戦争画リターンズ
第一章 敬礼される絵画「アッツ島玉砕」
会田誠のもう一つの戦争画シリーズ「裸でごめんなさい」
松本竣介の「貴方達は、続けて戦争画を描かれたらいい」
「アッツ島玉砕」にムラムラした会田誠と、反戦を感じとった野見山暁治
上野の山で「アッツ島玉砕」を見た山田風太郎青年
藤田嗣治、陸軍高官に「アッツ島玉砕」を御説明申し上げる
「アッツ島玉砕」、みちのくの老いたる見物人と出会う
戦争画、天覧の光栄に浴す
昭和天皇は「アッツ島玉砕」を御覧になったか?
新藤兼人は「アッツ島玉砕」の兵隊の目に恐怖した
昭和二十年、「アッツ島玉砕」の行方
「日本を捨てたのではない、捨てられたのだ」と藤田は言った
さようならニッポン、バカヤロー藤田
第二章 「アッツ島玉砕」を凝視する
「死にくたばる」草森紳一に導かれて、「アッツ島玉砕」に再会する
「アッツ島玉砕」に描かれた「死者の傍に咲いて居る花」
鶴田知也の小説『アッツ島』が発売延期となる
上演されなかった川口松太郎の芝居「アッツ玉砕」
少国民は「アッツ島玉砕」のトリビアな細部を見ていた
草森紳一の父・草森義経はアッツ島へ派遣されるはずだった
オカッパ頭の世界大戦から「河童頭新体制」へ―フジタの戦争
第三章 オカッパを切った藤田嗣治の坊主頭時代
もう一枚の「哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘」の死屍累々
注文の多い軍人たち、注文に応じる坊主頭の藤田画伯
藤田嗣治が装幀したノモンハン戦車撲滅戦戦記『ノロ高地』
五十四歳の藤田嗣治、宙返りの戦闘機に乗り込む
井伏鱒二がシンガポールで見た、兵隊思いの藤田嗣治
「私の右の腕は陛下に捧げ奉ったもの」と藤田は書いた
「アッツ島玉砕」はコレクター平野政吉に贈られるはずだった?
第四章 英霊の島アッツへ
会田誠の「父」三島由紀夫が詠んだアッツ島玉砕の和歌
会田誠の「祖父」小林秀雄が語った「アッツ島に現れた思想」
太宰治は、アッツ島の小説の題を「玉砕」から「散華」に改めた
太宰治の弟子・三田循司の父は、アッツ島墓参で息子の遺体を見つけたくないと思った
山崎大佐の遺児・保之は、アッツ島で「血が凍ったような真ッ黒なユリの花」を手折った
阿川弘之は、昭和四十四年にアッツ島取材を無鉄砲にも敢行した
ドナルド・キーン少尉は、初陣でアッツ島に上陸し、日本兵の死体を見た
瀕死山崎保代大佐は、もがきながら銃口をこめかみにあてた
アッツ島の山崎保代大佐に送られた桜の押花
第五章 花々の島アッツ
東条英機のあわてぶり「半月以内にアッツの飛行場を完成せよ」
昭和天皇、アッツ島の戦況についての御軫念と怒り
アッツ島で花を撮影していた陸軍報道班員・杉山吉良
視界が四分の一になっても、杉山吉良はアッツ島の花に執着した
ハッチスン女史はアッツ島滞在三時間で、六十九種の植物を採集した
北大の舘脇操は、昭和四年に植物採集でアッツ島を訪れていた
ヴェールを脱いだ「平和を愛する、科学者天皇」
キスカ島の植物標本を献上した峯木十一郎司令官
「天皇の島」ペリリュー島への慰霊
第六章 戦争画が還ってくる日
高倉健が山崎大佐を演じていたならば
火野葦平が感動した万年一等兵の戦場写真
岡本太郎の怒り爆発―フジタへの憤りと軽蔑
「ゲルニカ」のピカソへ宛てた、藤田嗣治の手紙
あとがき