日本の名機をつくったサムライたち
- サブタイトル
- 零戦、紫電改からホンダジェットまで
- 編著者名
- 前間 孝則 著
- 出版者
- さくら舎
- 出版年月
- 2013年(平成25年)11月
- 大きさ(縦×横)cm
- 19×
- ページ
- 430p
- ISBN
- 9784906732579
- NDC(分類)
- 538
- 請求記号
- 538/Ma27
- 保管場所
- 開架一般
- 内容注記
- 文献あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
まえがき
第一章 天才と呼ばれた「九六式艦上戦闘機」「零戦」の設計者 堀越二郞(元新三菱重工参与、元東京大学講師)
オリジナルの「零戦」が六九年ぶりに里帰り
堀越の右腕が語る「零戦」の真実
設立して二年の東京帝大航空学科に入学
昭和二年卒の同期は良き友、良きライバル
高額でドイツから外国人教授を招聘
渡欧で自覚した愛国心
航空機開発に出遅れた三菱
傑作機「九六艦戦」を開発、自信を深める
開発を後押しした山本五十六
海軍から突きつけられた高ハードルの要求
一グラムもおろそかにしない徹底的な軽量化
「零戦」の高性能を生み出した高馬力エンジン
「零戦」以降の航空機開発は失敗つづき
戦争末期には性能不足を露呈
高性能の反面、量産には向かない機体
堀越が抱えていた強い自負とエリート意識
米国から逆輸入された「零戦」の高評価
「YS-11」開発で再びスポットライト
若手設計者に対する冷淡とも思える態度
第二章 航空機産業の復活に尽力した「YS-11」の開発リーダー 東條輝雄(元三菱重工業副社長、元三菱自動車工業社長)
「YS-11」開発の内実を取材依頼
航空機産業発展に必要な民間機開発
三菱入社半年後、「零戦」設計チームに配属
自ら図面を一枚一枚徹底チェック
「零戦」の真実については黙して語らず
父親の強い勧めで東京帝大航空学科に進学
「零戦」で設計から改善まで開発の一通りを体験
航空機部門の温存をしたたかに図った三菱首脳陣
敗戦後、気がかりだった父親の行末
朝鮮戦争勃発で米国の対日占領政策が大転換
通産省が突如ぶち上げた国産旅客機開発計画
“政官産”の不十分な議論で決定した生産中止
粘り強く進めたボーイングとの交渉
日本の航空機開発を巡る厳しい環境
巨額の事業資金がかかる航空機開発のリスク
第三章 「飛燕」「屠龍」など二〇数機を開発したミスター・エンジニア 土井武夫(元川崎重工業航空事業本部顧問、元名城大学教授)
並外れた体力と強靱な精神力の持ち主
第一次大戦を契機に飛躍した航空機部門
同級生中川とともに東京帝大航空学科に進学
超エリートながら見習工として川崎造船に入社
世界的な設計者フォークトに師事
陸軍の競争試作で三菱、石川島に勝利
フォークトと英語で激しい議論も
無茶なテスト飛行で事故が相次ぐ
供覧飛行で強度計算の重要性を実感
フォークトの推薦を受け欧州を歴訪
二八歳で設計者として独り立ちを余儀なくされる
思い出に残る二〇機を超える試作競争
主任設計者として開発した「屠龍」が大戦果
三七歳のとき試作部長に昇進、大臣表彰も
敗戦後の図面焼却に無念の思い
失業また失業で苦しい生活がつづく
一年間の療養生活の後、航空業界に復帰
“サムライ”の一人として「YS-11」開発に参加
堀越にも啖呵を切った設計者としての強烈な自負
予算取りのためのモックアップ作成
大小様々なトラブルに見舞われた「YS-11」開発
後輩に身をもって示した実践的な設計
当時の若手設計者が語る土井の手法
第四章 傑作機「彩雲」を設計、戦後「T-1」で音速の壁を初突破 内藤子生(元中島飛行機設計者、元富士重工業取締役)
戦後、口を閉ざした名機の設計者
高速偵察機「彩雲」で知られる名設計者
基本設計を手掛けた「富嶽」の全容
正式発表前に「富嶽」構想の中核を担う
目的は米ピッツバーグ爆撃
名付けられたZ機に他社は冷たい反応
アルミの逼迫を理由に計画は中止
“大社長”中島の構想の意図は何か
内藤が述懐する「富嶽」の開発状況
画期的な「排気ロケット」を立案
米軍をも驚かせた「彩雲」の高速度
自衛隊のジェット練習機を開発
富士重工、航空業界復帰の功労者
戦前の経験を生かし、ジェット機時代の幕を開ける
第六章 「隼」「鍾馗」などの設計者から“ロケットの父”へ転身 糸川英夫(元中島飛行機設計者、元東京帝国大学教授)
自他ともに認める「日本の宇宙開発の父」
ロケット開発の研究グループを設立
開発の呼びかけに応じた富士精密工業
六二歳でクラシックバレーに挑戦
中島飛行機入社後すぐに目立つ存在に
屁理屈をこね入社式や歓迎会を欠席
様々な戦闘機の空力設計を一手に担当
無理難題を押し付ける軍の設計要求
軍との摩擦で航空機開発に限界を感じる
東京帝大工学部からスカウトを受ける
好待遇の中島飛行機を去る
戦後は様々な分野の研究に挑戦
