図書ガクトヘイ ノ コウクウ ケッセン000060980

学徒兵の航空決戦

サブタイトル1~10
日本の名機とともに生きた青春
編著者名
佐々木 晃 著者
出版者
光人社
出版年月
2006年(平成18年)12月
大きさ(縦×横)cm
20×
ページ
341p
ISBN
NDC(分類)
916
請求記号
916/Sa75
保管場所
閉架一般
内容注記
文献あり
和書 展示資料
目次

まえがき

第一部 日本の航空工業技術と学徒出陣
一 日本の航空黄金時代
訪欧機「神風号」、樫村機と九六式艦戦、航研機、九七式艦攻、「ニッポン号」の登場
神風号の都市連絡飛行国際記録
神風号と欧米花形戦闘機との要目・性能
樫村三空曹の九六式艦戦、奇蹟の片翼帰還
世界記録と国際記録をもつ航研機
九六式艦戦の編隊宙返りの妙技と要目・性能
世界超一流の九七式艦攻
世界一周親善飛行のニッポン号

二 開戦とその経緯
日露戦争の記憶
海軍記念日
対馬沖海戦
日本艦隊の主力はすべて外国製
米英両国、日本海軍軍備に圧力を加える
米英両国が日本に圧力を加える理由

日米関係の悪化と米国の軍備増強
米国の大恐慌による軍需生産拡大
日米通商航海条約の廃棄
対日石油輸出禁止と両洋艦隊法
B-29重爆撃機生産準備
ローズヴェルトの政略
「ハル・ノート」
制空権と戦闘機

三 学徒出陣前夜
ドゥーリットル爆撃隊の日本本土空襲
B-25「ミッチェル」爆撃機の空襲
ミッドウェー海戦

立川陸軍航空技術研究所での勤労動員-戦闘機設計技術における日米文化の相違について 「隼」「飛燕」「カーチスP-40」の搭乗機
資材置場の最新鋭戦闘機
一式戦闘機「隼」
三式戦闘機「飛燕」
古典『吾妻鏡』と日本戦闘機の特徴

陸軍特別操縦見習士官の募集
決意を固める時
適性検査に不合格
検査に再挑戦
スピノザの決定論

四 出陣
私と両親
父の軍部に対する批判と終戦予言
先祖の墓に詣でる

富士の裾野にて-中川大佐と学友たち
中川大佐の愛情とシューベルトの『未完成交響曲』
学友たちとの別離

五 熊谷陸軍飛行場
グライダー訓練
古参の学徒兵
最初の失敗
成績評価に対する疑問

各兵科部隊の因習
古参と新参の学徒兵の対立
古参兵の因習的暴力 VS. 合理的思考

叔父青井末義の三つの教訓
突然の帰郷
漂流、救助艦到着

起死回生
区隊長に宛てた嘆願書
古参と新参の学徒兵の立場の逆転
ヴェブレン思想への端緒

第二部 上田飛行訓練開始と磯部教官
上田教育隊
美しい自然環境、島崎藤村「千曲川のスケッチ」
初めての飛行体験

磯部教官の指導
教官の言葉に感銘を受ける

二 単独飛行-九五式一型乙練習機の要目と性能
第一次世界大戦の花形戦闘機との比較
初めての単独飛行
団扇と離陸匝瑳
ロダンの言葉
二度の離着陸事故

三 大野木見習士官の殉職
千曲川の風向き
友情が死を招く
燃料計ゼロ
追い風強行着陸

四 特殊飛行
垂直旋回、宙返り、および錐揉み
九五式一型練習機
発動機故障、黒煙吹く
錐揉みからの脱出、地上三メートルで落下傘開く
学徒兵は意気地がないのか
墜落と思われた八回転半の錐揉み

五 戦争終結予測と磯部教官
学徒兵よ死ぬな
率先垂範して難障に当たれ
高度な専門知識を平和日本の再建に役立てよ

磯部教官の戦闘記録-九七式重爆撃機とカーチスP-40との死闘
奇蹟的な体験
重慶爆撃攻撃の戦闘
マレーシアの英軍施設とシンガポール爆撃攻撃
コレヒドール島爆撃攻撃の戦闘
衝陽爆撃攻撃
六〇戦隊を去る日の思い出

