世界一泣ける父母への手紙
まえがき―涙が止まらない感謝の心
親からもらった宝物(衆議院議員・小沢一郎)
在天の母よ、許したまえ(アサヒビール株式会社名誉顧問・中條高徳)
両親が広く伝えた「五訓」(幼少児国際教育研究所所長・久野登久子)
「もうそろそろ甘えてくれてもいいですよ」(ピンク・レディー 本名・根本美鶴代・未唯)
呼び出された高校で、教師を逆に説得した両親(セコム株式会社最高顧問・創業者・飯田亮)
校内放送で私を呼び出して映画に(ファッション・デザイナー・コシノジュンコ)
父との「おいしい記憶」(キッコーマン株式会社代表取締役会長・茂木友三郎)
「山より大きな猪は出ん」(作家・大下英治)
二人の「親父」へ(株式会社すかいらーく会長・横川竟)
父の信念「教育こそが財産」で政治を そして「政治の父」となった松下幸之助(神奈川県知事・松沢成文)
父の「暗黙の期待」(サントリー株式会社代表取締役社長・佐治信忠)
どこまでも私を信じ、案じ、愛してくれた両親(東京芸術大学学長・宮田亮平)
野球の練習のあと自分の夕食をくれた母の背中(野球評論家・山内一弘)
売れない役者時代に売ってしまった父の形見(俳優・京本政樹)
両親は「永遠の師匠」(昭和天皇最後のデザイナー、元三越日本橋本店紳士服チーフデザイナー・奥山孝夫)
外交官だった父とエジプト人の母の教え(アルピニスト・野口健)
受験に失敗した私の肩を抱き一緒に泣いてくれた父(日本生命保険相互会社上席顧問、元防衛庁勤務、名誉地政学博士・田原克芳)
「ウチの子供には勉強させないでください」と先生に頼んだ母(珠宝流家元・珠宝花緑)
般若心経と俳句の教え(元参議院議員・平野貞夫)
途中から別々に歩いた両親からの贈り物(歌手・天地総子)
亭主関白だった父の「生きがい」になった寝たきりの母(写真家・海田悠)
「求め続けること」を教えた両親(無名異焼五代目、重要無形文化財保持者〈人間国宝〉・伊藤赤水)
父のあだ名は「ゲイリー・クーパー」(トヨタグループ創業者・豊田佐吉の孫娘・岩橋佳世子)
人生を生きる「物差し」をこさえてくれた父(俳優・あいはら友子)
母の「これから、これから」の精神を受け継いで(厚生労働副大臣、衆議院議員・中野清)
夜の読み聞かせと「全国親馬鹿会会長」(語り部、かたりすと、キャスター・平野啓子)
吹雪のなか馬橇で出かけた産婆の母(東京演芸協会専務理事・原一平)
ファッションモデルだった父のおかげで入れた宝塚(俳優、元宝塚歌劇団所属・高塚瑠莉)
息子が助教授になったと信じたまま逝った母(衆議院議員・松浪健四郎)
複雑な心境のこのごろ(日本テレビ報道局キャスター・真山勇一)
親から学んだ『人生劇場』の有り様(経済評論家・森木亮)
政治家になってからも「女の人に気をつけて」(衆議院議員・伊藤公介)
心配をかけまいと病床で鼻唄を(日本舞踊・葵流家元・葵七皆)
五つ玉のソロバンで殴られそうになった悪事(ジャーナリスト・中村芳平)
十三人もの親戚の大黒柱であった母(東京大学大学院総合文化研究科教授・前教養学部長、日本学術会議副会長・浅島誠)
夢を与える名人だった父(参議院議員・山谷えり子)
小児マヒの私を育てるために辛い思いをした両親へ(プラス・イメージ研究所所長・小林充)
通信簿の返信欄に母が書いた言葉(株式会社企業家ネットワーク代表取締役社長・徳永卓三)
母、タラちゃん(東北福祉大学客員教授・岩渕美智子)
「丙午の女は亭主を食い殺す」という迷信(株式会社ジャパンフォトニクス代表取締役・上野實)
タイムスリップして再会した母の面影(あそがわ書店株式会社専務取締役・麻生川良子)
父の大事なカメラを質に入れて買ったランドセル(前衆議院議員・樽床伸二)
私のオヤツを友達にあげてしまった母の想い(鈴鹿医療科学大学保健衛生学部医療栄養学科教授・学科長、同大学院教授、薬学博士・鈴木郁功)
僧侶の父とクリスチャンの母が教えてくれたもの(音楽プロデューサー、佐渡妙圓寺住職、井口愛子<ピアニスト>の二男・佐藤方紀)
父母がくれた手足(戯遊詩画人・泉椿魚)
二十三年間、半身不随の父を支えた母(勝沼コスモトータルヘルス所長・勝沼慶朗)
三人で手をつないで行ったお風呂屋さん(NPO法人メダカのがっこう理事長・中村陽子)
放蕩息子のために家を売った母の決断(五万石グループ代表・安井恒夫)
ガンで痩せ細った母の大きな目に見つめられたとき(ナノ・バイオ・プロモーション株式会社代表取締役社長・寺尾慶演)
「おまえの向こうにあるものに頭をさげているだけだ」(元衆議院議員・故加藤六月氏の長女、インドネシア在住・加藤康子)
原爆で家族を喪った母のうた(株式会社自然美システム会長、日本ヘルス協会副会長・萩原俊雄)
ありがとう「貧乏人の子だくさん」家族(ハギジン出版代表取締役・萩原英昭)
いちばんのファンでいてくれる両親のために歌い続けたい(声楽家、藤原歌劇団・家田紀子)
父が亡くなったとき泣く娘たちを叱りつけた母(株式会社タカヨシ代表取締役・高橋春義)
自分の誕生日は、親に感謝する日に(社団法人日本人事管理協会講師・榎谷惟光)
スッピンだと父に似て、メークをすれば母そっくり(株式会社エムケイツー代表取締役社長・菊池美由貴)
父母の「教育」を恨んだころ(株式会社ハイ プランニング代表・鈴木裕子)
人生の岐路に、いつも語りかけてくる父と母(株式会社シーユーシー代表取締役・高橋勝)
父・母で一対(玉村環境問題研究所所長・玉村富男)
もっとも尊敬する人が親である幸せ(元サンケイ新聞社政治部記者・松平吉弘)
究極の選択(医療法人社団聖友会理事長、内藤メディカルクリニック院長・内藤康弘)
わが母親こそ無形の財産の代名詞(アジア太平洋経済環境研究会会長・川阪進治)
母が最後に流した「真珠の涙」(真珠科学研究所所長・小松博)
しぶとい私の母(八王子市職員・茂木和憲)
給食のパンを半分残して妹に(有限会社グリーンフィールド代表・西岡古冨由)
欧米や中国とは違う日本の父母の役割(グローバル・イッシューズ総合研究所代表取締役・吉川圭一)
いま思う、厳しさの本当の意味(投資家、経営コンサルタント・元井康博)
葵二代(株式会社葵パール代表取締役・松平洋史子)
「人事を尽くして天命を待つ」を教えてくれた両親(株式会社世界日報社代表取締役社長・主筆・木下義昭)
両親から学んだ、もっとも感謝すべき教え(アクティビジネス株式会社代表取締役社長・大西啓義)
家庭内暴力を経験してわかった父母の偉大さ(主婦・鎌田英美)
父の恩は山より高く、母の恩は海より深し(前衆議院議員・小林興起)
あとがきに代えて―みずから食を細め逝った母