生き残りたる吾等集ひて
題字(金原耕二)
扉 この子等にいつまでも平和を(平和の泉にて)
グラビア
惨・一家全滅
動員学徒を弔う(長崎工業慰霊碑)
その名の如く清純に散った純心高女報国隊の碑
はるばるとやって来た長崎県慰霊碑参拝団(於・淡路島動員学徒の広場)
幾度も上京陳情団を送って
広島の生き残りたる友と一緒に 広島・長崎交歓会
原水禁キャラバン隊出発 原水禁国民会議の仲間と共に
宿願達成と併せて結成十五年を祝う役員達
発刊に当りて(会長・深堀勝一)
第一部 原爆被災
遺族の追憶
動員学徒の状況(校長の立場から)(熊川千弥)
追憶(辻原慶太郎)
動員学徒「孝子の死」(松添十郎)
亡き子を尋ねて(下釜シズ)
娘を偲びて(中村道徳)
追憶(宮路由美子)
遺筆と遺品(写真)
息子(強)を憶う(峰ゆく)
富雄の死を憶う(山田ミセ)
戦没者への追憶(高出岩太郎)
戦没者(悦子)への追憶(森信)
娘友子の死を思って(中山かね)
娘の死を偲びて(藤木タカ)
原爆の被害に泣く(富永吉五郎)
追憶(被爆八日間の苦闘)(坂本喜代治)
学徒動員遺族としての追憶(田尾徳次)
動員学徒の面影・裏面「痛恨賦」
亡き子への憶(石本テイ)
逝きし娘(林津恵)
亡き娘を偲びて(山本ユキ)
亡き長男をしのんで(松瀬まさぎよ)
長女美紗江を偲ぶ(西津繁天)
遺品(写真)
三男安徳の死(本田德栄)
亡き長女に(森末一)
殉職した長男への追憶(山口一之)
死没者名簿
慰霊の詩(古川城匡)
索引
動員学徒
女子挺身隊
徴用工
長崎原爆の概説
原爆投下の歴史的意義
被害の概況
被爆市街(写真)
長崎での徴用の一例
被爆地点別の記録
地図
三菱製鋼所(〇・七キロ)で被爆(島村実一)
製鋼所被爆(写真)
長崎商業学校内工場付近(〇・八キロ)で被爆(小佐々喜右エ門)
駒場防空壕(〇・九キロ)で被爆(保立陽子)
城山町二丁目(一・〇キロ)で被爆(三浦アヤ子)
傷害写真
城山町(一・二キロ)で被爆(井手ユキ)
三菱兵器(一・三キロ)で被爆(山田昌介)
三菱兵器被爆(写真)
茂里町三菱兵器(一・五キロ)で被爆(下谷富太郎)
長船船型試験場(一・七キロ)で被爆(寺田秋蔵)
稲佐橋附近(一・八キロ)で被爆(岩永虚鳴)
傷害写真
金比羅山砲台(一・九キロ)で被爆(町田清)
長崎駅(二・四キロ)で被爆(広佐古広一)
本博多郵便局(三・一キロ)で被爆(金原耕二)
本博多町被爆写真
※近距離被爆実態調査表
救援隊・救護所の状況
まえがき
救援隊等の行動一覧表・行動地図
原爆現地救護対策本部(豊島徳治)
終戦前救護隊(写真)
救護所の一断片(故・熊本正臣)
深堀・野母方面
茂木・矢上・南高方面
時津・亀岳方面
長与・諫早・北高方面
長与村の救護所
※学徒動員の沿革
第二部 会の記録
会の記事
会創立以前(32・10以前)
第一年次(32・11~33・9)
第二年次(33・10~34・9)
第三年次(34・10~35・9)
第四年次(35・10~36・9)
第五年次(36・10~37・9)
第六年次(37・10~38・9)
第七年次(38・10~33・9)
第八年次(39・10~40・9)
第九年次(40・10~41・9)
第十年次(41・10~42・9)
第十一年次(42・10~43・9)
第十二年次(43・10~44・9)
第十三年次(44・10~45・9)
第十四年次(45・10~46・9)
第十五年次(46・10~47・9)
会員名簿
会員の記録
結成大会の思い出(辻原光男)
会の結成と努力(林ミキ)
結成大会のころ(村崎圭子)
原爆犠牲のために(岳本静子)
全国平和行脚(写真)
始めて会合に参加して(田中ヒデ)
会の創立より現在までの苦心(野田キクヨ)
社労委員会の思い出(西本浅吉)
田口参議室にて(写真)
附録(参考法令)
総動員法その他
原爆医療法と特別措置法
援護法の動き
あとがき