聞き書日本人捕虜
序章 異文化との接触の場で
殺害・奴隷の時代から身代金へ
自由は拘束されるが生命は安全
日本が入らなかった俘虜条約
いつの時代にも<捕虜>はいた
中国戦線では捕虜続出
玉砕
サイパン以後に急増した捕虜
ジュネーブ条約を知らなかった
<捕虜>のなり方が分からない
「大義に生きよ」
国際人道法の普及を願って
第一章 『戦陣訓』は私が起草した(元陸軍中尉・白根孝之)
こんな立派な軍律があるのに・・・
中支の中隊長から召喚
平易な文にしようとしたが
「飲酒」が諸悪の根源
中隊長、小隊長の統率力が問題
論文が浦辺少佐の目にとまる
「生きて虜囚・・・」は僕が書いた
下級幹部のために解説書を作成
藤村が一生懸命筆を入れた
第二章 収容所で考えた日本と日本人―捕虜第一号は語る(元海軍少尉・酒巻和男)
尋問は紳士的でありたい
赤十字を通じ捕虜の通報
インタニーの世話になる
捕虜の指導に苦労
待遇は悪くなかったが
捕虜観が違う
帰国後にまず事情調査
やるだけやったの思いで
東京裁判での供述
ハワイの恨みをテキサスで
「俘虜」と「捕虜」
「米国に学ぶべきこと」を書いた
よく知らなかった『戦陣訓』
日露戦争の捕虜に親切を受ける
捕虜条約の存在は知っていた
第三章 私が管理した日本人捕虜たち(元米国捕虜収容所士官・平出勝利(日系二世))
米軍から見れば「ハード・エッグ」
小さなトラブルはたくさんあった
厳しくしたケネディ収容所
捕虜将校の群像
戦後、自衛隊入りした二人
「そんなバカな」で営倉へ
老少佐へのいじめも
捕虜条約を知らなかった捕虜
捕虜の「違い」
「分離」「移動」は慎重に
第四章 「カウラ事件」を語る(元陸軍上等兵・工藤清)
「ご老体」三十六歳の応召
気づいた時は病床
ほとんどが偽名
文句なしの厚遇
下士官・兵の分離が引き金に
朝鮮人捕虜の「密告」
不完全な民主主義で
強硬だった海軍出身者
強気の発言が勝った
どうせ死ぬならと自決
死ぬつもりだったが・・・
何事もなかったかのように
将校とは完全分離
米本土でもトラブルはあったが
人望集めた堂団長
豪州側からきいたジュネーブ条約
生きていた英霊として
第五章 大船尋問収容所
海軍専用の尋問収容所を設置
めぼしい者は全部送れ
まず厚遇して
一番長く巣鴨にいた男
ものいわぬ証人オッケーン
虚々実々の捕虜尋問
日本側もそれなりの努力をしたが
虐待避けてこその尋問なのに
情報取得は国際法違反にあらず
レーダーの機密も入手
他国との考え方の違いを知ること
あとがき