セッシュウ!
はじめに
早川雪洲・青木鶴子家系図
第1章 青木鶴子・国際映画女優第1号
清明な笑顔
川上音二郎の姪
世界巡業へ出発、子役デビュー
売上金持ち逃げで暗転
決死のアメリカ巡業
音二郎倒れる
置き去りにされた鶴子
遺されたアルバム
「サムライ画家」青木年雄
サンフランシスコに「日本庭園」をつくる
気品の高潔な、自重心の高い女性になれ
観桜会
放浪生活始まる
血より濃く
雪洲・鶴子の初対面
少女期の終わり
女優への道
映画の開拓者トーマス・H・インス
映画デビュー「わたしは日本の国際女優第1号です」
実父からの手紙
「しようもないところにほれたのよ」
第2章 雪洲になるまで─1886年(明治19)0歳─日本時代
ふるさと房総
父・與一郎
猫のしっぽ
母・か弥
修験の出羽三山
ランプ磨き
下駄割り
男らしく喧嘩しろ
「絵の先生」になりたい
七浦の危機
なぞの2年間
忙しい東京生活
『不如帰』に涙
寒稽古
受験失敗
自殺ブーム
予言
ハラキリ未遂
命をさらけ出す
座礁船
「ダゴタ号」を描く
父の反対・母の力
「三戒」を申し渡す
梨をむく母の白髪の白さかな
第3章 夢や夢 あこがれのアメリカ─1907年(明治40)21歳─アメリカ時代
渡航船の中でも芝居
強盗撃退で始まるアメリカ生活
リトル房総
シカゴ大学へ入学するも卒業せず
チチ死す
「常盤俱楽部」演芸部
成功願望を兄につづる
排日運動とメキシコ移民計画
同郷の人を勇気づける
天に輝く星となれ
白人社会で勝負したい
芸名決まる
掘り当てた水脈
草創期の映画
黄禍論と「タイフーン」の世界的流行
初主演映画「タイフーン」
良縁あり
婚約と戸籍
波乱の結婚生活開始
沿岸の明星・在原狂夫
両手いっぱいの幸せ
鶴子が主、雪洲が従?
子どもが欲しい
映画「チート」スター誕生
「狂か愚か排日俳優」
上映禁止運動
「雪洲撲殺団」の結成
「今にわかるから、今にわかるから」
東のハヤカワ、西のヴァレンチノ
永久に保存するべき映画に指定
第4章 眠らない男─1917年(大正6)31歳─アメリカ時代
心意気をみせる
グレンギャリ城、完成
饗宴の場
天真爛漫なオペラ歌手・三浦環
莫大な収入
「日本人活動写真俳優組合」理事長
公債売り
宣伝映画「バンザイ」
プロダクション設立
理想の俳優は市川団十郎
撮影場の参観記
体が2つあっても足りない
飛んできた母の魂
日々の時間割り
雪洲ファミリー
日本視察とロケ隊
俳優たちの日本回帰
大正ロマンとモガ・モボと『キネマ旬報』発刊
21年ぶりの一時帰国
幻の日本映画主演作
狙われた雪洲プロダクション
「合併」の罠
危篤におちいる
アメリカ東部へ長期旅行
セット殺人未遂
三行半の演説
雪洲プロダクションの解散
舞台へ布石をうつ
帰国歓迎で生まれた「日本映画祭」
盛り上がる歓迎ムード
ついに15年ぶりの日本
押し寄せるゴロツキ、タカリ
自助の金銭感覚
日本での日々は消耗ばかり
喪服の離日
第5章 動く「役者絵」セッシュー──1923年(大正12)37歳─アメリカ、ヨーロッパ時代
日本人として初めてニューヨークの舞台に立つ
ジャポニズム
熱狂的歓迎の待つフランスへ
国賓級のもてなし
撮影レポート
日本で編集・上映された「ラ・バタイユ」の悲惨
英国王室が指名したハヤカワ
雪洲のいないハリウッド
個性的な上山草人
関東大震災
雪洲ファミリーの奮闘
さらばグレンギャリ城
和風建築「山城」
世界があこがれた「サムライ」
イギリス便り
インスのなぞの死と恩人デミル
やるなら大きく
「賭博に大負けして自殺」?
