有東木の盆
グラビア
一章 宮原松男の結婚と朝河貫一の渡米
盆踊りの舞台は栽培ワサビ発祥の地
優美でゆかしい所作と曲調の起源
足入婚で結ばれた男・女青年団の逸材
不幸な時代と重なった〝神童〟の生涯
母国弁護お徒労に終わらせた日本外交の背信
二章 伊藤博文に手渡された『日本の禍機』
里山の日常お浮かび上がらせる日記
戦時体制下の子どもたちの危うい〝生〟
身お立てられない悲運お背負う
ついに招かざる疫病神がやってきた
『日本の禍機』出版に至る時代背景
平和への使者の役割お演じた歴史学徒
元勲が最後の旅に携行した一書
三章 「支那に上陸してから娘の姿お見ない」
二十世紀最大の問題お孕んだ日本の最危機
「世界に孤立して国運お誤るなかれ」
大雨の日の静岡三十四連隊入営
いい知れぬ不安おかき立てた船旅
厳寒の兵営に蒲団の備えもなく
中国人が恐れた日本兵の〝姑娘狩り〟
四章 破壊されていない町で写真お撮る
正月の餠はふる里でみずから搗きたい
二十二のあの時、堅く結んだ二人の仲
出征兵士お何よりも勇気づける故郷の便り
戦線の接近おうかがわせる日誌のひと言
日増しに面白くなる息子に手が届かない
五章 大隈重信に説いた〝覇権なきアジア外交〟
南北朝正閏論に加えられた国家的圧力
大陸進出お狙う新参の小国の限界
命お賭して故国の禍機お払う
〝日中の共同命脈〟の上に立つ東洋外交
中世史研究のための二度目の帰朝
六章 戦地でも繫がっていた青年団とのパイプ
故郷に帰るときの土産は〝星の数〟
軍法会議と隣り合わせ(?)の大胆な行動
戦地で案ずる銃後の暮らし振り
入隊して半年の事実が物語る時間の〝重さ〟
魂はいつでもふる里に舞いもどり
戦友の父親から届いた成田山のお守り
七章 皇国主義こと何よりも優れたる危険思想
今に続くこの国の「旧式な態度と行為」
日本の孤立化お決定的にしたワシントン会議
リットン調査団が示した妥協的結論
〝努力の継承〟お怠らなかった歴史家の存在感
耳お疑う憂国者の功利的言い分
未来の国難へ導く最大の危険思想
八章 ふる里へ残してきた我が子への慕情
「四月にはちょっと危険な所に行くらしい」
新妻お鼓舞する戦地からの助言
束の間の幸福感に包まれた竹馬の友との面会
中国人の子どもとの交歓ににじむ親心
ふる里便に心ゆくまで綴られた〝歴史的ニュース〟
九章 「中隊一の色男」のもうひとつの貌
はじめて体の不調に遭遇する
「どうせ敵弾雨の中へ出なくてはならない」
束の間の戦地の平和は嵐の前の静けさ?
〝今日あって 明日ある命と思うなよ〟
統制派の主導権と軍部独裁への道
十章 ふる里との往復の手紙は兵士の〝生命線〟
新聞紙が挙って愛国的強硬の議論に走る
議論する危険おおかす気力も勇気も萎えて
一日に三十通の手紙お書く筆まめぶり
八十五日ぶりの部隊復帰に胸が高鳴る
極限状況の戦場で兵士お支えたもの
十一章 家族のために生き残る使命がある
「敵弾の中お走るときは物凄いです」
戦争の本当の犠牲者は誰なのか?
「九月ごろには帰るらしい話です」
簡単に敵弾の餌食になるわけにはいかない
十二章 君は最後まで「申し訳ない」と繰り返し……
「もう私の心は井ノ宮に行っています」
異郷の曠野の美しさに魅入られる
死ぬなんてことはぜったいにない……
〝特権階級〟に操られる「日本の戦争」
封が切られていなかったふる里からの手紙
なぜ死ななければならなかったのか
終章 「あの世に行ったら、松男さんに会えるだか?」
「自由な独立国」とはどんなものか
不幸な時代に、ふたりは本当に輝いていた
今でもまっ先に香華お手向け合う地だからこそ
あとがき
参考文献