徴兵体験百人百話
- サブタイトル
- 編著者名
- 阪野 吉平 著
- 出版者
- 17出版
- 出版年月
- 2015年(平成27年)8月
- 大きさ(縦×横)cm
- 19×
- ページ
- 249p
- ISBN
- 9784990064563
- NDC(分類)
- 916
- 請求記号
- 916/Sa34
- 保管場所
- 開架一般
- 内容注記
- 索引あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
はしがき
1 練習と同じように、早く敵に野砲ぶってみたいと思っていた。(山口富一郎)
2 命令一本で生きるか死ぬかの毎日。それが紙一枚と銀杯と時計をもらっただけよ。(古畑定雄)
3 軍刀を持っていると迷惑がかかると言われて交番へ持って行った。(上原武雄)
4 石鹸とタバコをお湯に溶かして飲んで、わざと下痢して、入院する人もいた。(高山丹寿)
5 食えそうな物は何でも口に入れた。火を使うと知られるから、全部生で食った。(佐野和多留)
6 これはもう死ぬなと思った時は、必ず母親の顔が目に浮かんだ。(小林幸二郎)
7 ソ連兵と組んでトラックで野菜かっぱらってきて料理した。(塚田米蔵)
8 先の見えない毎日だった。食うことで精一杯だった。(黒沢洋助)
9 目覚めたら隣の兵隊、豚小屋の材木が首に当たって死んでいた。(鈴木豊次)
10 赤紙来た時、丈夫な体だったら海の中で魚のエサになっていた。(小貫幸太郎)
11 機関士は襲撃が始まると汽車停めて逃げるのよ。(安孫子政吉)
12 「志願にあらざる下士官」ということで即日召集された。(安部三郎)
13 街の中で野犬が死んだ赤子をくわえているのを何回も見た。(新野芳雄)
14 街全体が黒の世界だった。川では死体が無数に海の方へ流れていった。(佐藤美津栄)
15 明日銃殺されるという日に周恩来が来て、助けられた。(長谷川周吉)
16 ノモンハン事件。待機しているうちに停戦となり、前線へは行かなかった。(安部義雄)
17 今も目に焼きついていることがあるが、あれは話せない。(遠藤勘右衛門)
18 古参兵になってからは、神様みたいに楽だった。(高橋辰吉)
19 一銭五厘の兵隊。人間の方が兵器より安く集められる。ハガキ一枚一銭五厘だった。(木村三作)
20 戦ったと言ったって君にはわからないだろうが、殺すか殺されるかの毎日だ。(小倉新一郎)
21 麻酔薬なしで、骨をノコギリで切って、ぐるりの肉を寄せ集めて、十七針も縫った。(高橋七郎)
22 連隊長の前で、浪花節の「召集令」をやった。連隊長、涙流して聞いてくれた。(高橋伊之助)
23 「天皇陛下万歳」と言って死ぬ兵隊はいなかった。(長沢仁兵衛)
24 朝鮮人の密偵はドイツは二月、日本は六月に負けると言ったのよ。(保科外之助)
25 終戦と同時に部隊はバラバラになった。人の心もバラバラになった。(井上勝美)
26 帰る時、苦力たちは駅まで見送りにきて泣いていた。(遠藤芳雄)
27 上官には絶対服従。なんで殴られたかわかないのがしょっちゅうだ。(上野均)
28 アメリカの飛行機が猿羽根山に墜落したなよ。一人のパイロットが生きていた。(船山昇)
29 六か月もの間、山の中を逃げ回った。自分で作った針で服を修復し、わらじを作った。(井上忠)
30 討伐は三日で終わる時もあれば、一か月も追っかけたこともあった。(高橋憲明)
31 兵器類を集めて焼いた。その時、本当に負けたんだなぁという気持ちになった。(川崎幸七)
32 ある時は蔣介石軍、ある時は毛沢東軍と毎日のように戦闘よ。(情野辰雄)
33 朝起きると六尺の棒で病人の頭をポンポンと叩く。(佐藤庄雄)
34 軍刀を米沢の南部骨董屋へ一万円で売ったなよ。(森谷敬)
35 朝、目を覚ましたら、ぐるり一面にゴロゴロと中国兵が死んでいた。(高橋一太郎)
