ぼくの広島・井原村学童疎開日記
- サブタイトル
- 編著者名
- 大牟田 章 著
- 出版者
- ウインかもがわ
- 出版年月
- 2015年(平成27年)8月
- 大きさ(縦×横)cm
- 26×
- ページ
- 81p
- ISBN
- 9784903882703
- NDC(分類)
- 916
- 請求記号
- 916/O64
- 保管場所
- 開架一般
- 内容注記
- 文献あり 年表あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
七月三日 校長先生から呉空襲のお話
七月四日 鬼畜の様な米国に闘魂むらむら
七月五日 今日も田植えに奮闘
七月六日 豪雨の中をイモ畠へ行く
七月七日 はじめての登校は自習
七月八日 冷水摩擦に体ぽかぽか
七月九日 なつかしい父母、兄妹の事
七月十日 田植えは苦労の連続
七月十一日 中村進君のお母さんをお見送り
七月十二日 家と華族の無事がわかる
七月十三日 空襲の損害と健康の事
七月十四日 文部省と県庁から見学に/おやつに豆の配給
七月十五日 空襲警報のサイレンで裏山へ/冬用ふとんを夏用にかえる
七月十六日 昼食は煮た馬鈴薯だけ
七月十七日 雨中、大人の合羽で野菜をもらいに/すい事でおばさんにほめられる/名誉の負傷
七月十八日 僕のたん生日
七月十九日 道路修理は立派に完成
七月二十日 音楽の時間におくれる
七月二十一日 算数・国語・国史・健道・図画
七月二十二日 伝染病発生で隅ずみまで消毒/体を全部、すい事の方も消毒
七月二十三日 先生がおられず寮で自習する
七月二十四日 空襲解除までかくれておれ!/天幕迷彩、墨で真っ黒に
七月二十五日 僕等の南瓜とお寺の南瓜/空襲に明け空襲に暮れる/八木君を送り総員七名に
七月二十六日 手をつないでいちょうの木を計る/沖縄の飛行場は完成したのか?
七月二十七日 出征兵士 船倉のおじさんを送る/英霊の村葬に参列
七月二十八日 空襲警報下、寮まで本だなを運ぶ
七月二十九日 持物の整理とじゃがいも運び
七月三十日 算数考査の後、部落幹部常会
七月三十一日 かやの中で蚊にさされて頭がでこぼこ
八月一日 薬草(げんのしょうこ)の採集
八月二日 客土作業は一番つらい
八月三日 先生の用事で出かけた二人に切ぷが一枚/木村君が気がかりで勉強もうわの空/木村君が帰って来た
八月四日 からいだけのライスカレー
八月五日 第一日曜は登校日
八月六日 強烈な光、そして爆音/雲のかたまりがむくむくふくれる/夕食後、校長先生から爆弾の話
八月七日 田舎の人はみな親切
八月八日 我れ、力の限り働き抜かん/つかれたので昼寝ぐっすり
八月九日 “なにくそ”と目標突破/おいしかった今年はじめての南瓜
八月十日 先生の命令で川へ行って魚つり
八月十一日 道路修理に約三時間
八月十二日 今日から軍が学校をつかう/新しい寮母さんが来る
八月十三日 木村君が縁故疎開。あーあうらやましい
解説にかえて 日記とその前後のこと(斉藤治)
元井原村「学童集団疎開」の思い出(大牟田章)
[資料]
“学童疎開”のお膳立て決る(朝日新聞 昭和19年7月9日)
学童集団疎開滑出す(同7月18日)
十五年戦争関連年表
『ぼくの広島・井原村学童疎開日記』出版によせて(佐々木恒)
参考文献
あとがき
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