図書アノ ヒ アノ トキ000058977

あの日あの時

サブタイトル1~10
空襲体験記
編著者名
十三地域広報委員会 編
出版者
十三地区各種公共団体連合会
出版年月
1985年(昭和60年)7月
大きさ(縦×横)cm
21×
ページ
135p
ISBN
NDC(分類)
916
請求記号
916/J98
保管場所
閉架一般
内容注記
『コミュニティ十三』別冊
和書
目次

発刊にあたって(室田益弘)
発刊によせて(淀川区長 小杉浩)
日本国憲法(抜粋)
グラビア 大阪被爆状況(米軍資料)
戦争突入から敗戦
空襲の惨状
十三東戦災地域図

戦争体験記
赤褐色の煙、黒ずんだえんじ色の太陽(梶山彦太郎・当時35歳)
消火をあきらめ(白井俊夫・当時17歳)
阪急電車が黒こげ(佐々木守真・当時43歳)
疎開者はみじめ(佐々木すみ子・当時35歳)
空がまっ暗(川村カヨ・当時25歳)
焼夷弾を避け川と神津神社を往復(大森政子・当時37歳)
家財道具を自転車にのせ堤防へ(奥田喜三郎・当時40歳/由美・当時36歳)
まさか焼け残っているとは(久保田まきの・当時41歳)
最後まで疎開せず(堀場たま・当時35歳)
B29や海軍機が(木村信治郎・当時40歳)
家にも三ヵ所焼夷弾(有山静・当時34歳)
大橋がゆれた(鉄尾末松・当時43歳)
逃げるのが精一杯(辻本静枝・当時31歳)
学童集団疎開(水原通子・当時10歳)
幾度も死体につまずいて(水原通子)
こわくてこわくて(渡辺フシノ・当時33歳)
空襲から終戦への記憶をたどって(伊賀通恵・当時16歳)
この子生きてる?(藤本貞子・当時35歳)
生きるということ(谷口ヨシノ・当時36歳)
集団疎開(谷口昌弘・当時10歳)
十三の方向もものすごい黒煙(岸上吉源・当時41歳)
とけたガラス(船越鋼之進・当時12歳)
家族を壕に入れて(田中美夫・当時47歳/ハナ・当時39歳)
誰かが足を(野中きよ・当時39歳)
お互いぶじで(竹内鹿次・当時38歳/清乃・当時34歳)
こわかった(久保のぶ・当時45歳)
お寺で死体を(山本カオル・当時36歳)
ふとんなどが飛び上がる(真砂てるこ・当時32歳)
ほんとうにこわかった(大黒ミナ・当時43歳/和夫・当時10歳)
泥水で消火(入江ヤエノ・当時24歳)
不気味な空襲警報のサイレン(阪井ウメノ・当時33歳)
焼けんよう、焼けんよう拝んだ(小泉をさを・当時40歳)
二階建ての家が三、四十センチの瓦礫に……(高田治喜・当時44歳)
主人は出征、商売と、疎開と、空襲と(木下房枝・当時29歳)
生後三日の次男を死なせまいと……(但馬きよ子・当時29歳)
炸裂音の下、家は崩れおちた(加茂宏・当時14歳)
防空壕へ直撃弾、恐ろしいことばかり(粟飯原マサ江・当時30歳)
空襲の日を思いだすままに(北川英雄・当時15歳)
焼けた時の不在を近所から叱られた(丸山イト・当時36歳)
恐ろしかった! 戦争は絶対反対(井口高雄・当時38歳)
堤防の上はあつくて通れなかった(岸卯一郎・当時42歳)
爆弾はくどく、ひつこかった(小林鴻司・当時46歳)
「棟あれへんわ」(小林実・当時42歳)
二度も焼け出された(小林マツ・当時43歳)
爆風で数十キロの石が飛ぶ(堀内幸太郎・当時42歳/正枝・当時40歳)
直撃を受けた子どもと母親(河野年良・当時39歳)
「ザーッ」と雨音のような焼夷弾(友倉清弘・当時44歳)
十三での空襲(八木美代子・当時15歳)
真っ暗な中をあみだ様と逃げた(上嶋房江・当時25歳)
ボーボーと燃えた麦畑(北村英次郎・当時17歳)
真っ赤な焼夷弾(春名徳雄・当時40歳)
食料難の思い出(森本その・当時28歳)
グラマンが電車に……(小島精男・当時40歳)
自転車疎開(小島精男・当時40歳)
白いふとんをかぶっていて、どなられた(小島つゆ子・当時35歳)
郵便物の保管に苦労(中島治一郎・当時28歳)
断水、防火用水の水も枯れて(山崎守・当時15歳)
無数の死体の間を夢中で避難(射水君代・当時39歳)
防空ずきんの上から水をかぶって消火(平野歳子・当時16歳)
焼夷弾の破片で腕から血が(辻本トミ・当時35歳)
爆撃の予告ビラが投下された(村山酉重・当時36歳)
くろい大粒の雨が降った(小泉和佐子・当時19歳)
焼夷弾の火の雨(三宅堅志・当時31歳)
負けた戦争ほどみじめなことはない(坪田辰之助・当時39歳)
男子動員学徒のリレーの水で消火(田中清澄・当時41歳)
修羅場の中での母の一声(本部碩子・当時19歳)
爆弾で地面がゆれて歩けなかった(小柳喜美子・当時13歳)
艦載機にねらわれた(半田つや子・当時33歳)
無我夢中で逃げた(今村増太郎・当時42歳)
焼け残った家に間借りの生活(西野いと・当時46歳)
B29の波状攻撃(川崎二三・当時41歳)
戦争の悲劇(宮田清子・当時20歳)
家が残っていてびっくり(荻野ハマ・当時37歳)
バケツで水をかぶり炎のアーチの中を帰る(北岡和彦・当時13~14歳)
辛い地獄のような思い出(広実千枝子・当時44歳)
ドブの水で消火する(橋本千代子・当時31歳)
安全な場所を求めて逃げまわる(山川純子・当時10歳)
落ちた焼夷弾を消す(四宮昭三・当時13歳/加藤宮子・当時19歳)
焼夷弾で周囲一面真っ暗やみ(渡辺松平・当時38歳/さの・当時33歳)
不発弾、急に爆発(松山正・当時32歳)
あたり一面火の海、人の叫び声(牧岡登美子・当時21歳)
淀川の水の中の冷たさを忘れて(橋詰増子・当時20歳)
二人の兄は戦死 父と妹を十三空襲にうばわれて(稲垣富子・当時21歳)
本当に戦争はいや(坂口清子・当時27歳)
空襲下の救護体制(岩橋栄一・当時40歳)
学童疎開の想い出(浅野匡二・当時12歳)
戦争の恐ろしさ悲惨さ(佐野信次郎・当時37歳)
北野百年史より
崇禅寺の惨状(大阪大空襲の体験を語る会編「大阪大空襲」より)(西岡祖学・当時30歳)

学童疎開
建物・物資疎開
戦後の復興
あとがき