36 なんで顔色も格好も同じ人たちと戦わなければならないのだろうと思った。(長沼喜内)
37 ぐるりにいる人、みんなドロボーに見えたな。俺もドロボーの一味なんだけれど。(須藤久)
38 身体検査不合格で、悲観して、鉄道自殺した者もいた。(横沢龍雄)
39 日本軍には鳩兵がいて百羽くらい飼っていた。その鳩に戦況を書いて放した。(斉藤義実)
40 夜になると現地人を案内人にして次の村へ移動、着くと案内人を殺した。(情野一二)
41 司令官の部屋の掃除、鉛筆は十本以上すぐ書けるようにしておいた。(菅井正八)
42 敵機内でマフラー振っている女がいた。その女が俺たちに機銃掃射するのよ。(斉藤力)
43 勝つ方法は一つ。肉弾戦だけよ。二百人の中隊が数人になったこともある。(山岸圭助)
44 海軍上等整備兵曹で責任者の俺が、七人の部下とともに毎日イモ畑で働いた。(治田五郎)
45 帰る頃、蔣介石からの勲章をもらった。蔣介石軍のおかげで日本へ帰れた。(情野嘉吉)
46 弾は、俺の目に当たって、耳のそばを通って外へ出た。(青木隆善)
47 なぜメレヨン島が早く、特別仕立ての病院船で帰還できたのか。外地引き揚げ一号よ。(佐藤甚助)
48 古参兵が捕虜を連れてきて、新兵の度胸試しだと、俺だに捕虜を銃剣で殺させた。(井上徳蔵)
49 食う物は飼料並みだから骨と皮ばかりになり、栄養失調でバタバタ死んだ。(森谷久左ヱ門)
50 政府軍では上の者がピンはねするのが当たり前だった。(渡部九一)
51 「先に行ってくれ、後から行くから」。しばらくすると手榴弾で自爆する音。(鈴木忠蔵)
52 ハンドルは転場。ドアは開閉機。英語は「敵性語」といって絶対使えなかった。(佐々良郎)
53 毎日八時間、穴の中で働いた。弱い人はどんどん死んでいった。(安部長雄)
54 上陸したまではよかったものの食糧の補給がない。食料調達の毎日だった。(加藤竹三)
55 終戦から四か月経って陸軍善行證書をもらった。俺の宝物だ。(安部源太郎)
56 ビンタ来るなと思う時、歯をぐっと噛むと痛さ感じなくなる。何でも訓練よ。(小島長五郎)
57 俺がいたのは爆心地から二キロの所だった。(深瀬孝次)
58 中隊長が「この戦は負け戦だ。こんなところで死んではダメだ」と言った。(倉田宇佐治)
59 戦争ってむごいもんだよ、殺すか殺されるかだ。民間人でもだ。(竹田孫蔵)
60 軍隊は運隊だとよく言うがあれ本当だ。運の良かった俺は生きて帰れた。(黒沢正三)
61 負け戦の時の衛生兵は大変よ。自分だけ逃げるわけにはいかないから……。(黒田重夫)
62 弾が俺の肩から両方の肺を通って横っ腹から抜けた。俺の腹、見せっか。(青野正明)
63 白い飯を腹いっぱい食えれば、死んでもよいとはいつも思っていた。(我妻長作)
64 カムチャッカ半島で二年間捕虜生活。軍隊の時より捕虜の時の方が「楽」だった。(酒井新栄)
65 俺の乗った軍艦は四回沈んだが、俺は生き残った。(勝美調一)
66 校長と女の先生が天皇陛下の写真を焼いているのを見て、敗戦を実感した。(冨樫良吉)
67 特攻隊員たちはブルブル震えて何も話すこともなく飛んで行った。(竹田光郎)
68 上官の食事を運んだ時、箸を忘れたら軍靴の底で飯が食えなくなるくらい殴られた。(安部金蔵)
69 二千人を毎日海岸へ連れて行きダダダ……よ。砂浜に穴掘って埋めた。(鷲尾誠司)
70 毎日定時に米軍の攻撃。でも、なぜか真剣に攻撃しているように思えなかった。(高橋正)
71 冬、訓練中は寒いから、お棺を壊して燃やし、温まったこともあった。(松本三郎)
72 昭和十七年から二十九年まで。十二年間の俺はなんだったんだろう。(加藤弘)
73 俺の足に痛み感じてズボンまくってみると、機関銃の弾がポロリと落ちた。(片倉栄美)
74 アメリカ兵が両手を上げて近づいて来た。アメリカが負けて降参したと思った。(山川幸一)