第七章 「九七式大艇」「紫電改」など、独創的な名機を次々開発 菊原静男(元川西航空機設計部長、元新明和工業取締役)
敗戦後も自信に満ちていた希有な設計者
「YS-1」の叩き台となる計画を立案
菊原を設計主任に推した土井案は却下
東京帝大の卒業設計で水上機に挑戦
「桜号」で太平洋横断を目指した川西航空機
シンプルで頑丈な英国流の設計手法を習得
愚直なまでの取り組みが独創的発想を生む
「九七式大艇」から飛行機全般の開発にかかわる
発送のヒントは倉庫の屋根のトタン板
「九七式大艇」が名設計者をつくった
海軍将校とともにサイパン、パラオに飛ぶ
常識にとらわれず徹底した軽量化を図る
ガダルカナルの撤退戰で飛行艇が大活躍
局地戦闘機を海軍に自主提案
空戦時に優位に立てる自動空戦フラップを開発
名機「紫電改」開発に着手
空戦で大戦果を挙げた「紫電改」
米軍をも驚かせた菊原設計の飛行艇
食いぶちを稼ぐため、鍋や釜も生産
新明和に生まれ変わった川西航空機
米軍機の性能を上回る飛行艇設計に挑戦
創意工夫で波消しや飛沫の始末を図る
米国の協力を得て対潜飛行艇開発に成功
戦前戦後を通じ名機を生み出した天才設計者
後輩に引き継がれた菊原の思い
第八章 強い信念で戦中、戦後ジェットエンジンの開発に賭けた男 土光敏夫(元石川島播磨重工業社長、元経済団体連合会会長)
ジェットエンジンでの高シェアを導いた信念
ジェットエンジン開発に一貫して賭ける
反対を押し切りエンジン生産を引き継ぐ
合理化の手腕を買われ、臨調会長に就任
将来を嘱望され若くしてスイスに派遣
新会社ISTの技術部長に就任
ジェットエンジンの生みの親、種子島
不思議な出会いに導かれたエンジン開発
戦争末期、ISTの最高責任者に
無理が生じていたジェットエンジン開発
陸軍がついにエンジン試作を命令
体系的に研究開発に取り組んだドイツ
技術者不足で各メーカーは開発に四苦八苦
陸軍、東大航研、ISTが開発したネ130
敗戦後もネ130の研究開発を継続
初飛行に成功したネ20搭載の「橘花」
鉄道で生きながらえたジェットエンジン研究
土光の長男、陽一郎へのインタビュー
経営危機に直面した起業でらつ腕をふるう
エンジン開発に満悦、実験の爆音に喜ぶ
赤字を顧みずジェットエンジンの生産を継続
第九章 終戦間際、日本初のジェットエンジン「ネ20」の開発に成功 永野治(元海軍技術中佐、元石川島播磨重工業副社長)
海軍入省時の面接官は山本五十六少将
子供の頃から技術のもつ合理性にひかれる
初陣の「零戦」エンジンを指導
種子島のエンジン研究を手伝う
急速に高まったジェットエンジンへの関心
種子島のお目付役としてエンジン開発に復帰
わずか二カ月間でこぎつけたエンジンの運転試験
日本初のジェット機「橘花」初飛行成功
敗戦後、目標を失い虚脱感に悩む
冷静に評価していた自身開発のネ20
ついに突き止めたクラックの原因
戦前の軍組織や技術開発を徹底検証
土光からの要請を受け入れ石川島へ
各社が手を引いたエンジン生産を背負う
飛躍的に成長したIHI航空エンジン事業部
ロールス・ロイスから求められた共同開発
RRに対抗、GEからも共同開発の申し出
五カ国の共同開発で誕生したV2500エンジン
東洋人初の英国王立航空学会名誉会員
若手テクノロジー集団の育成に尽力
第一〇章 「YS-11」から「MRJ」まで三菱一連の民間機を開発 西岡喬(元三菱重工業社長、元三菱航空機会長)
「MRJ」の事業化が正式発表
実は大健闘だった「YS-11」ビジネス
記者会見にはいなかった「MRJ」の立役者
自前開発によってのみノウハウは身につく
文系志望から一転、東大航空学科に進む
あの堀越の一喝で三菱入社を決意
強度実験を手探りで進める
「MU-300」開発
航空機開発の集大成「MRJ」に賭ける
三度目の延期。トラブルつづきで遠のく初飛行
堀越ら先輩の系譜を受け継いだ自覚
第一一章 ゼロからスタートし米国で「ホンダジェット」を事業化 藤野道格(ホンダエアクラフトカンパニー社長)
最高権威エアクラフト・デザイン・アワード受賞
米国で手づくりの航空機開発を体験
「MH02」で航空機開発をゼロから体験
当時の川本社長に開発継続を直訴
最大の特徴は主翼上に配置したエンジン
干渉抵抗が最小限のスイートスポットを発見
ついに「ホンダジェット」が試験飛行に成功
福井社長がホンダジェット事業化を決断
米国で浸透するホンダブランドが追い風
自動車開発および生産のノウハウが生きる
閉塞的な国内の航空産業に風穴を開ける
航空機開発に必要なリーダーシップ
若い世代に引き継がれるホンダの遺伝子
あとがき
主要参考文献
資料の利用については4階 図書室のご利用にあたってをご覧ください。
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- 図書情報部 図書係
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