過ぎたれど終わらぬ日々
まえがき
「平和憲法は大丈夫か」と地底から死者が叫ぶ(青山陽一)
敗戦―何よりも信じられるものが欲しかった(秋山咲子)
一機もまともに飛ばなかったわが「零戦」(秋山実)
両親と別れ、泣きながら弟と山に逃げた日(阿部恵子)
今も瞼に残るB29の空襲(新井光子)
「なぜ出兵しないのか」と父につめよる(荒川房男)
私の身替わりに青春を散らしたK君のこと(飯村微光)
子ども心に“父をかえせ”と戦争を憎む(五十嵐恒男)
平和な社会の到来など信じることができなかった(石田等)
栄光の特攻要員が敗戦によって味わったもの(伊藤実)
状況に流され、状況の共犯者になった日々(稲葉三千男)
ちょっとしたことが生死の別れ目に(井原完輔)
残業続きのアルミ工場で、日本の敗戦を知る(入江正治)
自由にものを言える時代―戦後の「ときめき」(岩崎隆次郎)
「殺さなければ殺す」と言われたらどうする(印牧眞一郎)
自分の死の直前まで子の戦死を信じなかった母(上田三郎)
日の丸をふって送り出し、白木の箱を迎える村(上田登)
むりやり決意していた者ほど動揺は激しかった(内山達四郎)
「戦後を考えて備えよ」と語った父の勇気(梅田義夫)
食糧難の中で軍需産業の増産に追われる(廽神英雄)
私たちの「八・一五」はまだ終わっていない(遠藤留三)
シンガポールで英人捕虜と暮らした日々(大井今朝治)
戦争は人格を身証票の記号に変えてしまった(大石重一)
次代の子どもに堂々と主張できる人間に(大江静夫)
青年の人生に価値のない空間を作る戦争(大木吾郎)
強制立ち退きにあった小石川のわが家のこと(大久保さわ子)
命日でもあり生まれ変わった日でもある八・一五(大屋隆総)
ヒロシマの惨状を知り、二、三日寝こむ(岡十万男)
敗戦と自由の回復は、新しい開眼であった(岡田幸雄)
夕焼けを空襲と間違い泣き叫び、走りまわる子(岡村文雄)
絶望・安堵・希望が複雑に入りまじった敗戦の日(奥茂吉)
今必要なのは全世界の国家的武装解除だが(奥田良胤)
庭のツゲの木―戦争を告発する兄の墓標(小田川岩雄)
妹・弟が中国残留孤児で、今なお音信不通(小野登茂衛)
夫婦ともども悲惨な体験をし、平和運動に参加(笠原幸恵)
朝鮮からの引き揚げと戦後の労働運動(加治美夫)
百二十名の兵のうち、生きて帰ったのは二十八名(片山甚市)
俘虜の監督者として戦後しばらく眠れぬ夜が続く(蟹江角義)
「進んで戦争に行くことはない」ととめた祖母(金指明)
放心状態の中で立ち上がった戦前からの活動家(兼田富太郎)
「生きて帰ったらマルクスを読め」(蒲池清一)
米国追随の軍備増強では決して平和は守れぬ(加松保治)
少年の心の中で「神国・日本」は崩れ落ちた(上山和人)
沖縄戦―それは戦争の醜さの極地であった(神山操)
敗戦―同胞の人間としての弱さを目に無力感(河野昌幸)
戦争を嫌い、予科練不合格を喜んだ母のこと(菊田昭)
「戦争がない」ことがひどく恐ろしく思えた(喜多哲正)
巡査の強制で予科練に志願させられる(北川原俊郎)
敗戦の不安の中で、組合結成を呼びかける(国沢秀雄)
今こそ、無形の道義を軍隊に、博愛を剣に(久保正)
「少年兵」としての死が人生の全てであった(古賀勇一)
この道はいつかきた道、と思えてならぬ昨今(小谷喜富)
中国に渡った日本帝国陸軍最後の初年兵(児玉秀智)
「非国民!」とビンタを飛ばした特高を増む(小納谷幸一郎)
こんどこそみんなで生き残らなければ(小林勇)
敗戦……これからの人生を考え必死に活字を追う(小山良治)
そのうちきっと“神風”が吹くと信じていた(斉藤親仁)
カラスの大軍のようなB29に逃げまどって(斉藤秀子)
日本は敗れるべくして戦争に敗れた(桜井資浩)
朝鮮人労働者の怒りを知る者として(坂野哲也)
わが子らとの大きな隔たりにひるまず(酒巻文江)
労働運動の中で敗戦の虚脱感をぬけ出した(佐川礼三郎)
終戦前日の八月十四に悪夢のような土崎空襲(佐々木悦子)
睡魔におそわれ、撤退列車から転落する人も(佐野明)
大虐殺を語る中国農民の言葉に衝撃を受けた(静永俊雄)
脳味噌の固まらぬうちに受ける教育の恐ろしさ(実原公男)
戦争いち早く労働組合組織に走り回る(島上善五郎)
戦争は、生きる意味を教えてくれた反面教師(清水澄子)
「敬礼」にまつわる、痛く、いまわしい思い出(清水光明)
日立市には連日おびただしい量の爆弾が降った(城地豊司)
敗戦―軍国少年が受けたショックは大きかった(神波尚典)
「教育」が無批判な国民に育てあげていった(杉沢信子)
