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『永遠の0』と日本人

サブタイトル1~10
幻冬舎新書;331
編著者名
小川 榮太郎 著
出版者
幻冬舎
出版年月
2013年(平成25年)12月
大きさ(縦×横)cm
18×
ページ
259p
ISBN
9784344983328
NDC(分類)
210.75
請求記号
210.75/O24
保管場所
閉架一般
内容注記
記述は第3刷による(2014年1月)
和書
目次

はじめに
第一章 戦争は単なる悪なのか―映画『永遠の0』が照らし出す亀裂
あの日、真珠湾は美しかった
最初に見終えての感想は「憤り」
甘ったれたヒューマンドラマ?
二度目にして辿り着いた感動
限りなく美しい空戦シーン
戦争は単なる悲惨な絶対悪なのか
零戦は日本人の美学の象徴だった
岡田准一の非の打ちどころない名演
戦争経験者でもある老優たちのリアリティ
命を惜しんでいたはずの宮部がなぜ?
暗示される葛藤、狂気、そして出撃
物語の終わり
万言を費やしても説明できない真実
戦争の不条理を引き受けて生きるということ
我々の人生の空疎さが問われている
照らし出された亀裂
 
第二章 「戦後日本」の美しき神話―映画『風立ちぬ』のアンビバレント
宮崎映画は「戦後日本」の神話である
平和と流血との矛盾から目を背けてきた日本人
「戦後日本」に守られて見続けた夢
『風の谷のナウシカ』における文明への懐疑
『永遠の0』前史と悲恋の融合
戦闘機を描きながら戦闘シーンが全くない
画面から溢れ出す色彩のマジック
歴史から逃げてしまった宮崎
零戦開発はなぜ必要だったのか
歴史的実在たる堀越への冒瀆
「後進国による無謀な戦争」ではなかった
「この国のおかしさ」は描かれたのか
「日本の少年」と「国家忌避者」との相克
人間宮崎駿の葛藤を抱え込んだ映画
 
第三章 偽りと不振の日米関係―縮図としての映画『終戦のエンペラー』
見れば見るほど奇妙な映画
俳優・スタッフたちの驚くべき無知
正義のアメリカが日本軍国主義を裁くという構図
日本に戦争を仕掛ける野望はなかった
アメリカの戦略と日本の政治不在
不可避だった開戦、そして敗戦
アメリカは本当に最後に笑ったのか
大東亜共栄圏構想の真の意義
百二十万の市民を殺戮したアメリカの狂気
東京裁判は「文明の裁き」などではない
映画で描かれる廃人東条は完全な嘘
捏造されるマッカーサー像
日本人は敗れても誇りを失っていなかった
日本人を精神的に屈服させようとしたGHQ
正義の名を借りた史上空前規模の言論弾圧
白人による独断と誤りに満ちた日本理解
昭和天皇の全責任発言はあったのか
マッカーサー回顧録が図らずも物語ること
全く史実に反する会見シーン
「偽善に満ちた戦後日米関係」の戯画
 
第四章 「戦後」からの決別―小説『永遠の0』の奇跡
映画では隠された小説の科白
百田尚樹のダイナミックな歴史観
平成版、戦う男たちの物語
おめでたい思考停止への糾弾
「帝国海軍の恥さらし」という宮部の自己認識
映画で描かれなかった「敵を殺す宮部」
「生き延びる努力」の真意
宮部はなぜ特攻を志願したのか
初めて誕生した「大東亜戦争」が主人公の小説
 
第五章 特別攻撃隊とは何だったのか
世界の戦史に例を見ない戦術
こんな二十歳の青年が存在した社会があったか
人類社会に潜む大量虐殺と残虐さへの衝動
人間的狂気の最も対極にあった作戦
日本の戦争のあまりに清潔な美学
現場も求め、望んでいた作戦
どのように敗北するかという深い悩み
昭和十九年十月、ついに作成発動
大西中将はなぜ特攻に固執したのか
五百年後、千年後の民族再興の灯として
終戦工作の不在を若者の死で購った理不尽
実際には圧倒的な戦果を挙げていた
特攻がなければ本土は蹂躙されていた
隊員たちの真情を知る難しさ
「遺書は本音ではない」と言うことの心なさ
「空からお別れすることができることは、何よりの幸福」
「死にに行く事すら忘れてしまひさうだ」
これ以上ないほど命を生き切っている
八月十六日未明、大西中将自決
 
あとがき
参考文献