昭和天皇の研究
まえがき
一章 天皇の自己規定―あくまでも憲法絶対の立憲君主
なぜ、天皇は開戦を阻止出来なかったのか
終戦の「聖断」は、憲法を踏みまちがえたものか
戦前も、天皇は「現人神(あらひとがみ)」ではなかった
二章 天皇の教師たち(I)―倫理担当に杉浦重剛(すぎうらしげたけ)を起用した時代の意図
天皇の自己規定を形成した教師たち
倫理の「御進講」が、後の天皇に与えた影響
三章 「三種の神器(じんぎ)」の非神話化―道徳を絶対視しつつ、科学を重んじる杉浦の教育方針
三種の神器は「知・情・意」の象徴
硬軟とりまぜた杉浦の名講義
四章 天皇の教師たち(II)―歴史担当・白鳥(しらとり)博士の「神代史(じんだいし)」観とその影響
天皇は、神話や皇国史観をどう考えられたか
敗戦国に待ちうける皇室の運命
五章 「捕虜(ほりょ)の長」としての天皇―敗戦、そのときの身の処し方と退位問題
「私を絞首刑にしてかまわない」
天皇の反面教師―ウィルヘルム二世
六章 三代目「守成(しゅせい)の明君(めいくん)」の養成―マッカーサー会談に見せた「勇気」は、どこから来たか
「創業と守成(しゅせい)のいずれが難(かた)き」
三代目・家光(いえみつ)にみる「守成の勇気」
七章 「錦旗(きんき)革命・昭和維新」の欺瞞(ぎまん)―なぜ、日本がファシズムに憧れるようになったのか
戦争制御における内閣の権限と、近衛の言い訳
相沢中佐の異常心理と「昭和維新」
永田軍務局長斬殺が、「大御心」か
八章 天皇への呪詛(じゅそ)―二・二六事件の首謀者・磯部浅一(いそべあさいち)が、後世に残した重い遺産
事件勃発、天皇の決然たる対応
天皇を叱咤(しつた)、怨嗟(えんさ)する磯部の叫び
真崎(まざき)大将、陸軍首脳の腰抜けぶり
九章 盲信の悲劇―北一輝は、なぜ処刑されねばならなかったか
北一輝には「天皇尊崇の念」など全くなかった
天皇自らが、「機関説」の信奉者
「御公家(おくげ)かついで壇(だん)の浦(うら)」
十章 「憲政の神様」の不敬罪―東条英機は、なぜ尾崎行雄を起訴したのか
「天皇と同意見だと不敬罪」の不思議
近衛・東条の翼賛(よくさん)体制への痛烈な批判
不刑罪―刑にあらざる罪
天皇ではなく、国民全体が〝三代目〟
十一章 三代目・天皇と、三代目・国民―尾崎行雄が記した国民意識の移り変わりと天皇の立場
浮誇驕慢(ふこきようまん)で大国難を招く三代目
十二章 立憲君主の〝命令〟―国難近し、天皇に与えられた意思表示の手段とは
白川大将に示した、天皇の精一杯の〝褒賞(ほうしょう)〟
無視された天皇の「提案」と「御希望」
「聖断」を未遂に終わらせた〝もう一つの事件〟
十三章 「人間(アラヒト)」・「象徴」としての天皇―古来、日本史において果たしてきた天皇家の位置と役割
「アラヒトガミ」の思想は、どこから生じたか
文化的統合の象徴としての天皇
十四章 天皇の〝功罪〟―そして「戦争責任」をどう考えるのか
「天皇は戦争を止められるのに、なぜ止めなかった」
「おれの息子は、天皇のために死んだ」
終章 「平成」への遺訓
帝国憲法の改正に反対した美濃部博士
「昭和」から「平成」へのメッセージ
★<資料①> 「新日本建設に関する詔書」(いわゆる人間宣言)全文
★<資料②> 昭和天皇関連年表