図書コウシテ テレビ ワ ハジマッタ000057608

こうしてテレビは始まった

サブタイトル1~10
占領・冷戦・再軍備のはざまで
編著者名
有馬 哲夫 著
出版者
ミネルヴァ書房
出版年月
2013年(平成25年)12月
大きさ(縦×横)cm
20×
ページ
325,4p
ISBN
9784623067725
NDC(分類)
699
請求記号
699/A72
保管場所
開架一般
内容注記
文献あり 年表あり 索引あり
和書
目次

プロローグ ファイスナーとハウギー
ファイスナーとの出会い
ハウギーへのインタビュー
CIA文書の発掘

第一章 「ラジオの父」と「トーキーの父」からテレビは始まった
テレビ導入に関する最古の文書
GHQが皆川に代理人契約書作成を指示
ドゥフォレスト・皆川テレビ局の持つ危険性
「ラジオの父」と呼ばれたドゥフォレスト
そして「テレビの父」へ
カラーテレビ開発に参戦
日本進出の目論見
日本のトーキーの父・皆川芳造
特許争い
フォノフィルムとミナトーキーのその後

第二章 テレビ導入を望んだ「放送法の父」と「民間放送の父」
占領中に放送法が作られた理由
電波法も放送法もなかった戦前の日本
日本放送協会を「民主化」したGHQ
GHQの「逆コース」とCIEの「逆コース」
放送関連法の制定を急がせたアメリカの狙い
戦後アメリカの通信・情報政策の淵源
冷戦の舞台になった国際電気通信連合
アメリカが日本の復帰を望んだ理由
追い風となった国際民間航空路線の開設
国際放送が欲しかった日本の事情
占領政策に最大限利用された日本放送協会
ハウギーは民間放送を否定していなかった
占領が終わったら民間放送にテレビを任せる
日本放送協会の左傾化を棄権ししていたファイスナー
VOA再開を見越して
占領後をにらんだ布石

第三章 「テレビの父」の戦前と戦後
ネットワーク放送の許可申請
鮎川をパートナーに
鮎川に白羽の矢を立てた理由
鮎川は正力にバトンタッチをしたのか
ドゥフォレスト-マッカーサー書簡の本当の中身
ドゥフォレストのテレビ導入計画
ドゥフォレストの正力観
正力の追放解除嘆願の真相
提携者にすぎなかった正力
正力を加えることを許可しなかった理由
代わりはきっと見つけられる
利用されるだけでも構わないからテレビ事業にかかわりたい

第四章 「ニュース解説の父」と「VOAの父」の登場
日本初のニュース解説者
G2文書に登場する柴田
柴田は反共産主義者だったのか
日本放送協会が放送した日本国民向けプロパガンダ番組
「VOAの父」のテレビ構想
「VOAの父たち」はドゥフォレストと関係していたのか
マッカーサーにテレビ導入を要請したムント
ムント-マッカーサー書簡の真の作者
追放解除前に正力と会っていたファイスナー
ムント-柴田会談をアレンジしたのはファイスナーだった
受け皿として浮上した正力

第五章 「テレビの父」が「ラジオの父」を押しのけた
はれて解除された正力の追放
主導権を握った正力
正力は独り占めするような男ではない
「メガ論争」以前に決定していたテレビ方式
アメリカ方式採用を指示した吉田
アメリカ方式が安全保障上重要な理由
電力借款と引き換えだったアメリカ方式
「メガ論争」は「カラー論争」だった
国務省が拒否した日本テレビ放送網計画
巨大ゆえ外交問題とされたマイクロ波通信網計画
VOA長官はホールシューセンを嫌っていた
VOA予算を大幅に削除したトルーマン政権
不利な事実を隠蔽したホールシューセン

第六章 「テレビの父たち」の密約の崩壊
東京局建設に動き出した正力
ホールシューセンの手のひら返し
板ばさみになった柴田は山に籠もった
入手困難になっていたテレビ送信機
日本テレビの独立と局舎建設
無視されたホールシューセンの反発

第七章 「プロパガンダ放送の父たち」と「海上自衛隊の父」
米対日協議会が救済に乗り出した
米対日協議会の対日心理戦
米対日協議会がテレビに見出した利権
動きを注視されていたムント
児玉誉士夫と保全経済会を使って資金提供か
ドゥーマン訪日
野村の日本海軍再建計画
マイクロ波通信網計画と結びついた海軍再建計画
正力-ホールシューセン会談の内容
ダスチンスキーとホールステッドを起用
代替軍事通信網にされた日本テレビ放送網
最初の動いたのは吉田と米対日協議会だった
一〇〇〇万ドル借款の「特使」
置き去りにされたドゥフォレスト
夢を捨てていなかった鮎川

第八章 「テレビの父たち」のバトルロワイヤル
アメリカに渡った柴田
テレビ送信機獲得工作
東京局開設にCIAは関わっていたか
対米工作がCIA工作とされた理由
CIA工作に気付いたホールシューセン
元OSS長官を告発
キャッスルが柴田と政府要人との会談をアレンジ
ドノヴァンは秘密工作のためにタイへ赴いた
軍事通信網に変わっていたリレー網
マイクロ波通信網建設を日本側に働きかけていたホールステッド
軍事通信網として計画された日本テレビ放送網
柴田が手に入れたのは借款の推薦状にすぎなかった

第九章 日本テレビの誕生とマイクロ波通信網の流産
東京放送局のメディア史的意義
日本テレビの自画自賛と日本放送協会への初放送批判
正力マイクロ構造を潰しにかかった吉田
ポスト吉田を目指していた犬飼
なぜ吉田は正力マイクロ構想反対に変わったのか
正力の念書を無視した電電公社
鳩山を担げば密約はご破算になる
政治問題化した正力マイクロ構想
緒方に取り引きを申し出た正力
野村の対アメリカ工作
正力支持を見直したキャッスル
電電公社支持へ
マイクロ波通信網建設が電電公社に任された経緯
ドゥーマン・グループも梶井についた
原発導入へ向かった正力

エピローグ 忘れ去られた「テレビの父たち」
ドゥフォレストとポップル
ラジオと反共産主義
報われたドゥフォレスト
プロパガンダとしての娯楽番組
忘れ去られたくなかった皆川
「テレビの父たち」の名は残った

追補 かくてテレビは台湾にもたらされた 知られざる日米合作
Ⅰ はじめに
Ⅱ 曾虚白のテレビ導入の建議 導入第一段階
Ⅲ 岸の東南アジア外交がテレビ導入を促進した 導入第二段階
Ⅳ テレビ放送の実現 導入大三段階
Ⅴ おわりに


引用・参考文献
あとがき
人物紹介

資料
ハウギー・メモ(抜粋)
ファイスナー・メモ(抜粋)
SWNCC三八四
NSC一三/二文書(抜粋)
米国情報政策の変遷 大統領・国務省と上院外交委員会の主導権争い
関連年表
人名索引