ソ連の対日戦争とヤルタ協定
はしがき
第一章 ソ連の対日攻撃戦とわが北方領土の強奪
極東の対日戦争へのソ連の参加
マルクス・レーニン主義研究所編纂の「一九四一―一九四五のソ連邦大祖国戦争史」の中の対日戦争に関する記述
その他の諸文献の記述
第二章 一九四五年二月のクリミヤ会議(ヤルタ会談)に関する「外交史」第四巻の記述
「外交史」の記述中の日本関係および日本にとって注目を要する諸部分
上掲の記述中の樺太に関する新しい書き方は千島問題におけるソ連の態度の変化(軟化)を示すものではないのか?
第三章 ヤルタ協定とソ連の言い分
協定の内容
ソ連はヤルタ協定以前から対日戦争を決意していた ―一九四三年末のテヘラン会議と翌四四年十一月六日のスターリンの演説について―
ヤルタ協定にたいするソ連の立場
ソ連はヤルタ協定の不正義性を率直に認めるべきである
第四章 ヤルタ協定は秘密協定であり、それ故にソ連の国是レーニン主義によって、理論的に無効と宣せられるべきものである ―秘密条約に関するレーニンの言説―
第五章 ヤルタ協定は相手国を抜きにして締結された協定であり、それ故に、ソ連自身に利害関係のある同様の国際的諸取極を断固として排撃した実績のあるソヴィエト外交の実践的伝統によっても無効と宣せられるべきものである
―ソヴィエト政府が十月革命直後にフィンランドに引き渡したオーランド諸島の場合について―
オーランド諸島とは?
オーランド諸島の問題についての「外交辞典」各版の記述
オーランド諸島の問題をめぐる外交折衝の経緯 ―「ソ連邦対外政策文書集」中の諸記述―
「ソヴィエト大百科」辞典各版の記述
オーランド諸島の問題におけるソヴィエト外交の実践は何を教えているか?
第六章 ソヴィエト外交の実践における第二の、さらに一層直接的にヤルタ協定の無効性を裏書きする事例としての《ベスサラビヤ問題》の場合について ―今日の北方領土問題における日本国民にとっての貴重な教訓として―
ベスサラビヤおよび《ベスサラビヤ問題》とは?
「ソヴィエト大百科」初版第六巻(一九二七年刊)の「ベスサラビヤ問題」の項の記述
ベスサラビヤ問題におけるソ連の毅然たる態度とソヴィエト外交の執拗な努力
ベスサラビヤ問題の最終的解決におけるソヴィエト外交の《歴史的》大成功
われわれの北方領土問題にとっての《ベスサラビヤ問題》の貴重な教訓。ソ連を手本にして、ソ連の不正義と戦え! ―レーニンは帝制ロシアによるクリル諸島の取得(下田条約)は不平等条約による他国領土の《合併》だとし、樺太の取得(樺太・千島交換条約)は
ベスサラビヤの場合と同様の《侵略》だとしていた―
むすび
追加資料
ベスサラビヤ問題に関する「外交史」第四巻(一九七五年刊)の記述
対日領土問題に関する「外交史」第五巻第一部(一九七四年刊)の記述
ソ連の領土政策の理論的諸原則について ―北方領土問題のための参考資料として―
憲法から見たソ連の領土政策
共産党綱領から見たソ連の領土政策
ソヴィエト国家の領域についてのレーニンとスターリンの考え方
ソ連の国際法の諸文献から見た場合
ソ連の《固有の領土》論からすれば