一科学者の回想
学業をおえるまで
日田と「中島屋」
家運挽回ならず上京
中津中学寄宿舎の不祥事
八高生のころ
九州大学
民主的な丸沢先生
鈴木庸生先生との出会い
卒業の前後
大陸生活三十年
九州大学から南満州鉄道株式会社へ
その頃の満鉄中央試験所
満鉄中央試験所と調査部
酒仙学者
岐路に立つ研究修行時代
満鉄中央試験所の第一次改革
結婚の記
人造石油への着想
ヨーロッパへ出発
限りなく下落するドイツマルク
悩みぬいたパリー病床生活
帰任後の厳しい研究生活
オイルセールと中央試験所
オイルセール研究の企業化
悲しき秘話
高級脂肪酸、アルカリおよびアルカリ土類塩の熱分解機構に関する研究
中央試験所の第二次改革と大豆工業の研究
新しい職制
大豆油のアルコール抽出法とこれに関連する研究
大豆の脱臭法と食品化
主要テーマと共同研究者
満州国の生誕と中央試験所の動向
満州大豆工業株式会社設立のいきさつ
満州大豆と日本財界の二巨星
中央試験所の拡充計画進む(第三次改革)
石炭液化問題と栗原所長の臨終
時局と中央試験所
所長の人選をめぐって
白羽の矢は丸沢博士に
中央試験所の独立と機構改革(第四次改革)
軽金属に関する研究の企業化
石炭液化の工業化
中央試験所長に就任
吉村次長と水素製造の新触媒
研究員制度の採用
満州重工業株式会社と中央試験所
おおらかな満鉄首脳部
丸沢先生の再渡満
直接還元による金属マグネシウム製造法の失敗
丸沢顧問ともども辞表を提出す
阿部博士と過熱汽筒油
敗戦前後の研究活動と満州の化学工業事情
敗戦の悲報いたる
新京決死行
八路軍の進入と暴徒の蜂起
「城明け渡し」丸沢所長の決断
終戦時の満鉄中央試験所
中央試験所の研究成果と満州の化学工業
感激的なガ博士との訣別、整ったソ連の管理組織
終戦直後の大連生産工場と市民生活
混乱のなかで
大満鉄の解体
身辺雑話
祖国への帰還―大阪の八年―
引揚げ
不安定なその日ぐらし
白石竹市君の厚き友情
砂上の楼閣となった研究機関設立案
第二の人生のスタート
大阪における数々の思い出
二つの科学技術活動
アメリカ大豆工業の由来
科研、千葉工大そして人事院―東京の十三年―
大阪を去って東京へ
科学研究所の印象
当時の科研の主な研究テーマ
株式会社として「科研」存続可否の問題
「科研」改組のいきさつ
特殊法人理化学研究所への改組案成る
特殊法人理化学研究所の誕生
浪人生活にはいる
千葉工業大学学長を引きうける
千葉工業大学のこと
新理事長に川島正次郎氏を迎える
アメリカの財団活動をみる
スモッグのため不時着の災難
着々と進む大学の整備
思いがけない人事官への就任
親しい二人の友の意見を聞く
人事院業務のあらまし
人事官に就任して
思いがけぬ二度の外遊(その一)
思いがけぬ二度の外遊(その二)
おわりに
二、三の文叢
研究体制について思う
技術開発によせて
行政における科学技術者
佐藤正典さんと私(香坂要三郎)
著者年譜