賊軍の昭和史
プロローグ 官軍・賊軍史観が教えてくれること(半藤一利)
序章 賊軍VS官軍―浮かびあがる「もう一つの昭和史」
偽の「錦の御旗」で官軍に
安倍総理も意識する官軍と賊軍
官軍、賊軍は幻想
戊辰戦争で賊軍にされた東北諸藩
官軍の醜い実態、賊軍の内部混乱
賊軍側の話は広まっていない
戊辰戦争後の賊軍差別
靖国神社は薩長史観の空間
西郷隆盛だけは別だった
賊軍の子弟は軍学校へ
北海道の屯田兵は長州の回し者
昔の北海道は隠れ家だった
維新の立役者が消えて伊藤と山縣が残った
陸軍長州、海軍薩摩という軍閥
薩長閥打倒を叫ぶ中堅幕僚
薩長閥の日清・日露の功績を、昭和の日本は乗り越えられなかった
第一章 鈴木貫太郎―薩長の始めた戦争を終わらせた賊軍の首相
賊軍藩の出身だった鈴木貫太郎
薩摩閥の海軍で冷遇される
「おまえは出世するために海軍に入ったのか」
海軍省次官として薩摩閥を追放したシーメンス事件
昭和の派閥、艦隊派の復讐
艦隊派の反発から二・二六事件で命を狙われる
対米戦争を始めた海軍は艦隊派の天下だった
昭和の海軍は薩長と反薩長の図式がはっきりしている
官軍の精神構造と戦っていた
全滅戦争を望んだ官軍的厚かましさ
西郷隆盛の『南洲翁遺訓』
阿南の遺した「米内を斬れ」の意味
官軍の作った国家の矛盾が「聖断」を必要とした
賊軍の負け方
近代日本を作ったのは官軍、滅ぼしたのも官軍
第一章 注
第二章 東條英機―混乱する賊軍エリートたちの昭和陸軍
陸軍派閥の複雑さ
派閥打倒を叫んだ若手たち
皇道派・統制派の前身となった一夕会
一夕会があっという間に力を持ち、満州事変に
秀才たちが宇垣系に勝つ
長州閥の時代のほうがマシだった
東條英機の「長州憎し」
能力は平凡だった東條英機
血染めの軍服を着て、「いつか復讐してやる」
永田のいなくなった東條は手綱のない馬
潜在していた父親の恨み
陸軍は閥を作りやすかった
東條は永田の軍事思想を継げなかった
陸軍はまさに、賊軍の昭和史に
第二章 注
第三章 石原莞爾―官軍の弊害を解消できなかった賊軍の天才
石原莞爾は賊軍・庄内の出身
多様な側面を持っていた石原の人物像は難しい
石原の軍事学は官軍への異議申し立て
一夕会からはじき出されていた?
思想のない東條と国家の設計図があった石原
戦後の新憲法を高く評価していた
官軍の作った日本では次の戦争に勝てない
石原の構想とは違ってしまった満州国
二・二六事件を利用して石原がクーデター?
二・二六の青年将校に現れた薩長時代の歪み
東條のやっていることは許し難い
官軍史観で日露戦争に勝ったという驕り
昭和の陸軍が継承した負の遺産
第三章 注
第四章 米内光政、山本五十六、井上成美―無力というほかない賊軍の三羽烏
昭和になっても海軍では官軍が主流派
昭和海軍の賊軍差別
海軍善玉論は間違い
三国同盟に反対した三羽烏
三羽烏を終わらせた第一委員会
終身役の元帥である伏見宮と東郷が問題だった
海軍の親ドイツ派
ヒトラーのハニー・トラップ
「他人のふんどしで相撲を取る」という甘さ
賊軍のおかげで、最後だけは幸せだった
第四章 注
第五章 今村均―贖罪の余生を送った稀有な軍人
賊軍藩の恭順派だった祖父
幼年学校閥の弊害がなかった
賊軍・官軍を超越していた
「戦陣訓」の草稿はただの礼儀作法だった
インドネシアの善政
日本陸軍の清涼剤
ラバウルで自給自足しながら終戦
責任を取り続けた戦後
戦後の謹慎小屋
軍人上がりが多かった戦後の東大医学部
戦後に責任を取らなかった軍参謀たち
第五章 注
エピローグ 官軍的体質と賊軍的体質(保阪正康)