千の証言
はじめに
戦場で兵士たちは
「最低3人殺す」迷いなかった(大阪府河内長野市・久保田縁(しげる)さん(91))
今も残る悔い「仲間を売った」(東京都・増田善信さん(91))
猛爆後に死の静寂 戦艦大和の最後(名古屋市・畦地哲(あぜちさとし)さん(88))
不可能な特攻を命じられ(名古屋市瑞穂区・山田斂(おさむ)さん(92))
硫黄島玉砕前に生還 背負った重荷(横浜市・豊島巌一(いわいち)さん(100))
クリスマスイブに「休戦」 敵と心通わせた父(大津市・足立和子さん(67))
火薬を背負い、戦車へ「肉攻」(北九州市小倉南区・塚原太一さん(94))
「口減らし」で爆弾背負い突撃(奈良県大和郡山市・植田実さん(92))
元特攻隊員「勝ち目のない戦争だった」(熊本市北区・粟田重人さん(87))
徒歩4500キロ「死の行軍」(福岡県大野城市・古川嚆矢(こうし)さん(93))
投稿紹介
「死ぬな」と激励してくれた軍曹の死(京都市西京区・尾崎健一さん(87))
戦友300人の死体を山に埋めた(茨城県ひたちなか市・井上利男さん(92))
隊員たちが壁面につづった母への感謝(大分市・梅木信子さん(84))
遺族の思い
硫黄島で戦死した父からの手紙(東京都練馬区・宮崎誠さん(76))
盲目の母の手を取り、無言の別れ(福岡県行橋市・沖本ミツエさん(90))
補給途絶え餓死「兄は国に殺された」(大阪府吹田市・坂元衛(まもる)さん(80))
軍神だった父が敗戦を予言(大分県中津市・高橋赫弘(あきひろ)さん(82))
父の遺骨なく、箱に小石ひとつ(名古屋市天白区・諏訪俊子(しゅんこ)さん(76))
投稿紹介
結婚生活はわずか2カ月(佐賀県唐津市・野中葉子さん(91))
死んだ兄が帰ってきた食卓(滋賀県近江八幡市・橋本重夫さん(83))
母と私を残して逝った父の無念(茨城県日立市・伊坂勝征さん(73))
父との別れの夜に歌った「ゆりかご」(神戸市西区・匿名女性(79))
最後の夜、父に抱かれて食べたキャラメル(奈良県大和高田市・山口恵子さん(74))
兄の遺骨を前に母が漏らした言葉(東京都・矢上登紀子さん(77))
戦火の中で
亡くなるまで自分を責めた母(茨城県土浦市・高位陽子さん(78))
軍楽隊 焦土の横で行進曲(東京都日野市・芳林(よしばやし)秀明さん(87))
「卒業証書4分の3は戦地へ」と校長(和歌山県有田市・星尾洋子さん(85))
生死の境30センチ 友は撃ち抜かれた(山形県上山(かみのやま)市・松田吉弥さん(86))
下水へ避難 運命分かれた(東京都中野区・轡田(くつわだ)真紗子さん(84))
炭化した遺体運び 異臭の記憶今も(福岡市・坂田幸子さん(89))
火だるまになった母の手を握り(愛知県豊橋市・藤井みゆきさん(83))
終戦前夜に消えた命 秋田や山口で(秋田市・岩間重美さん(79)/山口市・山根君子さん(85))
米国で決意の語り部 母の苦悩胸に(米カリフォルニア州・大竹幾久子さん(75))
沖縄戦「鉄の暴風」を生き抜いて(沖縄県読谷村(よみたんそん)・松田栄喜(えいき)さん(93))
投稿紹介
防空壕が崩れ生き埋めに(埼玉県和光市・皆川千枝子さん(84))
米戦闘機の機銃兵と目が合った(水戸市・勝田春江さん(77))
今も忘れられぬ足の感触(福岡市中央区・尾崎易子(ようこ)さん(78))
火に包まれた4人の家族(長崎市・松尾直子さん(85))
遺体の乳房にすがる赤ん坊(福岡県中間市・徳永七重さん(79))
戦時下の暮らし
学童疎開「ひもじく、不安だった」(東京都中野区・早船セツ子さん(81))
