図書エヒメ ノ ショウワシ ヘイセイ ネンピョウ000057968

愛媛の昭和史・平成年表

サブタイトル1~10
アトラス地域文化新書;04 1926-2005
編著者名
難波 穣 著
出版者
アトラス出版
出版年月
2006年(平成18年)5月
大きさ(縦×横)cm
19×
ページ
157p
ISBN
4901108476
NDC(分類)
218.3
請求記号
218.3/N47
保管場所
閉架一般
内容注記
参考文献:巻末
和書
目次

はじめに
 
昭和編―戦前 <年表>
昭和元年 昭和2年
昭和3年 昭和4年
昭和5年 昭和6年
昭和7年 昭和8年
昭和9年 昭和10年
昭和11年 昭和12年
昭和13年 昭和14年
昭和15年 昭和16年
昭和17年 昭和18年
昭和19年
 
昭和編―戦後 <年表・出来事>
昭和20年 /松山、宇和島、今治が米軍空襲で焼け野原に
昭和21年 /旧制松高講堂で『ペレアスとメリザンド』上演
昭和22年 /海外引き揚げ者ら、松山市で花園市場を開く
昭和23年 /新制高校発足。全日制県立48校、私立9校
昭和24年 /温泉郡難波村で準急列車が脱線転覆
昭和25年 /当時の愛媛を代表する景勝地を投票で選定
昭和26年 /県民が言論の自由を獲得していく過程で発生
昭和27年 /第25回衆院選。普選定着、政党活動活発化
昭和28年 /雨の中、傘を差さずに買い物が
昭和29年 /ディーゼル機関車の登場で姿消す
昭和30年 /松山城登山ロープウェイ完成
昭和31年 /空の旅、本格化。極東航空の松山―大阪線開設
昭和32年 /県内スーパー第1号、大街道主婦の店開店
昭和33年 /南海放送テレビ開局。県内生放送の初め
昭和34年 /多喜浜塩田(新居浜市)、波止浜塩田(今治市)閉鎖
昭和35年 /県議会で2人議長騒動。自民党県議団の分裂から
昭和36年 /消防団から常設消防へ
昭和37年 /宇和海村の海岸でニホンカワウソ捕獲
昭和38年 /東予地域、新産業都市に指定
昭和39年 /奥道後遊園地開業
昭和40年 /伊予鉄道森松線廃止
昭和41年 /松山空港沖で墜落、搭乗50人全員死亡
昭和42年 /伊予柑(イヨカン)の新品種「宮内伊予柑」、登録商品に
昭和43年 /松山城小天守閣など復興
昭和44年 /愛大紛争。法文学部本館を学生が封鎖
昭和45年 /旅客船ぷりんす号乗っ取り事件
昭和46年 /四国初のターミナルデパート・いよてつそごう
昭和47年 /松山市南江戸町で古照遺跡発見
昭和48年 /オイルショックで本四連絡橋(今―尾ルート)の大三島橋起工式延期
昭和49年 /香川県三豊漁協組合員、ヘドロ公害で伊予三島・川之江の両市へ抗議行動
昭和50年 /台風5号直撃。石鎚スカイラインで大災害
昭和51年 /愛媛大医学部附属病院、重信町に開設
昭和52年 /久万高原ふるさと村オープン
昭和53年 /旧日本海軍戦闘機の紫電改発見。久良湾海底
昭和54年 /松山市の来住廃寺跡、国指定史跡に
昭和55年 /県総合運動公園、松山市と砥部町にまたがる丘陵地にオープン
昭和56年 /子規記念博物館、道後公園内にオープン
昭和57年 /FM愛媛開局。民間局としては全国5番目
昭和58年 /宇和海一帯で赤潮発生、ハマチ2万尾死ぬ
昭和59年 /伊予市でオーストラリア産果実から「ミバエ」
昭和60年 /国鉄最後の新線、「内山線」開通
昭和61年 /「来島どつく」の坪内寿夫社長退任。「日刊新愛媛」は廃刊
昭和62年 /佐田岬頂上線開通。八幡浜―三崎間1時間短縮
昭和63年 /県立とべ動物園オープン。道後動物園を移転
コラム「平成改元」
 
平成編 <年表・出来事>
平成元年 /第1回坊っちゃん文学賞受賞式
平成2年 /桃山学院短大で最後の卒業式。閉学へ
平成3年 /四国縦貫道(松山自動車道)、いよ西条ICまで開通
平成4年 /潜水漁の男性、サメに襲われ行方不明に
平成5年 /JR予讃線、高松―伊予市間の電化工事完了
平成6年 /大江健三郎、ノーベル文学賞受賞
平成7年 /本県初の国際定期航空路開設。松山―ソウル便
平成8年 /松山市、新居浜市、大西町で情報公開条例施行
平成9年 /国道317号の水ケ峠トンネルが開通
平成10年 /松山市堀之内に県美術館オープン
平成11年 /西瀬戸自動車道(しまなみ海道)が開通
平成12年 /県、市町村合併試案発表。合併論議本格化
平成13年 /芸予地震発生、県内各地で大きな被害
平成14年 /松山市の坊っちゃんスタジアムでプロ野球オールスター・ゲーム
平成15年 /松山大、学長辞任要求で混乱
平成16年 /済美高野球部、選抜大会初出場・初優勝。創部2年
平成17年 /個人情報保護法完全施行。解釈で混乱
コラム「戦後60年」
 
資料編
県内市町村合併状況
あとがきにかえて
参考文献