高野建設風雪30年
序(高野政造)
第1編 創業前史
道路の変遷
人馬交通の時代
明治より大正へ
建築の変遷
幕末・明治初年の建築
戦前までの建築
第2編 創業史
創業者高野政造
少年志を立つ
青年期
舗装第1歩
大正10年ごろの道路
後藤新平の経綸
関東大震災と高野式瀝青瓦
瀝青瓦の発明
独立・土木請負業開始
徒手空拳の独立
復興事業と道路研究会
不況時代
失業対策と道路
最初の国産プラント
高野式第1号の製作
最初の国産ガソリン・ローラー
「エレファント号」の製作
ABC式舗装を考案
試験舗装の時代
第3編 風雪10年
高野組創立
資本金5万円で発足
創立当時の世相
熊本行幸道路
悲壮な決意で着工
苦境に立つ
不況の影響
裸一貫から再出発
乳剤撒布カーの発明
40万平米の舗装
道路工事の機械化
東亜の風雲
2.26事件
日本道路協会の発足
上海飛行場工事
戦火の上海
飛行場の舗装
元山飛行場の工事
カタピラ・トラクターの出現
飛行場工事へ進出
新型土木機械の考案
高野組10周年祝賀
盛大な記念行事
本社移転と〈10年史〉の発刊
第4編 戦争前後
北方工事
北千島列島へ進出
ホロムシロ、エトロフの工事
ホロムシロにて
監獄部屋
エトロフにて
南方工事
ウォッチエ島
南鳥島(マーキス島)の工事
戦時中の舗装
飛行場舗装の研究
高野式鉄板滑走路の提案
南太平洋の攻防戦
飛行場急速施行座談会
鉄板滑走路の提案
満州国の舗装座談会
本社の空襲
2度の被災
第5編 民主時代
終戦の記
日本破れたり
雁の巣にて
東京にて
建築部の新設
焦土の再建
大島観光ホテル
土木部の再出発
土木第1回工事
終戦直後の米軍工事
立川と小倉
高野建設と改称
社名変更と社屋の移転
墜落機引揚げ工事
落ちた飛行機
工事余話
硫黄島工事
戦禍のツメあと
無名戦士の慰霊祭
輸送と解体
硫黄島にて
危機に陥いる
中小企業の倒産続出
第6編 最近の概況
再建への第1歩
大工事へ進出
道路の復旧と建設
荒廃道路の修繕
道路法の全面改正
今後の道路事業
戦後の建築
住宅政策
最近の建設ブーム
好況下の建設事業
高野建設の株式公開
建設株の上場
高野建設の海外技術研究
社長の渡米
高野社長の報告講演
社員の海外派遣
発展する建設産業
建築業界の現況について
主要工事経歴
終戦から現在まで
米軍基地工事
土木工事
建築工事
創立30周年記念祝賀会
創立30年を迎えて
付録 舗装界の長老座談会
年表
原色版 高野式無騒音杭打機
グラフ(I)
グラフ(II)