昭和十六年生まれ
昭和十六年生まれについて(真崎守)
幼年時代
年表
開戦の年に生まれて
軍艦マーチをBGMに
軍歌を子守唄に
戦争は経験していない
上を向いて歩こう
一回りちがった父と母
東條演説に産気づく
真っ赤に燃えた空襲の町
雑居生活のはじまり
飼葉桶のトイレ
弱くなった父、強くなった母
狩猟採集民の餓鬼体験
食える時に食いだめる習慣
「盗み」をはたらく
においガラスの宝物
5歳の引揚者(田村二葉)
小学校時代(小沢研一/桶山乃ぶ子/石田謙司/田宮裕三)
年表
農村の小学生
農業国日本の子
村というものの型
受けつぐべきもの
小、中学合同木造一棟
手伝いに明け暮れる
タバコ作りと季節感
自然との遊び―ドジョウとり
イモごはん、カボチャごはん
町の流行が入ってきた
「こづかい帖」から見る私の小学生時代
黒いブルマー時代―女の子の場合
フェルトのランドセルと木口の手さげ袋
ゴム靴の配給
DDTと回虫
遠足とは歩くことなり
学校貯金
きれいな言葉を使いましょう
ゴムとび、ホオズキ、つみ草
一番はじめは一の宮
ビニールのひも編み
ガムがわりにかんだ草
シュミーズとズロースで水遊び
松ぐみと蜂の子
真新しいポックリ下駄
「すきです」と書いたハガキ
サーカス
「リボンの騎士」たち
左側通行から右側通行へ
ジロリンタンと小鳩くるみ
美空ひばりとあんみつ姫
前進座の文化活動
バレーとピアノ
「緑の山河」
遊び―ガキ大将になれなかった者の記憶
水雷本艦
ジャンケン
手つなぎ鬼
ケン玉
遠足ごっこ
町人落とし
ダンゴ割り
ビー玉
メンコ
グリコ・チョコレート
パイナップル
ダルマさんが転んだ
鉄ゴマ
五かん当て(マリぶつけ)
まりつき
おはじき
八十八夜
机上戦争ごっこ
将棋
大統領・福大統領
「ニク!」とシッペ
父のいない戦後(明智洋一郎)
おはなをかざる、みんないいこ
男女共学一年生
「ひらがな」ではじまる
民主主義のおんがく
おはなをかざる、みんないいこ
姿をかえた「ひのまる」の歌
なにもないところからスタート
「お下がり」か「お古」を着て
幼稚園も七五三も無し
腹いっぱい食えればよし
中学・高校時代(山田昭夫/小沢研一/宮本直)
年表
世の中、そうしたものさ
「不信」その種はここから
造船ギゴク事件
「乱闘国会」の与えた暗示
「おこたえいたします」
農村の中学生
新校舎
「お富さん」の意味するもの
テレビと文庫本
ガリ切りと新聞信仰
東京への修学旅行
少数の進学者、あとは決まっている
漁村の中学生
稼業をのがれるために
母の再婚と養父
田舎秀才
代用教員出身と柔道
ヘロホイニトハ
写真の現像
女の子と口がきけない
農村出身組の運命
豚のための残飯集め
私のルーツは“百姓”
分かれていく人生―同級生のこと
農村からの脱出
荒れた故郷を思って
孤独な郷里の親をどうしよう
ベストセラー『療養の設計』(竹島恭子)
大学時代(安堂礼)
年表
“安後派世代”の意識
『悲の器』の視線
オレは、生きてるゾー
観客に徹すべし―第一次シラケ
痩せた大江健の“われらの時代”
“実存主義”の時代
「きょう、ママンが死んだ」
“不条理という呪文”
喫茶店でのドストエフスキー
アルジェのムルソー像―白熱の虚無
実存主義読書法
『濠渠』と風車
“非日常”願望
“同人雑誌”ばやり
教祖との面会
語学オンチ
灰とダイヤモンド
“道場”としての映画館
「日本読書新聞」時代
表現力ナシの世代
アテネ・フランセの雰囲気
“中退”組
文学なぞ、学問ではない
“マルロー党”と“三島党”
小説『美しい星』
「自己韜晦」のポーズ
吉本、埴谷、福永、原民善
中井英夫、ウィルソン、ジュネ、etc
アカシアの雨がやむとき
トリスバーのハイボール
西田佐知子のハスキーヴォイス
“視姦”の日々
そして、今(中条新)
せいぜい“課長代理”の古参兵
太平楽の就職だったが
“すごぶる”付きの現実派
命とりの「適応能力」
末は“大家さん”
「ああ、やっぱりな」の低成長
上がつかえております
“むなしく若い”感じ
何ものにもなれない万年ワキ役
座談会 昭和十六年生まれの生活と意見
女房は起きて待っていない
ビールのんで、プロ野球ニュースみて
「ぶら下がり器」買って
目覚めが早くなった
ベッドは別々に
女房もつきあう寝酒
消化器の病
テレビは野球と洋画だけ
世代のちがう女房
Gパンなんかはくか
女房に着せられたパジャマ
本読む時間はムダ
読むのは新聞だけ
上司の好きなキャバレー
切に若い女と遊びたい
期待されない夫です
座談会後記 育った家とは異なる“わが家”
昭和十六年生まれ人名簿
編集後記