図書クマモト ホウソウ ジュウネンシ000059761

熊本放送10年史

サブタイトル1~10
編著者名
出版者
熊本放送
出版年月
1964年(昭和39年)10月
大きさ(縦×横)cm
22×21
ページ
264p 図版16枚
ISBN
NDC(分類)
699
請求記号
699/Ku34
保管場所
地下書庫和図書
内容注記
和書
目次

熊本放送創立十周年を迎えて(伊豆富人)
十周年に当って(深水六郎)

写真目次
熊本放送エリヤ地図
熊本放送本社々屋
池田のラジオ送信所と金峯山のテレビ送信所
伊豆会長と深水社長
人吉、水俣、牛深放送局
小堀専務と吉原・村上両常務
東京・大阪両支社と福岡・佐賀両支局
本社役職員

この十年
うぶごえたくましく
スタジオ街頭に進む
TV時代スタート
マイクとカメラはおっかける
地方文化のために
相次ぐ見学の波
ある日ある時
10年の苦労もゆめ
記念の事業と催し
明日への道しるべ

1.時代のパイオニア“電波”
開局十周年の足跡
電波を国民の手に
長かった民放の胎動期
新聞界の暴風雨の中で
創業の決意まで
矢は弦をはなれた
誕生以前の話(小堀周二)
先方が待った免許申請
先ず既設局を検討
資本は郷土に俟つ
さがし当てた峠大地
大水害の中の株主総会
一四六%の能率
少数精鋭の具体化
創業当時の人員構成
血尿出す猛訓練
アナの卵たち(斉藤芳郎)
脂と汗のスポット番組
スポンサー芳名録
聴取者のお智恵拝借
開局前のPR番組
ローカルカラーを

2.祝福された産ぶ声
郷土民放の誕生
生活の向上と進歩に寄与(伊豆富人)
仮スタジオで第一声
開局第一日の番組
全員グロッキイの開局時代
この十年・次の十年(丸山学)
最低線を維持した料金
二年間で三倍へ
郷土文芸を作興
勉強しながら(阿部小壺)
亀井のわび住居から(田中辰二)
投句殺到に驚く(中島一葉)
地獄から天国へ
附和随行(伊吹一郎)
秋晴れの峠台地に
三千の聴衆うっとり
神棚へ上げた初放送料
すべてを郷土本位に
共存共栄の理念(吉原嘉三郎)
肥後にわか復活す
うれしさ半分こわさ半分(蓑田又雄)

3.意欲と努力が生んだ快調
小止みなき設備の改善
RKK放送劇団
“無漏寺縁起”など(伊吹一郎)
“石の兵隊”後記(木村裕章)
種切れになった肥後にわか
“九州六社会”の結成
“公録”の地方進出
驚異的躍進の中に
中央の芸能人迎えて
伸び悩んだタイム・セールス
RKK子供会の発足
放送劇団活躍す
人吉放送局開局
農事番組の強化へ
息の長いラジオ番組
各種の定期刊行物
益々好况の東京支社
マイク10年
緒方竹虎氏の訃報(牧田正臣)
県政とRKK(水上長吉)
県政記者座談会(上田幸法)
邦楽放送のかげに(米村共司)

4.上げ潮に乗るテレビ開局
民放テレビへの拍車
テレビムードの展開
公共放送か私営放送か(小堀周二)
杞憂に終った悲観説
意外な新局面
T・Vアンテナは金峰山に
マス・コミの王者の偉容
新館と阿部一族(荒木精之)
エープリール・フールならぬ
東西に披露パーティー
テレビ初の生番組
教養的なものを(吉村一郎)
広く衆智をあつめて
サービス・エリヤの拡張
ここでも人気随一
放送基準を規定
社外モニターを設定
圧倒的な視聴率
水俣病ノイローゼ
施設いよいよ充実
期待そそる実況放送

5.果たす地方文化への寄与
TV時代、ラジオの生る道
番組審議会の歩み(北村直躬)
歓迎された学校放送
好みの音楽がミソ
PRに苦労した
躍進熊本博と皇太子ご夫妻
CM部発足で新生面
人吉テレビ局の開設
送信所続々と無人化
難視聴解消への苦心
効率化への機構改革
機構改革についての考え方(水野重任)
放送三千回の快記録
当たりすぎて悲鳴
八ヶ月にわたる苦闘
ヒットした“日曜教室”
三池争議につづく試練
テレビ時代へ急ピッチ
水俣、牛深に歓声
佐賀でもRKKが優位
十周年記念特別番組
特別番組電波に乗る
第一回の放送を終って(岡崎幹雄)
“あすへの道しるべ”要目
傍系的な文化活動
新鋭機器ぞくぞく
PR効果四年で十倍
十年の歩みを顧みて
多彩な十周年記念事業

6.エピソード
白星・黒星
中国に古い諺ある(直田宏)
入社自体が白星(芥川健一郎)
本務には白星なし(徳永親治)
“禁出入”から歓迎へ(重岡正治)
専務の電話を茶化す(岩永健吉)
借りた発電機で危機脱出(江島賢)
新任課長に送別の辞(元生尚志)
“アワヤ停電”を助ける(吉村宣治)
33回転を45回転(相川康憲)
一時はノイローゼ気味(赤星純二)
スポット
工夫から叱られた局長
チャイムになった机
穴を埋めて叱られる
雑談まじりの放送
デン助一代記
十月に中元放送
雨だれ放送
録音に入った腹の虫
ゴメンナサイ
ちょっと一服
ラジオ熊本の歌

終りに