昭和の戦争と独立
第一部 昭和の戦争
第1章 原発事故と太平洋戦争
二つの失敗、その共通点
原発事故と昭和の戦争
日本の科学技術の敗北
非常時に弱い日本の組織
恐るべき楽観主義
「勝つ」ことが排除したもの
あの戦争と原発事故にあった「想定外」
「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ」にさせないために
第2章 「勝利」 快進撃に隠された組織の非道理
真珠湾攻撃、シンガポール作戦、比島作戦
二十六の戦闘と五つの戦局
「勝利」期の日本の戦略
真珠湾攻撃の「目的」と「手段」の関係
徹底されなかった真珠湾攻撃の目的
マレー上陸と「からゆきさん」
「イエスかノーか」は恫喝だったのか
格調高かった降伏勧告文
「歴史的意思」なき思考の限界
比島作戦をめぐる対立
聞き入れられない合理的な意見
軍中央から排除される「旧制中学」出身者
第3章 「挫折」 組織のメンツが生む隠ぺいと愚劣な作戦
ミッドウェー作戦、ガダルカナル争奪戦
不可解な戦争指導
矛盾を糊塗した第二段作戦
積極策として生まれたミッドウェー作戦
判断ミスで空母四隻喪失
多くの教訓を残した戦い
「陸軍にもいうな」組織ぐるみで隠ぺい
ガダルカナルへの米軍上陸
失敗を繰り返して「餓島」に
省みなかったガダルカナルの戦略価値
陸海軍のメンツが失敗を拡大
第4章 「崩壊」そして「解体」「降伏」 建前の観念、組織対立の果てに
アッツ・サイパン・レイテ決戦と沖縄戦
昭和十八年以降の戦局
アッツ島攻略の意味
太平洋戦争で初めての「玉砕」
「見殺し」を美談に仕立てた大本営の思想
「絶対国防圏」
サイパンは「難攻不落の要塞」
「絶対落ちない」島の早かった陥落
民間人を死に追いやったもの
五十二万人が死んだフィリピン戦線
レイテ決戦の悲劇
大戦果への疑惑
握りつぶされた電報
真実を隠ぺいした海軍の罪
「降伏」期を象徴する沖縄戦
「幻想の世界」にすがる大本営作戦部
ゆらぐ沖縄守備軍の持久方針
目的を雲散霧消させた官僚主義
誇大に見積もられた特攻の戦果
沖縄戦を「本土決戦」と考える歴史的意思を
第5章 あの戦争を新視点で考えるナイフとフォーク
原発の補償問題と軍人恩給のこと
補償に必要な思想
正義と平和は一体か
普遍化しなかった日本の正義
経済から戦争を捉える視点
研究すべき「兵隊の幽霊話」
再び「特攻」を繰り返さないために
第二部 昭和の独立
第6章 戦後日本のはじまりを知る 「独立」への道と吉田茂
「新しい日本の発足」
日米同盟と日本の保守
なぜ独立記念日は制定されなかったか
アメリカを恨まなかった占領下の日本人
戦後日本の進路を決めた吉田内閣
吉田が終生仰いだ岳父・牧野伸顕
軍部への強い不信感
「国体護持」と新憲法
東西冷戦がもたらした早期講和
アメリカが突きつけた講和「七原則」
第7章 「講和」とは何だったのか 保守本流・吉田茂の歴史的意思
吉田の「曲学阿世の徒」発言の真意
再軍備を拒絶した吉田
単独講和の論点
再軍備せずに日本をどう守るか
マッカーサーとダレスを手玉にとった吉田
GHQ総司令官へハッタリをかける
雑誌『世界』に載った全面講和論
単独講和VS全面講和の背景にあったもの
軍が国民を騙したという心理
吉田の歴史観
第8章 「憎悪は憎悪によって取り除かれない」 講和会議の五日間
秩父宮と講和会議
日本全権一行、サンフランシスコへ
トルーマン演説とアメリカの思惑
直前のソ連参加表明
グロムイコの交渉術
全面講和派を失望させたソ連の条約修正案
日本への米軍駐留に異議申し立てした中東諸国
吉田茂を感激させたセイロン代表演説
アメリカが手を入れた吉田の演説原稿
日本がアメリカの支配下に組み込まれた日
軍事の時代と経済の時代
第9章 「北方領土、尖閣、竹島」再考 講和条約と領土問題
中国の「尖閣」キャンペーン
歴史を語れない日本人
日本の領土を定めた講和条約第二条
終戦後にソ連に占領された北方領土
ロシアが今も悔やむ歴史的失敗
吉田発言を利用したソ連の二島返還論
なぜ竹島や北方領土が明記されなかったのか
「固有の領土」論争の落とし穴
失われた「棚上げ」の合意
東京裁判と講和条約第十一条
あまりに受け身で後ろ向きな日本の議論
講和条約に埋め込まれた地雷
第10章 日本の「ありうべき姿」とは何か 日米安保、米軍基地問題
二宮尊徳と吉田茂
吉田茂の「不安のタネ」
日本の防衛が明記されない旧安保条約
治外法権化した米軍基地
裁判権に関する密約
『戦後史の正体』が提起したこと
「核密約」はなぜ結ばれたか
日米安保を「恥」と感じた吉田の心境
「アメリカへの従属」を覆い隠したもの
「国体」になった日米安保
高まる自主独立論と改憲
「ありうべき姿」を忘れてきた戦後
あとがき
参考文献