アルゼンチン・タンゴのレコード
『巴里週報』
舞台「ラブ・シティ」の3ヵ月
鶴子に捧げた小説『バンディット・プリンス』
美男ヴァレンチノの死
万国博覧会と「常盤俱楽部」の解散
舞台「馬賊の王子」巡業でなつかしのロサンゼルスへ
昭和時代が始まる
日本でプロダクション創立の動き
映画の革命トーキー
スキャンダルと離婚の危機
「早川雪洲プロダクション」創立趣意書
第6章 堂々帰国──1930年(昭和5)44歳─日本時代
ふたたびの日本
献上びわ
台本はふところにあり
舞台「天晴れウオング」
「早川雪洲映画会社」は詐欺会社?
大成功の舞台と鶴子の心配
名づけ親になる
青木家と雪洲
ばらのゆくえ
西部劇の「映画王」フェアバンクス来日
画家・竹久夢二のアメリカ行き
アメリカ脱出、「ゆき倒れ」
座談会・ハリウッドの日本人俳優たち
雪夫をめぐる争い
苦しみの海へ
追っかけルース
空回り
2人目の愛人から2人目の子ども
日独合作映画「新しき土」
日本脱出
伊丹版とファンク版
第7章 沈黙の石畳─1937年(昭和12)51歳─フランス時代
2度目のフランス時代は単身赴任
「ヨシワラ」からフランス版「チート」へ
独立プロダクション「デモフィルム」
愛人同士のはち合わせ
ナチスの介入
最後の引き揚げ船にも乗らない
「おかっぱ頭」の画家・フジタと薩摩治郎八
映画出演を信じて待つ
ジープに乗って日本人救出
にわか絵師
またもや置き去りに
あらわれた2人の娘
口ぐせ「人生そんなもの」
焼け出されても「フェア」を貫く
美容学校の校長になる
伯母・川上貞奴の死
ボギーの指名手配
ハリウッドで復活
2つの個展
「死の行進」映画に主演
「雪洲」健在なり
ラッパ節炸裂
家族5人の初顔合わせ
千葉県市川市で新生活
喜ぶ妻、微妙な子どもたち
17年ぶりのふるさと
弟子たちの戦後
物価と女性に驚き、自慢話を披露
ほめたい鶴子さん
第8章 「もののふ」の人─1950年(昭和25)64歳─日本時代
試行錯誤の日本復活
「レ・ミゼラブル」ドタバタの記
頭痛の種
芸能人ソバ屋と文化信用組合
ぴったりの軍人役
アカデミー賞受賞作品「戦場にかける橋」
ふたたび頂点へ
太平洋プロダクション
北海道弁
横綱級の名札
またしても独立プロダクション計画
「年齢は関係ありません」
理解者ハリー牛山
父親としてふるまう
広い交遊
「私ってたったこれひとつ」
治郎八との交友
ルース最後の訴訟
ばらの花散る
鶴子追悼
第9章 「ハヤカワ劇場」閉幕す─1961年(昭和36)75歳─日本時代
心はひとつに結ばれて
生涯現役
カブキ舞踊の吾妻徳穂
78歳の再婚
幸せな結婚をするには
小さな引っ越し
「神々の深き欲望」
連載「私の人生劇場」
剣道好きの潑剌たる90歳青年
最後の見舞い客
追悼
静かに送られる
「地上に輝く星」
第10章 終章
それから
天寿
雪夫のこだわり
おわりに
雪洲が出演した映画、舞台、テレビ(鶴子共演を含む)
鶴子のみ出演した映画、舞台
アメリカ、日本、ヨーロッパ別にみた雪洲の出演作品数
早川雪洲・青木鶴子の年表
主要参考文献