戦後型企業集団の経営史
序章 問題意識と意義
問題意識
本書の構成
考察の意義
第1部 財閥から戦後型企業集団への移行
戦後型企業集団の形戒―財閥から横の企業集団への移行過程
はじめに
財閥解体
社長会の成立経緯
財閥時の組織を活用した企業統轄構想
社長会でのメンバー企業間調整
財閥から企業グループへの移行
戦後の商号・商標管理における内容変化
はじめに
商号・商標の禁止政令とその後の推移
三菱グループが抱えた商標管理における問題点
三菱グループにおける商標管理
三井、住友における商号・商標管理
おわりに
シニア経営者によるグループ企業間調整
はじめに
シニア経営者と調整のスタイル
シニア経営者による調整ができた背景
企業グループへの過渡期
おわりに
財閥時の人事施策と戦後の企業集団への影響
はじめに
企業集団と財閥
三財閥の形成過程における違い
人材採用における違い
戦後の企業集団におけるトップマネジメントのキャリアの違い
おわりに
第2部 共同行動による成功事例―四日市旧海軍燃料廠の払い下げと石油化学工業への進出
三菱における化学企業の変遷―第二次大戦終戦直後までの経緯と概観
はじめに
明治から第二次大戦までの三菱財閥
三菱財閥における化学企業の動向
戦後における三菱グループの化学企業
三菱商事の再合同時における石油商権の集約化
はじめに
三井物産と三菱商事の戦前から戦後にかけての売上げ比較
第二次大戦前における両社の石油ビジネス
三井物産における石油商権集約化の失敗
三菱商事における石油商権の集約化の成功
再合同過程にみられた両社の石油商権の差異
四日市の旧海軍燃料廠の払い下げ
はじめに
終戦直後の四日市燃料廠の状況
一九五〇年代はじめの三菱系企業の動向
対立する企業群の動向
共同事業会社案の停滞
三菱グループ内での変化
徳山、岩国での払い下げ運動の状況
払い下げ方針の再検討と決着
燃料廠の活用方針の内容
決着以降の動向
燃料廠払い下げのもたらした意味
三菱油化の設立―三菱グループの石油化学工業への進出
はじめに
通産省の石油化学政策の変遷
三井、住友における石油化学の事業化
四日市での三菱グループの石油化学の事業化
三菱油化の設立と石油化学事業の展開
三菱グループからみた三菱油化の位置づけ
おわりに
三菱商事における石油ビジネスの展開
はじめに
三井物産における石油ビジネスの低迷
三菱商事における石油ビジネスの拡大
一九六〇年代以降の石油開発の高まりに対応する両社の経営行動
海外での石油化学事業の実施
おわりに
第3部 企業集団内におけるメンバー企業間の相克と決着
三菱化成の石油化学への進出
はじめに
一九六〇年代前半の石油化学業界
三菱化成の石油化学への進出
企業グループ内における化学企業の相克
石油化学工業の特質からみた企業競合
おわりに
四日市における公害発生と三菱油化
はじめに
一九六〇年代における三菱油化などの石油化学事業
四日市での公害発生
四日市公害訴訟と国における環境法制の整備
三菱油化の公害防止対策
おわりに
エチレン年産三〇万トン基準の設定と三菱系二社の動向
はじめに
成長産業から成熟産業への暗転
成熟産業化する石油化学工業
三〇万トン基準設定以降の三菱油化と三菱化成
おわりに
三菱化成と三菱油化の合併
はじめに
特定産業構造改善臨時措置法の制定
産構法制定の前後における三菱油化と三菱化成の動向
三菱油化と三菱化成の合併
三菱化学の誕生とその後
おわりに―四日市のエチレンセンターのたどった道のり
三菱商事におけるLNG事業の展開
はじめに
日本におけるLNGの位置づけ
戦後の電力・ガス会社の主原料転換
公害問題の発生と電力・ガス会社への影響
LNG利用の前史となった低硫黄原油の利用拡大
アラスカLNG
ブルネイLNG
三菱商事におけるブルネイ以後のLNG事業
おわりに
三菱石油と日本石油の合併
はじめに
三菱石油の歴史の概要
三菱石油における経営の限界
外資系企業からの脱却と自立的経営
三菱グループ以外の企業による三菱石油の救済
おわりに
概要と考察
歴史的経緯の概要
考察
参考文献
あとがき