六 高度記録と三角航法
高度記録
未知の世界への挑戦
大空のなかの孤独

三角航法
方向感覚を養う訓練
浅間山の異常な上昇気流
空母に似た荒船山
羅針盤の故障
九州佐賀の航空事故

飛行機と気流
巻雲と積乱雲
山岳地域の乱気流と大型機の後流

七 この空の彼方で
全員、飛行場を一周してこい
週番見習士官の責任
飯沼飛行士の事故死伝わる

八 基礎飛行訓練の終局へ向かって
編隊飛行
エア・ポケットに突入
編隊の空中衝突
海軍九三式中間練習機の編隊飛行

千曲川旅情
三機編隊の超低空飛行
秋の山岳紅葉
長野へ

初の不時着陸
発動機の不調
田圃に接地転覆
磯部教官の救援

特攻機の体当たり攻撃訓練
飛行訓練
急降下中の異常現象
特攻機の戦闘方法

飛行訓練終了試験
宙返り、急横転、上昇反転
戦闘機適任者

九 出撃前夜
初陣の空戦で三分の二が未帰還
大島見習士官の結婚秘話
帰郷命令
父ちゃんの軍刀

十 上田教育隊をあとにして
学徒兵の悲観論
航空計器用ボール・ベアリングの問題点

第三部 台南高雄沖の海空戦
一 南方戦線へ
参謀本部からの参謀の説明
海邦丸乗船
門司港から高速油槽船団出港
防火隊長
零式水上偵察機の護衛
魔の台湾海峡にて宗像丸被雷
空母「龍鳳」転進す

二 戦闘前日<一月八日>
海邦丸と駆逐艦「浜風」との衝突
輸送指揮官の訓示
マッカーサー部隊、レイテ島に上陸
三日前、二日前、一年前の戦局
米第三八機動部隊の接近

三 戦闘前夜
海邦丸修理完了、中港泊地出発
北緯二五度以南の海峡で南十字星を見る
李白作「月下独酌」の心境

四 海邦丸の戦い<一月九日>-F6F「ヘルキャット」、SB2C「ヘルダイバー」、TBF「アベンジャー」の来襲
台湾海峡の驟雨
対空監視見習士官の戦死
勇敢な水兵の奮戦
海邦丸の火災
ワグラムの戦いとナポレオンの心境
総員船から退去せよ
坂本見習士官との別れ
自分だけは生き残るという信仰
波濤との闘い
食欲に対する本能
軍刀の玄妙な光
救助艦の出現

五 高雄・鳳山・小湊にて
高雄上陸と兵站
海邦丸沈没せず
人の運命の不思議
友人たちと船員の戦死
「戦闘詳報」の大きな問題点
高雄港内海面の異変
F6F「ヘルキャット」兵站を襲う
比島からの脱出部隊
P-51「マスタング」からの銃撃

第四部 特別攻撃隊の思い出と終戦
一 特別工芸隊員に志願せよ
志願書に署名と血判
「白菊の花」との不思議な心の交流
ディドロとロダンのことば
戦艦「大和」最後の出撃と「桜花」との心の交流

二 屏東にて
「特攻隊員は臆病者」という地区司令官の言葉
米軍の特攻機対策

三 震天制空隊と小島昭男・秀夫兄弟-三式戦闘機「飛燕」の奮戦、一〇〇式司偵の世界一の高性能
山下将軍に塩を送る
見事な米軍機の爆撃

四 沖縄の空に向かって
B-29爆撃機の日本主要都市爆撃
台湾松山飛行場

B-29爆撃機と二式複座戦闘機「屠龍」との空戦
大尉少尉の体験

ある特別攻撃隊員の思い出
特攻隊員の「ハクチョウゲ」に対する愛情
米軍の特攻基地爆撃

五 少年兵の特別攻撃隊員
見習士官に対する特攻命令の撤回
少年兵に対する特攻命令

六 九州・出水の海軍特別攻撃隊-九三式中間練習機の特攻
菊水特攻隊員の体験
九三式中連特攻の米艦「キャラガン」撃沈その他三隻撃破
釜山での夜間特攻訓練
F6F「ヘルキャット」に襲われた中練特攻
二五〇キロ模擬爆弾懸吊訓練
F6F「ヘルキャット」撃墜と米軍の救助活動
山中のトンネルから特攻の出撃
長崎における原子爆弾投下

七 零式艦上戦闘機二一型
零式二一型との出会い
その塗装色について
日本文化一時代の潮流の成果

零式二一型の高性能-「英本土航空決戦」「バトル・オブ・ブリテン」と零式

零式とその登場当時の英・米・独花形戦闘機の要目・性能比較
世界一の艦上戦闘機のもつ歴史的可能性
メッサーシュミットBf109戦闘機の弱点と零式の優位
英本土上空での零式

八 花蓮にて
特別操縦見習士官から兵科見習士官へ
花蓮港地区各大隊の総合演習
ある兵科見習士官と高砂族の娘との悲恋

九 終戦
玉音放送
B-29爆撃機出現
蒋介石軍の参謀陳少佐
中国人女性からの招待
国破れて山河あり
広島市の惨状
帰郷
磯部教官のその後

付 戦後、米国へ旅して-戦闘機「雷電」二一型、F6F「ヘルキャット」、P-47「サンダーボルト」、P-51「マスタング」、零戦五二型、「疾風」(その他「桜花」「秋水」)を見る

プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館訪問
米国女性、ゼロファイターに注目
「疾風」と「マスタング」との性能比較
「桜花」に感動
「ヘルキャット」「サンダーボルト」「マスタング」搭乗記
米国技術者たちとの交歓
B-17「フライングフォートレス」を見て

あとがき
引用・参考文献および資料