勝った中国・負けた日本
まえがき
序章 日本敗戦の衝撃 一九四五年
はじめに
敗戦直前・直後の中国関係記事
戦後の両国首脳は
過去の誤りと敗戦の現実
中国からの報告
投書での応酬
第一章 内戦へ向かう中国を見る目 一九四六年
平和を願う善意
もたらされた辺区の状況
中国女性からの声、政治家、国民は
内戦を見る目
第二章 内戦はどう伝えられたか 一九四六年~一九四七年
間接取材の限界
国民大会・憲法制定・総統選挙
延安陥落
第三章 内戦の外と内 一九四七年~一九四八年
トルーマン宣言
土地改革
中国の日本観
第四章 戦局の推移 一九四七年~一九四八年前半
山西から東北へ
学生の反戦運動
日本での見方
東北から華北、華中へ
優劣の転換―一九四八年前半
第五章 衰弱する国民党政権 一九四七年~一九四八年
総統選挙
学生の反米運動
激しいインフレと通貨改革
張群来日
第六章 共産党軍、全面反攻へ 一九四八年秋
済南陥落
三大戦役(遼藩・淮海・平津)
戦火、華中へ
各地の表情
第七章 内戦、大勢決す 一九四九年
蒋介石の下野声明
毛沢東の八項目
広東への遷都、蒋介石の辞職
北京、無血開城へ
第八章 渦中の暮らし、政府、日本人 一九四八年~一九四九年
中国庶民の暮らし
「有頭無身・無頭有身」
帰った軍人、残った軍人
第九章 中華人民共和国の成立(1)内戦の終結 一九四九年
何応欽内閣の成立と中共七期二中全会
交渉再開
共産党軍、総攻撃を開始
南京陥落・国民政府崩壊
上海攻防戦
第十章 中華人民共和国の成立(2)新国家誕生 一九四九年
持ち上がった「承認」問題
米「対華白書」の衝撃
新政府樹立へ
「満洲」の日本人
第十一章 戦後の分岐点 一九五〇年
東西対立の中へ「共産中国」の登場
英の北京政府承認
「アチソン・ライン」登場
北京の米総領事館占拠事件とコミンフォルムの日共批判
「中ソ友好同盟相互援助条約」
第十二章 建国直後の中国国内 一九五〇年
その後の上海、北京など
「広がる飢饉」報道
海南島の攻防
南下していた在満邦人
日中貿易再開への動き
第十三章 朝鮮戦争 一九五〇年
東西対立がついに発火
台湾海峡に動き
日本への影響
仁川上陸作戦で戦況一変
共産党軍、チベットへ
第十四章 中国軍参戦で長期戦へ 一九五〇秋
平壌(ピョンヤン)陥落
中国軍参戦
戦況再転
中国の戦略
中国代表国連へ、米は原爆声明
平壌(ピョンヤン)再度の陥落
第十五章 戦線膠着・休戦会談へ 一九五一年
三八度線をはさむ攻防
国連で中国非難決議
「悪役」イメージの固定化
第十六章 講和条約と中国問題 一九五一年
米英ソの駆け引き
米英ロンドン会談
日本の選択
第十七章 独立回復と「中国選択」 一九五一年~一九五二年
日華平和条約への流れ
米英首脳会談
吉田書簡
「日華平和条約」
政府答弁の反転
第十八章 モスクワ経済会議・断絶の終わりへ 一九五二年
高い壁
高良とみ議員、モスクワに登場
戦後初、三議員中国に入る
民間貿易協定が成立
三人の目に映った中国
あとがき
日中関係年表(一九四五年~一九五二年)
参照文献
人名索引