学生、戦時下の強制労働
はじめに
昭和二〇年(一九四五年)
一月五日 退屈な授業と暴力的教育サヨナラ
一月九日 浜名湖湖畔の工場で新生活
一月一一日 戦局、我が国に不利
一月一三日 とに角、腹がへる
一月一五日 天皇制教育の結果
一月二〇日 焼き入れ、冬は極楽
一月二二日 特攻隊は自殺攻撃隊
一月二三日 B29友軍機に撃墜さる
二月七日 同級生にいじめられる
二月一七日 空中戦と宣伝ビラ
二月二一日 戦闘機までやって来た
二月二三日 四八日ぶりの休日
昼食抜きで宿借りと遊ぶ
三月八日 空襲の被害と助け合い
三月一一日 石けん・刃物・記章づくり
三月一三日 新聞報道に疑問を持つ
三月一四日 アジア諸国の独立
三月二二日 硫黄島陥落、しかし
三月三〇日 焼きいも作りで負傷
四月五日 3ヵ月ぶりに母と面会
四月七日 敵の機銃掃射で逃げ回る
四月一四日 アメリカ嫌いの理由
四月一八日 油タンク燃え出す
四月二四日 大東亜大使会議開かれる
五月二日 空襲の被害、勉強の重要性
五月五日 労働災害は誰の責任か
五月九日 伊東でドイツ、イタリヤ
五月一六日 シラミ退治
五月二五日 戦争は恋も許さぬ
五月二八日 恋文で退学
六月三日 沖縄、戦場になる
六月一四日 久しぶりの豆腐
六月二一日 真夜中の豊橋空襲
六月二二日 検閲を体験し分かったこと
六月三〇日 工場を守る陣地ができる
七月八日 沖縄の生徒たち、犠牲に
七月一〇日 敵機何十機も空襲
七月一六日 連日の空襲
七月二〇日 日用品の盗み広がる
七月二六日 爆撃後重傷者への輸血の悩み
七月二七日 女工さんたちの古い宿舎へ、そして半年ぶりの入浴
七月二八日 兵隊の洞窟堀りに一億玉砕への疑問
七月三〇日 艦砲射撃恐怖のなかで考える
八月一日 夜の水泳
八月五日 動員中唯一の授業、軍事訓練
八月一〇日 広島に新型爆弾
八月一一日 戦争成金の幽霊うようよ
八月一四日 七ヵ月ぶりの帰省
八月一五日 終戦を躍り上がって喜ぶ
おわりに