昭和八年生まれ
昭和八年身の上ばなし(半村良)
幼年期
昭和8年(0歳) 昭和20年(12歳)(橋本梁司)
年表
「コノヤヤコ ノダツンダベカ」
六百八十匁のいのち
「オレってやつはまあ」
いつもいつもはざかい期
“相対主義のオジン”
霜焼け、水腫、扁桃腺
古いグラフ雑誌のページをめくる
漢字を覚えるのが得意だった
オワイ屋の匂いとともに
土ぼこりの多い新興住宅地
幼な友達―ジュンちゃん
本を目当てにスミちゃんの家に通う
赤いちゃんちゃんこ
裏庭の小便器におっこちて
女の子の遊び(守屋明子)
紀元二六〇〇年の一年生
歌唱は乙
祖父の髭をあたる母の記憶
昼休みの校庭
男女の川は負けるばかり
活動写真・徳川夢声
遊びのテリトリー
藤田中佐の家
“軍艦マーチ”から”“海ゆかば”へ
防火訓練
式典の日(依田好照)
縁故疎開・第一号
丘の上の小学校
悲しい都会っ子
にしゃとおめさん
「なんだ、このぜいごっぺ」
手旗の縫い目
村の子の遊び
冬の朝
二度とご免蒙る(日窪一志)
ドジョウとり、ウナギとり(伊藤栄邦)
二十年の春と夏
農家の家の子に負けないほど働く
ぺんご橋
戦死者たち
国体は護持されました
教科書に墨を塗る
大空襲まで(藤本純助)
十一歳の覚悟・集団疎開(島田友紀枝)
東京に帰ってはきたが
疎開帰り
上野駅
進駐軍のクリスマスツリー
焼け野原
お山の杉の子
食糧欠配
少年期
昭和21年(13歳) 昭和23年(15歳)(依田好照)
年表
転換期の「少国民」
八月十五日の昼と夜
父帰る
ゆがんでゆく天皇像
わかれ道
中学受験の準備
とまどう教師たち
疎開っ子と地元の子(依田好照)
旧制中学入学の頃
中学へ入学する
超満員電車
オトナに見えた上級生
異色の教師たち
戦時・中学生日記(伊室正三)
アメリカ文化の受けとめ方
“カム・カム・エブリボディ”
『リーダーズ・ダイジェスト』
黄色いグローブ
『ブロンディ』
「戦後民主主義教育」のなかで
「旧制」から「新制」へ
一冊の教科書
「理念」として「原理」として
『鐘の鳴る丘』
思春期
昭和24年(16歳) 昭和26年(18歳)(服部玲子)
年表
セーラー・モンペ・下駄ばきで・・・・・・
女学校入学
「お母ちゃん」から「お母様」へ
解放感と空腹感
中学から高校へ
「アカ」と「特攻」
「警察予備隊」
日本の安全はアメリカが保障してくれる
高校生の東京一人暮らし(高井則夫)
ホームルームのうるさ型
学級編成
週五日制
優等賞廃止
評価が五段階になる
教師いじめ
生徒の自治
多数決民主主義
夜間高校生の昼間の仕事(山県旭)
性のめざめ
初潮の頃
チャタレー
エス全盛期
修学旅行の思い出(森山美代子)
進学・就職・家庭・女
進路
分かれていく人生
修学旅行
感傷のるつぼとなった卒業式
青年期
昭和27年(19歳) 昭和32年(24歳)(穂積茂)
年表
美校の狭き門
浪人時代
下駄の音
名画鑑賞散歩
美校生と呼んでほしい
大学生活
上野公園
金欠女子大生(服部玲子)
飲み、かつ歌い、青春
モデルのこと
酒の味
芸大になったらだめになった
婚約披露
原水爆禁止運動
社会派の歌声
芸術祭
男性モデル
絵画展
「なんとかなるさ」私の生活実感
アルバイト
雨ふり映画館
就職試験におちる
専攻科に進む
苦しい生活
もう一間あったらなあ
女子学生が過ごした芸大(青葉潔美)
新宿花園町(大山太郎)
その後
昭和33年(25歳) 昭和55年(47歳)(春山ヒロシ)
就職試験の夢をみる
各社、採用、若干名
ヤケッパチの「どうにでもなれ」とう気分
“下手な鉄砲も数打ちゃ当たる”か
夜行を使っての就職試験
試験の帰りに映画『居酒屋』
友人たちの就職先
昭和三十年代に賭けた夢
記者駆け出しのころ
赤線の幹部と接触
話が済んだら上がっていきな
遊び代のピンとキリ
時代の花形“事件記者”の時代
所得倍増計画に沿って威勢のいいことばかり
太郎よ、日本は大きくなったぞ
元戦士の対日感情
われわれは“苦労知らず”か
昭和三十年代の独身生活
団地にあこがれる
単身アパートに入居
安い家賃は魅力
テレビはまだ珍しかった
“オイちゃん”の店の草団子
場末に住んだつもりが・・・・・・
娯楽は映画だけとう時代
嵐を呼ぶタフガイとわれらが青春
アラン・ドロンスタイル
よく言えば純情なのです
マイホームの履歴書
最新鋭の赤羽台団地に入居
セントラルヒーティングの社宅住まい
畑の中の建売住宅
家一軒百八十万円でした
都内の古い家へUターン
鉄筋三階建で死ぬまで暮そうと
悲しいかな、この習性
もったいない、まだ使える
時代が違うよ
チラリと目がいくクセ
教養の質の断絶について
植木等の無責任社員に近かったな
マイホーム・パパではない
健康について
客観的に見てどうか
昭和八年生まれ人名簿
編集後記