昭和新山噴火 飢える被災地を放置(北海道壮瞥(そうべつ)町・森秀夫さん(87)/三松三朗さん(78))
青年兵、写真残してどこへ(千葉県館山市・松笛禮子(れいこ)さん(78))
息子5人が戦地へ 母の心の叫び(福岡市・白濱茂男さん(85))
広がる流言「B29に女性搭乗員」(東京都新宿区・粂(くめ)太郎さん(79))
投稿紹介
寮母からもらったやき米15粒(大阪府高槻市・中尾多数子さん(80))
トイレに隠れて食べた差し入れ(横浜市・浅沼トメ子さん(80))
助け合って年少の子を守った(三重県東員町・高木明代さん(81))
父の分まで食べてしまった(新潟県新発田市・五十嵐ミエさん(83))
養父にかけた残酷な言葉(水戸市・杉岡澄子さん(86))
終戦、その後
宮城事件「殺気立つ反乱将校の声忘れぬ」(千葉県市川市・杉田次郎さん(94)/東京都港区・久富勝次さん(72))
米軍暗号幻の解読 東大生駆り出され(京都府長岡京市・一松(ひとつまつ)信さん(89)/東京都新宿区・武藤徹さん(90)/東京都練馬区・本田欣哉さん(90))
「秘密戦士」敗戦で武器背負い故郷へ(岐阜県出身・伊藤喜美さん(92))
屈辱の米艦隊誘導「戦友に申し訳ない」(埼玉県川越市・深津敏雄さん(88))
15歳で占領時代を生き抜く(千葉県一宮町・野路(のじ)六郎さん(85))
終戦3日後に戦闘が始まった(千葉県船橋市・藤井冨治さん(95))
処刑前夜、少尉を送る合唱(大阪府和泉市・木下史郎さん(92))
投稿紹介
先生の言葉に泣けなかった(横浜市・関口好子さん(80))
渡されたのは青酸カリ入りの小瓶(福岡市城南区・小森百合子さん(92))
父を思う年1回の「虫干し」(福岡県吉富町・南愛子さん(73))
引き揚げ、抑留の苦難
少女の最期の「まなざし」今も描けず(札幌市東区・稲村和雄さん(85))
平壌は「生き地獄」凍土で遺体埋められず(東京都江戸川区・加藤正喜さん(83))
「闇船」機雷爆発のあおりで大勢が海へ(大阪府枚方市・北村久子さん(81))
13歳単身引き揚げ、善意に支えられ(大阪府大東市・伊東邦(くに)さん(82))
鍋ひとつ 母子5人で朝鮮半島縦断(埼玉県所沢市・安達久里子さん(80))
元兵士たちの遺体、長江へ(大分県中津市・林田千鶴子さん(80))
終戦後の艦砲射撃(千葉県茂原市・杉山愛子さん(83))
中国人の子守をして生き延びた(福岡県行橋市・加来(かく)和江さん(85))
最期の言葉は「お母ちゃんに会いたい」(山口市・宮崎正さん(94))
投稿紹介
両親の命救った中国の老婆の言葉(東京都練馬区・大島満吉さん(79))
母らの無念晴らすため生き抜いた(広島市西区・赤崎大さん(74))
私たちは侵略した(埼玉県川越市・甲斐国三郎さん(88))
次代へ
父の遺品が日米に橋を懸けた(岡山市・宇津宮宏子さん(71))
日米開戦が父と母を引き裂いた(東京都西東京市・デービッド河上さん(64))
教え子と訪れた慰霊碑に父の名(大阪府箕面(みのお)市・植田裕之さん(69))
祖父の体験聞き、命に向き合う覚悟新たに(千葉県流山市・数野香苗さん(35))
戦場に消えた作曲家
弟宅に眠っていた幻の楽譜
現代にも通じる「傑作」
飢餓と熱病「死の彷徨」の末に
家族に手紙「残念でなりません」
レコードに歌声 聴き入る遺族
「なぜ自決」足跡たどる遺族
加害の歴史を知る
私も証言する
戦争に国民熱狂、のちに暗転(作家・五木寛之さん)
黒焦げの遺体抱えて(喜劇俳優・大村崑さん)
終戦までの主な出来事
戦時下の日本と周辺国(1941~45年)
おわりに