図書カタリツグ センソウ000058761

語りつぐ戦争 第1集

サブタイトル1~10
市民の戦時・戦後体験記録 名護市史叢書;1
編著者名
名護市史編さん委員会 編/名護市史編さん委員会(戦争部会) 編/名護市史編さん室 編
出版者
名護市役所
出版年月
1985年(昭和60年)3月
大きさ(縦×横)cm
21×
ページ
216p
ISBN
NDC(分類)
916
請求記号
916/N26/1
保管場所
閉架一般
内容注記
和書
目次

目次省略
平和なまちをつくるために(名護市長・渡具知裕徳)
あなたも戦争体験の語り手に(名護市教育委員会教育長・比嘉太英)
平和への証しとして(名護市史編さん委員長・金城誠昭)
第1章 総説(村上仁賢)
 
第2章 住民の体験
米軍と日本軍の狭間で―十二歳の目(祖慶良孝)
機関銃と少年(仲尾松敏)
戦時中のお産―主婦の戦争体験(玉城マツ)
夫の意地―主婦の戦争体験(仲宗根ウシ)
非常米―避難民を受け入れて(島袋盛仁)
呉我山の食糧供出(友寄カナ)
山中避難(宮城ハル)
金城幸三・幸生兄弟虐殺―五名の証言
銃後から山中彷徨、そして伊差川収容所へ(伊波寛一)
泣く子もだまるラブレス中尉―田井等収容所にて(糸数新治)
瀬嵩収容所にて―食糧配給を担当する(西平正蔵)
友軍に狙われて(仲里一徳)
少年の任務―大浦崎収容所で(大城文雄)
心から消えることのない戦争(宮里苗)
伊江島十・十空襲に遭った思い出―羽地青年学校教官として(新島俊夫)
農業会から大浦崎収容所の配給係まで(比嘉松吉)
見たこと、聞いたこと、出会ったこと―兵事主任として(岸本金光)
名護町役場職員と戦争(宮城岸清)
逃げるあてもなかった愛楽園の職員・入園者(友川光夫)
 
第3章 三高女・三中生徒および護郷隊員の体験
負傷兵を見つめて―三高女生徒の体験(伊佐トヨ)
従軍看護婦として―三高女生徒の記録(山川敏子)
追いつめられた国頭の山岳戦―三中学徒・一有線班員の記録(比嘉親平)
護郷隊の隊員として(玉城蒲五郎)
護郷隊に入隊して(松田久昌)
護郷隊の一員として(新田宗貞)
 
第4章 県外での体験
サイパンでの戦争(具志堅徳慎・ヨシ)
受難の海軍二等兵(宮城盛雄)
大陸の日本軍(末吉業明)
 
資料編
既刊図書・資料に収録された名護・山原に関する戦争体験記録・証言リスト
名護・山原の沖縄戦関係文献資料目録
図1 避難小屋と壕の分布
図2 田井等収容所と田井等市
図3 大北区概況図
図4 避難小屋の状況復元スケッチ
図5 友寄カナ氏の食糧供出メモ
図6 避難小屋内部のようす
図7 伊波寛一氏の避難経路
図8 瀬嵩収容所と瀬嵩市
図9 大浦崎収容所と今帰仁村平敷への経路
図10 三高女配置図
図11 八重岳の各部隊俯瞰図
図12 比嘉親平氏の避難経路
図13 具志堅一家の避難経路
 
写真1 名護・山原の戦争展会場風景
写真2 山から降りて(田井等収容所)
写真3 ミーデラの壕(現在)
写真4 名護曲りを行く米海兵隊
写真5 名護の街を制圧し(4/7)、LSTで資材を陸揚する米軍
写真6 作業する捕虜たち(田井等収容所)
写真7 交通整理にあたる民間人(田井等収容所)
写真8 墓地台帳(瀬嵩収容所)
写真9 大浦崎収容所
写真10 教員証明書
写真11 伊江島空襲
写真12 大兼久出征軍人家族
写真13 名護市街地廃墟と化す
写真14 名護町役場(昭和33年頃)
写真15 幸喜出征軍人家族
写真16 愛楽園の戦中記録
写真17 愛楽園内の壕
写真18 屋我地島上空を飛ぶグラマン
写真19 三高女生徒の通学風景(戦前)
写真20 三高女戦没者
写真21 三中生徒閲兵式(昭和14年)
写真22 嘉津宇岳・八重岳に向け掩護射撃する米第六海兵師団
写真23 本部半島の山間を進む米海兵隊
写真24 三中学徒の碑(真部山)
写真25 多野岳への道(内原薬草園跡)
写真26 沖縄県有林事務所跡(大湿帯、現在)
写真27 大湿帯の県有林付近(現在)
写真28 避難民であふれた三原福地川(現在)
写真29 三〇余名が生活した伊差川の家(現在)
写真30 少年護郷隊の碑
写真31 少年護郷隊の碑文
写真32 南洋興発のチャランカノ製糖工場(サイパン、戦前)
写真33 バンザイクリフ(サイパン)
写真34 勝ってくるぞと勇しく(名護町、昭和14年)
写真35 遺骨収集(伊江島)
表紙装丁(村上仁賢)