図書キリガオカ サンジュウゴネン シ000058375

桐ヶ丘三十五年史

サブタイトル1~10
編著者名
桐ヶ丘三十五年史編纂委員会 編著
出版者
北郊文化
出版年月
1981年(昭和56年)6月
大きさ(縦×横)cm
26×
ページ
248p
ISBN
NDC(分類)
213.6
請求記号
213.6/Ki53
保管場所
閉架一般
内容注記
和書
目次

目次省略
高松宮宣仁親王殿下ご感想
発刊のご挨拶(編纂委員長・平野吾郎)
発刊によせて(東京都知事・鈴木俊一)
桐ヶ丘三十五年史によせて(東京都教育長・平山秀親)
発刊を祝して(東京都住宅局長・黒坂重蔵)
桐ヶ丘団地のおもいで(東京都北区長・小林正千代)
桐ヶ丘の発展史に寄せて(北区教育長・岩田嘉幸)
口絵写真 終戦直後の軍用地の状況と当時の世情
口絵写真 今はなき風物詩
口絵写真 終戦後の火薬庫住宅事情
口絵写真 桐ヶ丘団地建設始まる
口絵写真 桐ヶ丘団地造成は水との闘い
口絵写真 桐ヶ丘台地古墳群発掘
前篇について
赤羽陸軍火薬庫の概要―信管爆発、少年の指ふっとぶ―(宮崎誠造)
高松宮宣仁親王殿下を御迎えして(宮崎定子)
移り変る風物と写真の記録(渡辺肇)
「スラム街」のべっ称にも耐えて―赤羽郷住民の団結と努力―(土屋猪三郎)
戦前の桐ヶ丘周辺(石井正文)
〝赤埴〟がナマった?「赤羽」の名―電灯がついて思わずバンザイ!!―(富田喜八郎)
桐ヶ丘生協(都民生協)二十年の歩み―誕生そして発展の道―
都民生協の原点・桐ヶ丘の心を永遠に(桐原良彰)
命の綱〝ララ物資〟のころ―総量の半ばを都内で配分―(元・民生局物資班一同)
開店ナンバーワン―路上に木箱を並べて―(宮崎誠造)
俳句(佐藤香津樹)
八百屋一筋―終戦直後ヤミの仕入、警官が鬼門―(逸見勇)
桐にまつわる想い出(安孫子清水)
桐ヶ丘の変遷(岩倉よし光)
トロッコが生活を支えた―赤羽郷の〝郷〟はふるさと―(土屋徹)
タイムトンネルを通して八っ岳山麓よりはるかに赤羽郷を想う(竹下裕)
桐小校長として五年―集団赤痢から〝転禍為福〟へ―(松本友治郎)
桐ヶ丘小学校旧校舎の火災(小浜利久)
旧北中学校(写真)
想い出あれこれ談議 座談会
桐ヶ丘の遅春(滝口輝子)
竪穴住居跡も発見された―桐ヶ丘団地建設現場―(宇野信四郎)
学生寮「協和荘」の想い出(酒井定男)
赤ちゃん同窓会・赤羽郷の想い出(武村晴正)
 
後篇について
発刊によせて(横田嘉文)
桐ヶ丘スケッチ(小坂立夫)
桐ヶ丘団地建設の想い出(高野禎)
「桐ヶ丘」という地名の由来(桐生政夫)
椎の木は根づいた北中正門…つわものどもの夢の跡…に(柴田輝夫)
四半世紀かかった団地の完成(建設年表)(村岡壬司)
居住者の要望も多様化―(財)都営住宅サービス公社が生れて満十年―(山崎康平)
お祭りが唯一の楽しみ(写真)
鳩山一郎氏の肝入りで実現―桐ヶ丘地域医療充実へ―(大橋栄二)
俳句(日の基青老閣)
日本初の産直は桐ヶ丘で―桐ヶ丘団地における都物価対策事業の推進―(荻島毅導)
「ペルシャの市場」からの脱出―公設小売市場スタートへの道のり―(山崎芳子)
「ダンチ」は「あこがれの住まい」―なつかしいふるさと桐ヶ丘―(渡辺倭文子)
北区公住協・十五年の歩み(福田要)
ラーⅡ世号大西洋横断―アジア人ただ一人のカメラマン―(小原啓)
工事は進む(写真)(森田隆)
桐ヶ丘スケッチ(石田正義)
桐ヶ丘音頭・桐ヶ丘小唄(岩田小筆)
引揚者寮のころと桐短歌会まで(広島力蔵)
短歌(桐短歌会)
俳句・短歌(佐藤香津樹)
私たちの世話役桐ヶ丘出張所
桐ヶ丘集団住宅電話組合のあらまし(五味利明)
地域の情操教育に力を入れる―ブルースカイ・アンサンブル―
桐ヶ丘二十年わが生活史―芸能同好会も順風満帆―(青木文光)
桐ヶ丘団地周辺の諸施設(写真)(丸山保夫)
ヨーガ体操研修三ヶ年(中村久子)
「北郊文化」回顧十二年(中村伯三)
編集後記(中村伯三)
写真・絵・資料等の提供者一覧
資金協力者一覧
装幀(二科会商業寫眞部・阿部重太郎)
題字((財)都営住宅サービス公社理事長・山崎康平)
本扉(東京都北区長・小林正千代)
口絵・写真(撮影・解説・渡辺肇)
地図・略図
終戦ごろの桐ヶ丘周辺の軍事施設図
赤羽火薬庫時代の略図
私たちの入居した火薬庫の全貌図
昭和三十五年頃の赤羽郷商店街略図