適性検査で特攻要員からはずされ、生き残る(関口和)
戦車用の横穴掘り作業中に終戦を迎える(瀬谷英行)
「大和」から「鹿島」に配属変更で生を拾う(平四郎)
肉体の飢えより精神の飢えが辛かった(高橋菊江)
「アツイヨー」の悲鳴を残して死んだある少年(高橋富治)
戦争で幸福になった国民はどこにもいない(高橋昌忠)
「異常なこと」が「正常」とされる日々だった(高山次男)
シベリア送りのトラックから逃び下り、逃走(武田賢次)
幾多の戦友の犠牲の上に生きのびてこられた(田中幸男)
勇ましく行進した若き学徒たちは、どこへ行った(田原伝)
沖縄戦―父や兄の遺骨すら拾えなかった(玉城幸輝)
白米のごはんを食べられるのが楽しみだった(田村敏男)
「戦争に負けても食糧はいる」と諭した教師(田村誠)
夢か幻か―十五歳の夏よ(田村葉子)
被害者かつ加害者の満州開拓団の悲劇に思う(塚田義彦)
“きちんと意思表示する”女性になろうと決意(塚本すみ子)
敗戦を知り、くやしくて大声で泣いたものだった(富塚三夫)
暴力制裁を受けない日は皆無だった(永井孝信)
糧秣用地下倉庫を掘っている最中に終戦(中江平次郎)
自由な社会、青い空、山の緑を次代に残そう(長沖ミヨ子)
亡き子が帰る足音に、耳そばだてる母の心(中島道治)
惨禍と混乱の中で知った「平和」のもつ意味(中津川正次郎)
くやしさよりも家に帰れる喜びの方が強かった(成瀬昇)
鎮魂賦(西博)
後世に「軍国ニッポン」を残さぬ責任世代として(西田龍正)
「なぜ兵役を拒否しなかったか」と青年に問われて(西村精二)
上官の裏表に言い知れぬ憎悪を憶えた少年兵(野口幸一)
衣食足らざることにより平和の大切さを知る(橋本さとし)
生き残った者のつとめとして平和祈念館設立を(橋本代志子)
自分の戦争体験を伝える「語り部」として(長谷部儀助)
「秋水」で戦闘飛行訓練中に敗戦を知って(羽田野尚)
空腹青年は毎日「勝利の日まで……」と歌った(浜西鉄雄)
原爆の下から生き残り、四十年経った今(平尾芳恵)
空襲下の家族の安否を気づかう軍隊生活(平沢栄一)
焼死体・水死体が累々とならぶ路上にたたずみ(比留間長一)
終戦一か月前に拳銃自殺した松崎君のこと(福田勝)
原爆にあった学友を徹夜で看護(藤田恭平)
平和の塔が「八紘一宇」の塔に変化する時代に(藤本勝)
出征兵士や疎開児童の乗る汽車を走らせた日(藤森司郎)
もっと説得力のある戦争反対の呼びかけを(古井戸竜介)
戦後なお再軍備を主張した自分を恥じる(星宮文雄)
戦争は人格、希望、自由をふみにじる悪夢(前田定一)
「早く死んだほうが幸福だった」と嘆く老人(前田マサノ)
「人のいやがる軍隊に志願で出てくる馬鹿もある」(前田義光)
輸送船上から緑したたる石垣島に会釈した(正岡慶信)
戦争にかりたてたものの粗末な正体を知る(松浦利尚)
じわり じわり―又は八月十五日に(松浦正雄)
風土病に冒され、密林をさまよい歩く(松尾三喜)
労働運動に出会うまで混濁した日々が続く(松橋茂)
脱走した中国人労働者の山狩りの日(三嶋静夫)
二十歳から先の人生を考えたことがなかった(水田稔)
食糧難の中の人間の醜さに、かぎりない悲しみ抱く(宮下弘治)
戦争に対する「新聞」の責任と自己の生き方(村上寛治)
富山大空襲の惨状をつぶさに知る者として(村田芳雄)
弟たちを連れて長良川の土手を逃げまどった(毛利勇)
戦争と貧困への怨み―私にとっての八・一五(本岡昭次)
一歩間違えば、私も残留孤児となっていた(桃井エイ子)
勤労奉仕と軍事教練で病気に倒れる(諸星充司)
現在のたたかいが「戦後」の意味を決める(山岸時子)
八・一五は「暗い暗い青春時代」の一つの墓標(山崎俊一)
もうごめん、いつかきた道、こわい道(山田侃二)
「死ななんだからな」としか言えずに(山部芳秀)
水族館閉鎖の日、大海亀を海に帰した(山本敏雄)
戦争は「殺すか、殺されるか」の二者択一(山本まき子)
戦争により解決せねばならぬ悪以上に戦争は悪(湯山勇)
運命は上官の鉛筆ひとなめで決まった(吉田定男)
「海峡封鎖」は海への侵略(吉野輝史)
大きな安堵感とどうしようもない喪失感―敗戦(若林煕)
反戦・反核・軍縮の無数の地域拠点づくりを(渡部和人)
内蒙古から北京まで百余日かかった逃避行(渡辺三郎)
長兄、三兄が戦死してもなお「予科練」を志望(渡辺義信)
戦死した弟の遺児二人と「玉音放送」を聞いた(綿引すみ)
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