一農民の手記
発刊にあたって(淡路地方史研究会長・武田信一)
序
第一章 小学校訓導時代(大正十一年~十五年)
新任の一ケ年
尾崎校時代
第二章 不景気時代(昭和四年~七年)
淡路銀行破綻
満州事変勃発
鮎原小学校時代
身辺の変動
第三章 首席訓導時代(昭和八年~十一年)
尾崎村の自力更生運動
昭和十一年度日誌より(採録) 青年学校のこと
「二、二六事件前後」
永田秀次郎氏の入閣
教育精神作興大会のこと
軍靴の響
ラジオ体操と運動週間
健康週間
二宮尊徳碑除幕式
第四章 戦時体制下の学校と隣保(昭和十二年~十三年)
昭和十二年を迎える
山名訓導の死亡と天神公会堂建築
尾崎村経済更生宣誓式
天神公会堂棟上げ
蘆溝橋事件
義弟西村正種氏の応召記録
上海戦と尾崎村部落常会
最初の町葬
尾崎最初の戦死者
南京陥落と祝賀行列
志筑町記録(昭和十三年)
昭和十三年日誌より採録
志筑の大洪水
第五章 応召と学校の作業(昭和十四年~十六年)
多数の入営
川西家葬儀と西村正種氏の帰還
社会教育への要望
尾崎村社会教育の視察
尾崎村の村葬
天神の墓地の道路拡幅工事
少年団の奉仕作業
洪水復旧工事
新校長を迎えて
学校の作業と西村家葬儀
昭和十五年日誌より採録
新学年(昭和十五年度) 物資不足、米の統制きびしくなる
天神様境内拡張工事と米の横流し事件
満蒙開拓義勇軍参加
第六章 由良国民学校時代(昭和十六年四月~十八年三月)
思い起す事など
昭和十八年日誌よりの採録
第七章 遠田国民学校長として(昭和十八年四月以降)
新学年の記録
農繁期の学校
買い出しと供出
戦時中の夏休み
戦時下の秋
親戚の不幸など
決戦期の農村の実態(昭和十九年)
危機になる戦局
弟の応召(昭和十九年四月以降) (時局が大きく動いた、弟も召集される)
児童の増産教育(昭和十九年五月の記録) 児童による増産教育、岡本の開墾
初めて警戒警報発令
病人続出
早天つづく
祖母の死去
敵機の来襲続く
敗戦・食糧難時代到来
学校退職を決意
戦後の神戸
第八章 農民生活(昭和二十一年~二十四年)
農民として
農繁期を迎えて
新米百姓の収穫
南海地震
部落長・農地委員として
諸選挙行われる
農地解放はじまる
繁忙の田植期
牛を購入・飼育する
小谷池の魚捕り
農業協同組合の設立え
弟、戦死の公報
再び部落長に
病床記
部落農会長
第九章 農地改革について
農地改革前史
地主制の最盛期
地主制の動揺
戦時体制下の農地立方
戦時農地立方
第一次農地改革
第一次農地改革の挫折
第二次農地改革の立案
第二次農地改革の発足
第二次農地改革の実施
地主側の対応
地主の法的な救済
農地改革二法の改正
農業の今後の課題
終わりに