昭和陸軍秘録
知られざる記録(等松春夫)
Ⅰ 昭和陸軍の素顔 将校たちと社会
陸軍を選ぶ
幼年学校の雰囲気
士官学校と社会
西田税
何を考えていたか
士官学校の日常
成績と兵科決定
兵科閥
中学出身者も要職に
宇垣軍縮の実態
政治をどう見ていたか
陸軍大学校
軍人の生活
桜会
陸大卒業
張作霖事件
「天保銭」
軍務局軍事課へ
予算班の仕事
機密費
知られざる実権
「次官渡し」
予算編成
昭和八年予算
外部との折衝
軍務局の上司たち
Ⅱ 揺れる陸軍省荒木陸相への期待と失望
正すべき誤解
永田鉄山、山下奉文
小畑敏四郎
参謀本部内の対立(総務部と第一部)
荒木将軍への改革の期待
五・一五事件
様々な省内の動き
荒木人事への失望
予算問題
青年将校たち
中国へ
中国共産党
先入観を排す
中国通の人々
満州と中国共産党
フランス駐在
当時のフランス軍
内戦のスペインへ
正規軍と義勇軍
Ⅲ 動乱期の巨大組織 永田事件、二・二六事件
海外で知った永田事件、二・二六事件
東京で革命が起きたのか?
三長官同意とは
複雑な人事権
軍事参議宮
産業五ケ年計画
石原莞爾
戦争指導課
軍務課と軍事課の分離
新聞班と調査班
石原イズムの功罪
林内閣への評価
幻の宇垣内閣
慮溝橋事件
長期戦の気配
ゲリラ戦
計画なき戦さ
臨時軍事費
経済計画との関係
北支――石原のジレンマ
近衛内閣改造への怒り
Ⅳ 忍び寄る総力戦 三国同盟・対支工作・南進諭
軍事課高級課員として
三国同盟
ソ連の脅威
飛び交う噂
阿部内閣登場
江兆銘引き出し
独ソ不可侵条約の衝撃
支那派遣軍創設
省内対立の人脈
人事のパターン
本部付と本部付勤務の違い
参謀
対支工作の攻防
中国からの撤兵計画
時局処理要綱
援蒋ルート遮断
米内内閣と軍務局
総力戦研究所
Ⅴ 開戦の舞台裏 東条首相に仕えて
英米可分論と不可分論
北部仏印進駐
南方処理要綱
対ソ作戦準備
枚方火薬庫爆発事件
ノモンハン事件の誤算
責任の所在
日米交渉への期待
日米了解案とハル・ノート
独ソ開戦
七月二日御前会議
予期せぬ資金凍結とジリ貧論
南部仏印進駐
東条内閣誕生
陸相秘書官に
Ⅵ 見通しなき戦い 軍事課長時代
軍事課長に就任
東条系の人々
批判者たち
家族主義者、東条
怪物、田中隆吉
陸海軍の対立
チモール問題
レーダー・核兵器情報
ドゥリットル東京空襲
ミッドウェイ海戦
ガダルカナルの戦い
戦略対立
参謀総長兼任問題
和平への取り組み
反東条運動
内閣崩壊
外部のパートナーたち
おわりに戦史を紡ぐ
人名索引
索引あり