九六一年七月一三日
県議会の対応
高専を青森県に設置する意見書案 一九六一年七月二六日
国立工業高等専門学校誘致特別委員会の設置 一九六一年七月二六日
高専誘致場所の採決 一九六一年八月二一日
文部省の決定
国立高専、八戸に決定 一九六三年一月一一日
青森市に国立商科大学を設置する意見書案 一九六三年三月二〇日
高専誘致特別委員会委員長報告 一九六三年三月二〇日
社会教育の変貌
社会教育の曲がり角
社会教育も曲がり角 一九六一年三月
苦悩する社会教育 一九七七年四月一〇日
新しい社会教育施設
少年自然の家 一九七一年二月
県立郷土館の概要 一九七三年八月
青年の家 一九七四年二月
青年教育の苦悩
激動するむら・まちの青年教育 一九六九年三月
新しい学級・講座
三歳児の家庭教育相談 一九七四年五月
成人学校を開講 一九六八年四月五日
社会教育における放送利用 一九七〇年三月
大学講座 一九七七年六月
教師と社会教育
社会教育と教師の立場 一九六七年八月
 
第十章 多様化する民衆生活と文化
若者運動と大学紛争
津軽地方の動向
反戦フォーク集会 一九六九年八月一五日
青森反戦行動委員会 一九七〇年四月三日・六月一二日
週刊べ平連 創刊号 一九七〇年五月二三日
反安保闘争県内情勢 一九七〇年六月一二日
南部地方の動向
八戸地区における平和団体の動向 一九七〇年二月二一日
青森反戦グループの三沢基地闘争 一九七〇年三月二九日
反戦グループによる三沢基地内の行動 一九七〇年五月一六日
反安保タイムス 一九七〇年六月二一日
弘大紛争
一〇・二一統一行動弘大集会 一九六八年一〇月二一日
こんみゆん 号外 一九六九年九月六日
座談会「弘大紛争を語る」 一九六九年九月一五・一六日
一人ひとりが創意と自立を! 一九七〇年五月一日
芝生「安保」を考える会創立宣言 一九七〇年五月二九日
血と和平は両立しない! 一九七二年一〇月二一日
都会化する娯楽
都市部の娯楽
青森ボーリング・センターあす開場 一九六六年一〇月三一日
「中三青森店」十日オープン 一九七四年五月七日
映画「八甲田山」と青森県ロケ 一九七七年五月一二日
「ハイ・ローザ」二十日オープン 一九八〇年三月七日
帰省・観光客が狙いの土産品とデパート 一九八五年七月二九日
むつ松木屋で「大会津展」開催 一九八六年一一月二一日
新しい娯楽空間
八戸遊園地の計画 一九五八年七月一二日
碇ヶ関温泉のプール完成 一九五九年七月二九日
農村地域と掘削温泉 一九六八年四月九日
青森市幸畑団地の小公園 一九六八年七月一二日
黒石サニーランドオープン 一九六八年八月二日
はまなすライン遊園地の構想 一九六九年一月二〇日
軍馬平にゴルフ場誘致を決議 一九七〇年八月一五日
第一回むつ湾国際級ストックカー決勝レース 一九七二年七月三日
八戸シルバーランドの計画 一九七三年五月九日
県内初の本格的コースター誕生 一九八三年四月三〇日
ふるさとの行事・催事
開市三百年祭記念行事としての八戸三社大祭 一九六五年八月二四日
十和田湖水祭り 一九六六年七月八日
野辺地町の秋祭りを「夏まつり」へ 一九六七年四月一七日
南黒地方の夏まつり 一九六八年八月一一日
脇野沢村の夏祭り 一九六八年八月一八日
藤崎町の第一回灯籠流しと花火大会 一九六八年八月二三日
大鰐温泉の第二回納涼花火大会 一九六九年七月二六日
万博の〝青森県デー〟 一九七〇年七月二二日
名川町の第一回花火・盆踊り大会 一九七一年八月一四日
六ヶ所村の第一三回村民体育大会 一九七八年八月一六日
八戸みなと祭第一回花火大会 一九八一年七月二八日
百石町の第一〇回花火大会 一九八一年八月一六日
福地村のあかね祭り 一九八二年八月一九日
小川原湖ふたつの湖水まつり 一九八八年八月一日
テレビの登場
青森のテレビ時代と家庭 一九五九年三月二五日
鷹森山のテレビ塔 一九六二年八月五日
黒石劇場のおわり 一九六八年七月一日
全国化する青森文化
イタコとキリスト
恐山祭典 開山以来の人出 一九六二年七月二三日
低く流れる〝口よせ〟 一九六四年七月二一日
初日一万人の人出 一九六八年七月二一日
三万の人出でにぎわう 一九六八年七月二三日
キリストは日本に生きていた 〔一九六〇年代〕
津軽三味線
高橋竹山、一九七五年十二月公演スケジュール 一九七五年一二月一日
高橋竹山のアメリカ公演パンフレット 一九八六年九月一九日
「沖縄ジャン・ジャン」ラストコンサート 一九九三年一一月
ヒバとブナ
木の美しさを持つブナコ 一九六八年一二月一日
新製品の開発にとりくむ 一九七二年七月一日
デザイン・イヤーと津軽工芸品 一九七三年一〇月一三日
ヒノキチオール 一九七三年一一月二〇日
特産品づくり任せて!! 一九八四年六月二二日
あすなろ国体
五十二年青森国体決まる 一九七二年八月三日
秋季国体の成功を望む 一九七七年一〇月一日
県民運動 一九七八年三月二〇日
青森国体の歌 一九七八年三月二〇日