遺骨
はじめに
第1章 首都東京・足元の遺骨
のどかな公園で/甘かった被害想定/大空襲の犠牲者はどこへ行ったのか/子どもまで動員しての仮埋葬/「銃後」の犠牲/異常な高さの火柱/東京大空襲の米指揮官に、日本政府が勲章/学校、病院の敷地にも/三年後の改葬/「よしず」で囲って/「改葬」当事者の座談会/
改葬を見た人たち/「戦争被害受忍論」/忘却の彼方へ/「そんなことを蒸し返す必要があるんですか」/都市空襲と遺骨
第2章 激戦地・硫黄島で
戦略上の要衝/圧倒的戦力差のなかの戦い/島へ/菅政権下の「成果」/収容現場で/遺骨収容に参加/灼熱下の作業/「木に食われる」/宿舎で/スコールの合間/父であり息子であり夫であった/不発弾、手榴弾とともに/成果を支える人たち/遺骨を探す若者たち/悲願―
滑走路下を掘る/「死んだ人たちに申し訳ない」/政治の責任/元島民たち/慰霊のあり方
第3章 沖縄・長崎の死者たち
「沖縄戦」戦死者の出身地/残るのは三二〇九柱?/開発の波/「新都心」で見つかった二〇〇柱/一人一人の最期を記録し、伝える/なぜ遺骨を探すのか/「ガマフヤー」の仕事/万年筆の奇跡/「DNAのデータベースを」/沖縄戦の終結と指導者/近衛と吉田/平和の礎/
「さとうきび畑」/「広島」の場合/三輪車に乗る三歳児の八月六日/試される想像力/原爆ドームのすぐ近くに眠る七万柱/氏名が分かっていても引き取り手がない/「長崎」の場合/東本願寺長崎教務所/長崎市の「無縁遺骨」
第4章 遺骨収容の戦後史
日清、日露戦争と戦没者遺骨/戦争まみれの大日本帝国を象徴する墓地/「戦陣訓」―のたれ死にの教え/勝ち目のない戦争のつけ/戦後の遺骨帰還事業/初めての硫黄島調査団/遺骨収集に関する国会決議/「第一次計画」/中国で陵辱、撤去された慰霊碑/国の方針は
「できる範囲で」/納得しない遺族/「第二次計画」の開始/「第三次計画」へ/「靖国」か「千鳥ヶ淵」か/千鳥ヶ淵戦没者墓苑/シベリア・戦後四六年過ぎて/困難になる収容/フィリピン人の遺骨混入問題/新聞記事を読んで、父の遺骨確認/せっかく遺骨を収容しても……/
引き取り手のない遺骨は霞が関の一室に
第5章 戦没者慰霊の国際比較
骨にこだわるのは日本文化ゆえか/すべて母国に帰還を―アメリカ/関係悪化の北朝鮮でも/現地埋葬主義―英連邦/「戦場にかける橋」/直江津の捕虜収容所跡で
第6章 日本の「戦後」を問い直す
戦後七〇年を前に/「満州国」の墓標/荒野に実るリンゴ/北朝鮮―遠い帰還/交渉の歯車を動かせるか/ミャンマーの場合/遺骨収容・促進法案の行方/「今度こそ最後にしないと」/何のための立法なのか/ガダルカナルから自衛艦で還った遺骨/事業を担う若者たち/
同年代だった兵士たちに思いをはせる/幕引きの日へ
あとがき
主な参考文献