手塚治虫と戦災孤児
- サブタイトル
- 編著者名
- 菅 富士夫 著
- 出版者
- 中井書店
- 出版年月
- 2015年(平成27年)7月
- 大きさ(縦×横)cm
- 22×
- ページ
- 297p
- ISBN
- 9784863770393
- NDC(分類)
- 726
- 請求記号
- 726/Te95
- 保管場所
- 開架一般
- 内容注記
- 昭和館デジタルアーカイブ
まえがき
第一章 手塚治虫の戦争と空襲
1 手塚治虫の学生時代
2 軍国少年・手塚治(本名)
3 原水爆に反対するマンガを描き始める
4 戦後10年を迎えて
5 戦記ブームのなかで 戦後20年を迎えて
6 反戦の心情の揺らぎ
7 少年雑誌に再燃した戦記ブーム
8 空襲体験のマンガ化 戦後30年に向けて
9 空襲体験を語り継ぐ決意
10 神戸空襲を描く 戦後40年を迎えて
11 日本の戦争をどう見ていたか
むすびに 描き残したもの
第二章 大阪における敗戦後の浮浪児・孤児と全国孤児調査
はじめに 戦災孤児・浮浪児などの呼称について
1 大阪における市民生活の状況
敗戦直後の大阪駅前と梅田厚生館
大阪府下における食糧配給事情
2 厚生省と大阪市の統計による浮浪児・孤児の数の推移 人数の男女差の“アポリア”
1945年大阪市の孤児の施設収容統計
1946年浮浪児・孤児の施設収容統計
1947年浮浪児・孤児の収容統計
弘済院の1948年と1949年の統計
厚生省と大阪市の浮浪児・孤児統計への概括
3 大阪でなぜ浮浪児・孤児が生じたのか
大阪市の学童疎開の人数
戦災浮浪児が生じた背景
4 全国孤児一斉調査がなぜ実施されたか
全国孤児一斉調査が実施されるまで
全国孤児一斉調査の概要
調査結果の全国と大阪の比較と特徴
5 全国孤児一斉調査の意義と限界
類例のない大規模調査
調査の集計から削減される可能性のある人数
調査の集計に加算される可能性のある人数
都道府県別の孤児の人数は出生地を反映していない
「一般孤児」はなぜ生じたのか 第二の“アポリア”
1945年前後における国内の医療と栄養の状況
「一般孤児」が生じた他の要因
敗戦直後の孤児人数を再考する
6 児童福祉法成立時の問題
児童福祉法の成立日程
児童福祉法の欠陥
7 浮浪児・孤児への関心の喪失
浮浪児・孤児への関心はいつ薄れたのか
孤児調査の文書は公表されたのか 第三の“アポリア”
第三章 手塚治虫と戦災孤児たち
1 戦災浮浪児を描くまで
大阪駅前の戦災浮浪児をめぐる情景
「アトム大使」と「来るべき世界」の構想 戦災孤児登場の背景
アトムという名称の由来
マンガと孤児の関わり 手塚作品の特異性
2 1950年代に戦災浮浪児をどう描いたか
「ドローン城物語」戦災孤児へ寄付の願い
「ワンダーくん」原水爆に対決するヒーロー
「そよ風さん」と「ひまわりさん」大和撫子とお転婆娘の戦争体験
「複眼魔人」戦中・戦後の虚偽の告発者
「光」戦争悪と戦うヒーロー
3 1960年代に戦災孤児をどう描いたか
「アリと巨人」安保反対闘争と右翼の戦災孤児
「どろろ」戦国乱世の孤児や棄児たち
4 1970年代に孤児たちをどう描いたか
「海の姉弟(きょうだい)」沖縄の「混血」孤児
「四谷快談(かいだん)」戦災孤児の不良化と亡霊
5 マンガを描く原則とは
6 1980年代に戦災孤児をどう描いたか
「どついたれ」日本占領下の戦災孤児
「1985への出発(たびだち)」戦争体験の忘却を糺す
7 なぜ戦災孤児を描き続けたのか
戦災孤児を描いた作品の軌跡
日本の社会を告発する者として
あとがき
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