昭和の子
はじめに
序章 生まれる前の昭和
日露戦争と尻取り歌
満州事変と叔父の戦死
市民葬の盛大に驚く
第一章 銃後の子どもたち
運動会のような軍旗祭
グラマンに三度襲われた
山本健吉の機銃掃射体験記
第二章 子どもたちの八月十五日
灯火管制が解かれた日
「八月十五日」の記憶
同世代でも違った軍国教育
〝ミソッカス〟たちの二面性
「少年H」の欺瞞
「遅れてきた青年」たちの決起
第三章 「戦後」のはじまり
「奉安殿」が消えた
「終戦は敗戦」と教えたら
黒煙あげる武装解除
独立記念祭のカレーライス
墨塗り教科書の記憶
食糧難と母の奮闘
「あれは私の帯だった」
銀シャリ泥棒のトラウマ
第四章 カオスのなかの新制中学
間借り校舎を転々
日本じゅうにラジオ少年がいた
映画「原爆の子」と広島訪問
「あの優勝が自信になった」
第五章 民主主義のレッスン
「逆コースのなかの人事異動」
前文部大臣にかみつく
伝説の新聞部と「赤い新聞」
〝幻の八号〟焼却事件
初心なマルクス・ボーイたち
「わだつみ会」から始まった
歌声運動とフォークダンスの熱狂
大学生たちの帰郷活動
生徒会は民主主義のレッスン?
アメリカ文化受容への嫌悪
第六章 「六〇年安保」のかすり傷
大学よりアルバイトが面白くて
カルチャーショック
胃袋におさまった「古典文学大系」
樺美智子、死の衝撃
デモの渦のなかで
浅沼刺殺の日の面接試験
「社旗をつけた外車?」
二転三転した初任地
「フラガール」の町で
「村がおれたちの中央」
二度目の入社試験
第七章 熊本の駆け出し記者
「うっ魂がった」凶悪犯逮捕
議場の日本刀騒ぎ
バス運賃値上げの裏事情
ツケを払わされた地方政治
「わたしゃ、逃げも隠れもせん」
〝ブル新〟と嫌われても
佐世保、騒乱の一週間
第八章 水俣病事件に出会う
『苦海浄土』にうちのめされ
メディアの大キャンペーン
市民不在の合同慰霊祭
「市民の世論に殺される!」
「何とかしなければ」
補償処理委会場を占拠
「わからんじゃろ、俺が泣くのが」
終わりなき水俣病
第九章 社会部と学芸部を往復
ハイジャック事件の憂鬱
団塊世代からの矢文
〝言葉狩り〟にあらがう
印象に残る人たち
美術記者、田中幸人のこと
出戻り社会部の異端児
「当世食物考」の反響
タイトな取材「鉄冷えの街」
第十章 もの狂おしき長崎の夏
風化する原爆と戦争
「大正生まれ」の歌
自決したふたりの遺書
知事選の舞台裏が見えた
戦艦大和発見の特報
第十一章 天災のあとの人災―長崎大水害
「災害は一報より大きくなる」
「見殺しですか!」
被災者が求める情報は?
天災のあとから人災が
第十二章 地平に沈む「赤い夕陽」
地平線から昇る太陽
たったひとりの慰霊祭
ハイラルの残留孤児
切れた細い糸
第十三章 昭和の終焉と普賢岳噴火
トマトを追う編集委員
「やっと時代と出会えた」
昭和の終焉とXデーの過剰報道
同僚のみこむ雲仙岳の火砕流
危険回避と報道の使命
最低だったメディアへの評価
第十四章 出版不況下の地方出版
久本三多、作兵衛の炭鉱画に出会う
「×もあった」が承継を決意
『水俣病事件資料集』で毎日出版文化賞
出版不況、負のスパイラル
『逝きし世の面影』の反響
『名文を書かない文章講座』のブレーク
「社長解任、全従業員退社」
「葦書房の灯を消すな」
終章 帰郷、それから
〝親不孝の負い目〟から
「ものぐるほしく」なる八月
「紅旗征戎わがことに非ず」
「戦後民主主義」は虚妄だったのか
あとがき
参照したおもな図書