証言・帯広空襲
平和を訴え続ける碑に(吉澤澄子)
帯広空襲(五十年)発刊によせて(田辺勇)
一、戦時中のようす
戦時中の生活の一端
二、私の中の空襲
帯広空襲 帯広畜産大学碧雲寮史より(植田勝美)
忘れられぬ帯広空襲(石川美津野)
心に残る思い出の断片(丹麗子)
私の空襲体験から(柴田敏子)
帯広空襲の日(阿部豊子)
帯広空襲体験記(佐藤忠司)
帯広柏校機銃掃射(石川行雄)
帯広空襲を顧みて(石川ヨシノ)
遺族『石川美津野様』とのご縁(小笠原知新)
おきくさんのねがい(吉澤澄子)
帯広空襲の日の思い出(駒澤美智子)
「本別空襲」について(侘美智草)
更別空襲でも被害があった(菊地慶一)
蒸気機関車八六三四号(菊地慶一)
マサ子さんの遺影を前にし平和のちかい(玉井ハツイ)
本別・十勝の空襲(古沢寛美)
北海道空襲と帯広飛行場(松本尚志)
明日に向かって生き抜いた中学生たち(川越祐作)
捕虜の強制連行(石川行雄)
座談会 帯広空襲を語る
三、戦後のくらし
防空壕生活(部田茂雄)
主人の代わりに、子ども、孫たちのために(西岡和子)
防空壕での生活が続く(山田勲)
とうきび・いも・かぼちゃ・大根が主食(吉田テル子)
こんなおはなし聞いてね(やまざきりょうこ)
国敗れて山河あり(柳万里子)
座談会 戦後のくらし
四、平和への願い
平和を愛しつづけて(高久民子)
「帯広空襲を語る会」に参加して(侘美有紀)
全人類とその子孫のために(南川和子)
空襲に思う(侘美正)
平和がいつまでも(大友侑)
戦争の中のわたし(前保美枝子)
平和すぎる日本(山内白葉)
実体験記録を後世に(三神克己)
沖縄に散った戦友に(高橋実吉)
時は流れて(石川ヨシノ)
「帯広空襲を語る会」と私の家族(侘美祥子)
平和の大切さを語りついで(浅見フサ)
平和のバトンを子どもらに渡す時(金倉久美子)
八月十五日の思い出(山田克二)
平和憲法を守って(田中光雄)
悲惨と残虐 加害と被害のはざまを見つめて(斎藤弘道)
座談会 平和への願い
核兵器廃絶平和都市宣言 一九九一年八月十五日(侘美智草)
編集後記