75 敵の戦車に対抗する練習を始めた。何のことはない、自爆の訓練だ。(浦田仁太郎)
76 日本兵が敵味方にわかれて戦ったりもした。不思議な時代だった。(村山俊介)
77 特攻隊兵になった。遺書は何回も書いた。決まり文句があってよ。(元木要吉)
78 兵隊の話なんて、えっぱいある。今考えると、よーく生きて帰れたと思う。(平川次郎)
79 あの時、ボルネオに残れば生きては帰れなかった。(伊藤豊)
80 兵隊検査、本当は身長を測る時、少し背伸びしたなよ。(加藤亀吉)
81 威張っていて働かないと、いつの間にか事故死する。本当は周りの者に殺されたのよ。(船山誠一)
82 ナホトカ港へ、ソ連への賠償艦として引き渡しに行く時で俺の戦争は終わった。(佐藤章)
83 戦争が始まった日に「貧乏人が金持ちとケンカして勝てる訳がない」と親父が言った。(佐藤久雄)
84 指差された兵隊は、特別収容所に送られて死刑になった人もいた。(大木信雄)
85 山の中腹で憲兵十人がピストルで相撃ちして死んでいた。(管朋三)
86 ジャボースケのアレは小さいなと言われて触られた。(佐藤幸助)
87 夜、便所に行くのが怖かった。海面に無数に浮いていた死体を思い出すのよ。(熊坂嚴夫)
88 リンガエン湾に海が見えないほど敵艦が集まった。蛸壺を掘り、死を覚悟した。(新野耕一)
89 吹雪で食料が三十日も届かない時、松の皮と幹の間の薄い皮を食って生き延びた。(斉藤文夫)
90 ソ連の労働者と一緒に働いた。「俺たちも苦しんでいる。君たちも頑張りなさい」。(渡辺寿三)
91 俺たちの高射砲は大正時代の代物、B-29には届かない。「無駄な弾撃つな」の命令。(佐藤慶三郎)
92 開拓団の母親から「子供を殺してくれ」と足にしがみつかれたこともあった。(渡部平次)
93 戦争はしない方がよい。みじめだ。勝っても負けても、悲しみだけ残る。(吉田博)
94 一回二十円でアレできた。いざ本番の時、警戒警報。女が俺の金持って逃げて行った。(星野荘蔵)
95 毎日、八路軍との殺し合いよ。入隊する時の俺とは全然違った俺になっていた。(斉藤明男)
96 寒くて常に火を焚いていたが、馬がオオカミやトラに襲われないためもあった。(高橋正二)
97 天皇の大きな絵とスターリンの絵があって、「どちらかを踏んで通れ」と言われた。(大木正一)
98 一心に母に祈った。「助けてくれ、守ってくれ」とな。(大友善次郎)
99 君、想像できる? できないべぇ、それが戦争だよ。(高橋繁嘉)
100 収容所の六百人中、日本へ帰ったのが四十六人。一度死んで霊安所に運ばれた。(本田茂兵衛)
101 黒塗りの自動車が来て、その中から黒縁眼鏡をかけた東条閣下が降りて来たなよ。(鈴木與摠次)
102 京都の飛行場では、ワラの機体に紙を貼って色付けした模型の飛行機を置いた。(西川房雄)
103 二百五十キロの砂袋を積んで敵艦に突っ込む練習。死ににいく練習よ。(伊藤三夫)
104 十四日の朝、日本が負けたと知った。なんで前日にわかったのか不思議だ。(土屋力栄)
105 俺たちが投げた手榴弾を敵が拾って投げ返すのよ。それで死んだ人もいたった。(竹田秀夫)
106 GHQ本部から呼び出しの通知が来た。心配で心配でよ。(高梨勝)
107 「回天」という人間魚雷。一人乗りで脱出口もなく、発進すれば死が待っている。(斉藤修介)
108 アメリカ軍の日本向けの放送が聞こえた。禁止されていたが時々聞いた。(林崎徳次郎)
109 子供が死んだ母親にすがりついて泣いていたのは、今、思い出しても悲しくなる。(藁科昭四郎)
110 特攻隊への志願があったが、俺、十四だったために外された。(金子一)
あとがき
用語解説
名称索引
海外地名索引
捕虜索引 被爆索引 邦暦西暦対照表
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